「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

問いは私のどこにある?

2013-12-30 08:52:02 | 1918年の再販のための序文
「問う」について「考えて」、あるいは「問う」ている状態にあって、自由の哲学の二つの中心課題に関するシュタイナーの言葉を読み返してみたら、またあらためて「おやっ!?」となることが出来ることに気がついた

問いの存在を、自分の魂の領域の中に見つけ出すことが出来た人は、その領域を深く洞察することによって、二つの謎を解くのに必要な鍵を、手に入れるであろう

認識とは、本来そのような在り方をしている
人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識の在り方こそが、その認識の正当性と有効性を証明している


ここで新たに問いを持ちたくなるのは、彼が「魂」と言い出したところである

はしょって言うと

問いの存在を

自分の魂の領域の中に見つけ出すことの出来た人は

人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識

を行えて

そういった認識こそが正当かつ有効である

とのことだ

この言葉からは色々なイメージがわくので

(なんでわざわざ領域なんて言うの?とか)

またあとで続きを書きたい

しかし一番の印象は、「問い」に対するシュタイナー氏からの励ましである

そういえば、彼はいつも問いに対する励ましとして存在してくれている

とんでもなくわけのわからないことをたくさん言って、それから、自分の言うことを盲信しないで、あなたの人生の中で、それに対する追認作業とか吟味をしてみてねと言う

巨大な「?」の中に置いてけぼりにしてくれる

そんな優しさ^_^;