大好き!藁科川

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ころころーん・ころころーん

2010年12月18日 | 地名の由来
先日、地元の友人と飲みながら話をしていたら、どういう経緯か火葬場の話になりました。

今は市街地に移りましたが、まだ友人達が小学校の頃は、藁科川上流の日向と栃沢という集落の間にある日向林道を降りていって橋を渡る手前の右手のところに火葬場があったそうです。
そこで荼毘にふされたお骨は、会葬者が列となって日向にある陽明寺まで送り届けられていたとのこと。その後は参列者にお礼が振舞われ「それは楽しみだった」とは幼い頃の友人たちの思い出話でした。

藁科川と支流の能又川がちょうど合流する地点なので、地元の人はその辺り一帯のことを“よきまた”と呼んでいるようですが、今は茶畑になっているその周辺には「松ノ平」や「石樽(いしだる)」といった字名が残っています。この地には、1469~1486年の文明年間の頃に、日向・諸子沢・湯ノ島・崩野・楢尾・八草・道光・藁山の八か村の氏神さんを一緒に祀っていた藁科八社というお社があったとのこと。歴史にお詳しい地元の小学校の校長先生にうかがったところ橋の名前につけられた“丸山”は、かつての古墳の所在地に多くつけられるているネーミングだそうで、「火葬場」「お社」「古墳」と歴史的に見てこの大川地区・北部の大事な来歴を物語っているように思えます。

交通の難所にもなっていたこの「石樽」という地名の由来にはこんな言伝えが残っています。
白キツネが渡来系の神社の由来を物語っているようです。

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『地名 石樽について』

 静岡市を中心にして、藁科川があり、川に沿って昔から山新田、羽鳥、大原株田、富沢、八幡というがあって、静岡市から大川村迄は、昔は七里という道のりでした。大川村から静岡市に着くと晩の六時過ぎにもなる大変な長い道のり、随分苦労を重ねて静岡市に行く時のこと。大川に入って坂ノ上、日向の坂をのぼって諸子沢と湯ノ島の別れ道とありなり、左にそって二町入っていった所が「石樽」という地名のところです。この地名について詳しく調べてみたいと思います。

 昔は藁科道路を通じて一番悪いところともなっていた。高さ百二十間、幅五十間ともあるところ、山道の巾は一尺くらいの道。歩いて夜通ると、誰しもが不思議なことがある。それは山の高いところから“ころころーん・ころころーん”という様な音を立てては、小石がたくさんに落ちてくる。夜になると石樽を通るには、誰しもが寂しいと、うわさが流れていたという。夜になると明かりをつけて、つまり提灯をぶらさげては通っていた時のことで、高い山の方から、ころころーん・ころころーんという様な音を立てては小石が落ちてくる。なんとおかしい変な音。誰しもが不思議に思って通っていた。その音はいかにも小さい。樽でも転がすかの様に思われる音にしか聞こえません。

 ある時、大きい嵐が起こり、大きい水が出て、村の人が川に巻き込まれて水死体となり、村の人たちが大そう心配して探しもとめて、ある晩に死体をかついでくると、一匹の大きい白いキツネが後を追ってついてきて、この寂しい石樽にて消え去ったとの噂が流れました。これまでの高いところから小石の音を立ててころころーん・ころころーんという様な音は、樽でも転がすようにも思われる音。みんなこの白キツネの仕業と村人は思うようになり、キツネのいたずらもバレて、この石樽を通る人々も、それからは安心が出来て、怖かったことも忘れてしまった、とのことです。時のことは安政元(1854)年の少し前のことだそうです。 おわり
湯ノ島 佐藤竜作

「ふる里わら科八社第二集」(大川寿大学講座受講生一同.静岡市立中央公民館大川分館.昭和55年)

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