「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

概念のコラージュ

2013-12-27 19:36:21 | 雑感
確か以前読んだコリン・ウィルソンのシュタイナー研究本に、シュタイナーの思想は借り物のつぎはぎという批判があると書かれていたように思う

他の人の哲学書をたくさん読んだわけではないから、一般的にも哲学はいくつかの既存の考え方の組み合わせによって出来上がるものなのかもしれないし、私には普通の状態がわからないのである

しかし、少し調べてみただけでも、その批判もやむを得ないと思われるほど彼の思想がプラトン、ゲーテ等の言ったままの、あるいはちょっとアレンジしたような内容の組み合わせから成り立っていると確認出来る

ただ、シュタイナーの味方をして考えれば、偉大、天才と世間でたたえられている人の、その偉大さを、真に理解出来る人は非常に少ないのではないだろうか

哲学は概念を素材にした芸術であるとシュタイナー自身が言っているが(確か…)、
偉大な思想、概念の完全な理解者である彼でなければ、それらを実際の人生に意味あるかたちで生かせるよう、有機的に結びつけることは出来なかったのではないだろうか

ある考えが生まれることが宇宙史的な創造なら、思想は宇宙の素材なのかも

シュタイナーのお料理で、宇宙的創造を味わうとは贅沢でしょう?













主観的スポットライト現象のこと

2013-12-27 16:45:30 | 雑感
思うままに書いてみる

半年、それ以上、ずーっと自由の哲学1~3章を行きつ戻りつさまよっているのだが

その間にシュティルナー、プラトンを少しかじって、しかしこれもまた新たなさまよいを生み出し、まるで樹海に迷いこんだおばさんである
方向もわからず、いったいここはどこ?私は誰?状態

どこが入口で出口?思わぬところから入り、変なところに出るけれど、それがまた新たな入口だったりする

ところが、昨晩また久しぶりに自由の哲学3章を開いてみると、不思議な現象が起きた
(客観的には、何も起きていないようにしか見えない)

まるでスポットライトが当たっているように明るく浮かび上がってくる文章がある

今までなかったイメージが、ふいにくっきりと浮かんで、シュタイナー氏の思考の筋道にちょっと合流、というか、もっとずうずうしく、しかし正直に言えば、彼が自分のイメージとその筋道を照らし出して、先へといざなってくれるような…

もしや…少し先に進めるかな^_^;