「問う」について「考えて」、あるいは「問う」ている状態にあって、自由の哲学の二つの中心課題に関するシュタイナーの言葉を読み返してみたら、またあらためて「おやっ!?」となることが出来ることに気がついた
問いの存在を、自分の魂の領域の中に見つけ出すことが出来た人は、その領域を深く洞察することによって、二つの謎を解くのに必要な鍵を、手に入れるであろう
認識とは、本来そのような在り方をしている
人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識の在り方こそが、その認識の正当性と有効性を証明している
ここで新たに問いを持ちたくなるのは、彼が「魂」と言い出したところである
はしょって言うと
問いの存在を
自分の魂の領域の中に見つけ出すことの出来た人は
人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識
を行えて
そういった認識こそが正当かつ有効である
とのことだ
この言葉からは色々なイメージがわくので
(なんでわざわざ領域なんて言うの?とか)
またあとで続きを書きたい
しかし一番の印象は、「問い」に対するシュタイナー氏からの励ましである
そういえば、彼はいつも問いに対する励ましとして存在してくれている
とんでもなくわけのわからないことをたくさん言って、それから、自分の言うことを盲信しないで、あなたの人生の中で、それに対する追認作業とか吟味をしてみてねと言う
巨大な「?」の中に置いてけぼりにしてくれる
そんな優しさ^_^;
問いの存在を、自分の魂の領域の中に見つけ出すことが出来た人は、その領域を深く洞察することによって、二つの謎を解くのに必要な鍵を、手に入れるであろう
認識とは、本来そのような在り方をしている
人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識の在り方こそが、その認識の正当性と有効性を証明している
ここで新たに問いを持ちたくなるのは、彼が「魂」と言い出したところである
はしょって言うと
問いの存在を
自分の魂の領域の中に見つけ出すことの出来た人は
人間の魂のすべてのいとなみに深く関わる認識
を行えて
そういった認識こそが正当かつ有効である
とのことだ
この言葉からは色々なイメージがわくので
(なんでわざわざ領域なんて言うの?とか)
またあとで続きを書きたい
しかし一番の印象は、「問い」に対するシュタイナー氏からの励ましである
そういえば、彼はいつも問いに対する励ましとして存在してくれている
とんでもなくわけのわからないことをたくさん言って、それから、自分の言うことを盲信しないで、あなたの人生の中で、それに対する追認作業とか吟味をしてみてねと言う
巨大な「?」の中に置いてけぼりにしてくれる
そんな優しさ^_^;