note
思考する存在=観察と思考の媒介者
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
観察中には、
対象は人間に
「与えられたもの」
として現れている
思考中には、
人間は
「自ら活動する存在」
として現れる
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間は、
対象を客観、
自らを主観、
として発見する
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間は
自分の思考を
観察に向けるところから
客観についての意識を持ち、
自分自身に向けることから、
自己意識を持つ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間の意識は、
思考する意識であるゆえに、
自己意識であらざるを得ない
思考が
自分自身の活動に視線を向ける時には
その固有の本質=主観を
客観として対象にする
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
hasutama
本質として
観察は客観
思考は主観
である
人間の意識は
思考するからこそ
自己意識となる
↓
思考が
自分を主観と位置付けるから
ゆえに
思考について思考するケースでは
主観を客観=自己意識を対象化
することになる
この本の中でシュタイナーは
思考を対象として思考することは
特殊なケースであり
その特異性に注目すべきだと言っていた
(三章)
その特異性とは
主観を客観する
自己意識を対象化する
ということのようだ
その時の、
対象化される側ではなく、
する側の意識を、
シュタイナーは魂と呼んでいた
(以前このブログで考察した
↓
生産後の思考を観照する側の意識
2014/2/14 )
四章では、人間の意識の状況を丁寧に観察、思考していくようだ
それにしても感心させられるのは、
前の章ごとに浮かび上がらせてきたそれぞれの内容が、後の章で完全に生きてくることである
それも図形的にはっきりと浮かび上がるように、段階的に緻密に話が展開されていく
これを「科学」とシュタイナーが名付けたことが納得出来てくる
思考する存在=観察と思考の媒介者
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
観察中には、
対象は人間に
「与えられたもの」
として現れている
思考中には、
人間は
「自ら活動する存在」
として現れる
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間は、
対象を客観、
自らを主観、
として発見する
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間は
自分の思考を
観察に向けるところから
客観についての意識を持ち、
自分自身に向けることから、
自己意識を持つ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
人間の意識は、
思考する意識であるゆえに、
自己意識であらざるを得ない
思考が
自分自身の活動に視線を向ける時には
その固有の本質=主観を
客観として対象にする
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hasutama
本質として
観察は客観
思考は主観
である
人間の意識は
思考するからこそ
自己意識となる
↓
思考が
自分を主観と位置付けるから
ゆえに
思考について思考するケースでは
主観を客観=自己意識を対象化
することになる
この本の中でシュタイナーは
思考を対象として思考することは
特殊なケースであり
その特異性に注目すべきだと言っていた
(三章)
その特異性とは
主観を客観する
自己意識を対象化する
ということのようだ
その時の、
対象化される側ではなく、
する側の意識を、
シュタイナーは魂と呼んでいた
(以前このブログで考察した
↓
生産後の思考を観照する側の意識
2014/2/14 )
四章では、人間の意識の状況を丁寧に観察、思考していくようだ
それにしても感心させられるのは、
前の章ごとに浮かび上がらせてきたそれぞれの内容が、後の章で完全に生きてくることである
それも図形的にはっきりと浮かび上がるように、段階的に緻密に話が展開されていく
これを「科学」とシュタイナーが名付けたことが納得出来てくる
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