「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

自己意識の対象化

2014-08-09 22:14:23 | 第4章 知覚内容としての世界
note

思考する存在=観察と思考の媒介者

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

観察中には、
対象は人間に
「与えられたもの」
として現れている

思考中には、
人間は
「自ら活動する存在」
として現れる

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人間は、
対象を客観、
自らを主観、
として発見する

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人間は

自分の思考を

観察に向けるところから
客観についての意識を持ち、

自分自身に向けることから、
自己意識を持つ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人間の意識は、
思考する意識であるゆえに、
自己意識であらざるを得ない

思考が
自分自身の活動に視線を向ける時には
その固有の本質=主観を
客観として対象にする

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

hasutama

本質として
観察は客観
思考は主観
である

人間の意識は
思考するからこそ
自己意識となる

思考が
自分を主観と位置付けるから

ゆえに
思考について思考するケースでは
主観を客観=自己意識を対象化
することになる

この本の中でシュタイナーは
思考を対象として思考することは
特殊なケースであり
その特異性に注目すべきだと言っていた
(三章)

その特異性とは
主観を客観する
自己意識を対象化する
ということのようだ

その時の、
対象化される側ではなく、
する側の意識を、
シュタイナーは魂と呼んでいた
(以前このブログで考察した

生産後の思考を観照する側の意識
2014/2/14 )

四章では、人間の意識の状況を丁寧に観察、思考していくようだ

それにしても感心させられるのは、
前の章ごとに浮かび上がらせてきたそれぞれの内容が、後の章で完全に生きてくることである
それも図形的にはっきりと浮かび上がるように、段階的に緻密に話が展開されていく
これを「科学」とシュタイナーが名付けたことが納得出来てくる
















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