「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

思考、世界、私

2015-01-30 06:27:16 | 第4章 知覚内容としての世界
4章をざっと読んでみたら、はじめは思考の本質的な働きを明確にし、そこから思考する存在としての人間の本質を導き出す

それから、思考とは反対側、内界ではなく外界に向かい感覚によって観察された世界が、いかに人間に与えられた条件によって左右され、限定されているものかということについて述べているようだ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

《思考の本質的な働き、本性の抜粋》

思考から、概念と理念が生じる

思考は、思考自身を基礎に持ち、他の何物からも限定されない

観察は思考を求め、思考によってはじめて、ある体験を他の体験と結びつける途が見出せる

思考は観察を越えて先へ進もうとする

思考の最も固有の本性とは主観であり、思考が自分自身の活動に眼を向けるときには、主観を客観対象として持つことになる

だか思考が単なる主観的な活動とするのは誤りで、思考は主観と客観の彼方にあり、主観と客観の概念を全ての他の概念と同じように作り上げる

思考が、概念と観察対象とを関係づけるのであって、主観が行なうのではない

主観はそれが主観だから思考するのではなく、思考する能力を持つからこそ自分を主観として表わす

思考の恩寵の下に、人間の主観は生きている

思考は私を自我の彼方に導き、客観へと結びつける
また同時に、私を主観として客観に対比させ、客観からも引き離す



以上のhasutamaまとめ

人間の二重の本性(=世界から孤立しながら、同時に世界に含まれていると感じる)は、思考する存在である故に生じる

人間は思考することによって、自分と世界を包摂し、また自分を事実と向かい合う個体にする

ーーーーーーーーーーーーーーーー

世界につつまれ、同時に相対する

これを図形的にはっきりさせてみる
すると、
じゃあ、世界はどうやって人間の中に入るのかしら?となる

すっぽりと取り込まれるにしても、対峙するにしても、私の中に世界が完全に受容されるとか、理解されるということとは違うからね

今日はここまで







最新の画像もっと見る

コメントを投稿