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程暁農★冷戦開始後2カ月、エスカレートする米・中軍事対決  2020年9月8日

2020-11-19 18:13:08 | 日記

程暁農★冷戦開始後2カ月、エスカレートする米・中軍事対決  2020年9月8日

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★⑴ 南シナ海のミサイル

 米・中冷戦が始まった。

7月20日に「程暁農★米・中冷戦、南海水面下の対決」でその起りについては書いた。

当時、私は、冷戦はいったん始まれば、双方がまず軍事分野で対抗し始めると思っていた。

しかし、一カ月半前の私はも、中共が軍事レベルの冷戦をこれほど早くエスカレートさせるとは思わなかった。

中共は「自分たちは最初の弾丸を撃たない」(程暁農★バイデン勝利を「我慢して待つ」 米国有権者頼みの中共  2020年8月19日参照 )と言っていたのだが、そう言いつつ「銃口を空に向けて撃って見せた」のだ。

これがすなわち最近の南シナ海におけるミサイル演習だ。

冷戦では、どちらの側も最初の1発を撃ってはならないというのが鉄則だ。

1発目を撃てば、相手側も必ず応戦するから、2発目を撃たなければならなくなって、3発目も、となって激しい銃撃戦になり、最後には劣勢に立たされた側は、核兵器に訴えようとしかねない。

 中共は1969年に珍宝島(ダマンスキー島)で、ソ連軍に急襲をかけた。

規模は大きくなかったが、ソ連は最後には、核兵器使用まで考えるに至り、そうならなかったのは米国がソ連を脅したからだった。

当時は米・ソ冷戦中で、双方が「第1発目は撃たない」という鉄則を守っていたから、冷戦状態が40年も続いても世界大戦にも、核戦争にもならなかったのだ。

 冷戦では、双方が「銃を装填してお互いに照準を合わせる」で、この状態で「1発目は自分からは引き金を引かない」だった。

ただ、もし一方が、突然、銃口を直角に向きを変えて、横に向けて撃ったとしたら、それは「第1発目」を撃ったことになるのか、ならないのか、どっちだろう?

 8月の最終週に中共がやったのがこれで、突然、「空に向けてミサイルをぶっぱなした」のだ。

これは、「第1発目を撃った」とも言えるし「撃っていない」ともいえる。

 8月26日、中共の中距離ミサイル部隊と大陸間ミサイル部隊は、海南島の南方数百キロの海域に4発のミサイルを発射した。

この軍事姿勢は、米・中冷戦の枠組みにどれほどの影響を与えるだろうか?

 鍵になるのは、このミサイルがどんなタイプかである。

今回、中共が発射したうちの2発は「空母キラー」と呼ばれる中距離ミサイルで、さらに2発は大陸間ミサイルだった。

 ★⑵ 米空母を脅かすか「空母キラー」

 中共は「空母キラー」にあたる中距離ミサイルを大いに宣伝したが、同時に発射した移動式の核弾頭大陸間ミサイルについては、香港の「明報」が簡単に報じただけだった。

 この2発のミサイルのうち、青海省デリンハ市の固定基地から発射された東風26B型ミサイルは、最大射程4千キロで、そのロケットブースターが交際チワン族自治区の農村部に落下した。

 浙江省の西部山岳地帯のトラック上から発射された東風21D型ミサイルは、射程距離5千キロだ。

中国国内では、この4発は皆、陸上基地から発射され、落下したロケットブースターを失敗したと見る人もいるが、間違いだ。

 中共は宣伝で、今回の2発の陸上基地発射ミサイルの目的は、南シナ海で活動する米国空母への威嚇であると強調した。

中共プロパガンダメディアの「多維ニュースネット」は8月29日に「空母キラーが米・中の南シナ海での力関係を変えた」という記事を掲載した。

「西側世界は初めて中国の南シナ海における東風26型ミサイルを確認した」と伝えた。

これは核弾頭搭載可能で、最長距離で「第2の島嶼ライン」と言われるグアム島を射程内に収める戦略兵器だ。

 これが登場したと言うことは、次の段階の南シナ海での対立が一段と高まったということだ。

「この兵器は、今後の南シナ海における一種の入場券になる」と述べているが、その意味は、今後米軍の空母打撃群が南シナ海に来れば、中距離ミサイルの目標になりうるということだ。

 中共は、すでに占領しおえた南シナ海の数百万平方海里の公海支配圏を確保するために、同地域を戦略核原子力潜水艦を隠すのに十分な安全を確保し、米国艦隊の同地域での活動を許さず、いつでも米国に向けての核攻撃ができるぞ、という意味だ。

 同時に、南シナ海で領海200海里の権利を持つベトナム、フィリピン、マレーシアなどの国々に対して、「南シナ海はもう公海ではなく、中共のものだ。米国と手をつなごうとする奴はひどい目にあうぞ」ということを知らしめる為でもある。

 この2発のミサイルは、本当に米海軍にとって脅威になるか? 結構疑問視されている。

一つには、米軍の空母攻撃軍は常時時速50キロ以上の戦闘巡行速度で回避運動を行えるので、中共の衛星システムがミサイル発車前の座標が、位置変更後の艦隊を捉えられるか、という疑問

 二つには、ミサイルが成層圏を超えて高速で落下してくるとき、大気摩擦が生じて、弾頭外部にできる電離層によって電子信号が途絶えて、正確なミサイル誘導ができなくなる、というものだ。

 ★⑶ 中共の核原潜はなぜ試射したか

 南シナ海のミサイル演習で、中共がさらに2発の大陸間弾道弾を発射したのは、対米威嚇が目的だった。

先の中距離弾道弾は同じ着弾地域だったが、性格は異なるものだ。

 第一に戦略原潜から発射される海上発射型ICBMであり、そのために海軍の戦略ミサイル原潜094Aは、海南の三亜玉林港の第2潜水艦基地から渤海湾沖の胡蘆島市に出撃し、そこから巨浪2A型のICBMを2機発射した。

 巨浪2A型ICBMは、核弾頭装備すれば最大射程距離は1万1千キロだ。

つまり、中国の宴会から発車して、米国の西海岸を射程圏内におさめる。

もし、ミッドウェー島海域まで移動すれば、全米を射程圏におさめることができる。

 米国にとっては、2発の中距離ミサイルと2発のICBMが同じことを物語っている。

南シナ海の公海は、戦略的原子力潜水艦の「隠れ家」と「発射場」として中共に占拠された、ということだ。

中共がこの「発射場」を公海で無理やり占拠したのは、渤海や黄海は戦略原潜が隠れるには浅すぎて人工衛星に探知されやすいからだ。

 南シナ海の深海に隠れてこそ、戦略原潜は米軍に発見されにくくなって、安全なのだ。

この配備は、米ソ冷戦終結後、核の脅威のない30年間の平和が終わり、核ミサイルで米国を攻撃する準備のできた新たな核保有国が「剣を見せ始めた」ことを意味する。

 中共の戦略原潜は、南シナ海に「安全な家」と「発射位置」を持つったのみならず、水深4千〜5千メートルのバシー海峡(台湾とフィリピン間にある海峡)からグアム島のあるマリアナ海にも安全に出入りでき、さらに深いところではミッドウェー、パールハーバー、米国西海岸にも直接入ることができ、米国全土を好きに攻撃できるわけだ。

 つまり、中共戦略原潜に対する米側の第1島列島ラインの探知は失敗に終わった。

広大な太平洋は、いまや中共戦略核潜水艦の「発車陣地」になってしまって、米国の国防の安全は、これまでにない挑戦と脅威にさらされたのだ。

 今回は、海南島の南が着弾地点だったが、今後はいつでもパラメーターをちょっと変更するだけで、ICBMの目標地点を南から東にして、日本の米軍基地やグアム、ウェーク島、真珠湾の太平洋艦隊基地や米本土が、いつでも中共核攻撃の標的になる。

 つまり、表面上は「空に向けての空砲」のようだが、実際にはキナ臭いことこの上ないもので、核戦争の臭いすら漂わせ、中共の赤裸々な核による脅迫の素顔が露呈している。

 ★⑷ 戦争の方で君に興味を持つ

 中共は、実はICBMによるこうした威嚇行為が「第1発目は撃たない」という善意のジェスチャーと矛盾することを、本当は全然気にしていないし、それどころか対外プロパガンダでは、より危なっかしい好戦的な声すら上げている。

 8月30日、中中共の対外プロパガンダ「多維ニュースネット」の記事は、「中国と米国の対立の勢いが激化し、『二国関係安定化』の軍事関係は最近、剣の音を鳴らし始めた、硝煙の臭いが強まった」や。

8月28日の「最悪に備え流?1カ月で9回の軍事演習!」とい憂慮すべき見出しが見られる。

 記事では、ソ連赤軍の父トロツキーの「君は戦争に興味がないかもしれないが、戦争は君に大いに興味があるかもしれない」という言葉を意味ありげに引用している。

 また「最近、1カ月の多くのニュースは正常ではない。

まず、指導者が高らかに食料の節約を訴え、その後、全国が上から下までそのとおりに実行し、食料節約は明らかに食料や農業の話ではなく…(この…は、戦争に備えよ、という意味)と書かれている。

 二つ目は、少なからぬ大都市で家庭用緊急備蓄ガイドラインする宣伝ポスターが貼られている。

警報が鳴ったときに何をすべきかを体系的に伝え、最寄りの避難所がどこにあるかを知っておこう、などというのは今年になってからの特徴だ。

 第三に、先月、中国は少なくとも9つの軍事訓練イベントを発表している …… 1996年を除いて、この20年間は 中国はこれほどまでに集中的な演習をしたことがない。
 
 中国は孫子の教えの影響を深く受けており、「兵は国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」としている。

だから、一般の人々が何か雰囲気がおかしいと感じることは、何かが容易でない事態だということだ。

戦争はいつも突然勃発する。

だから、一番観察するに値するのは、中国は人々や社会に戦時下の状況を馴染ませるために、小刻みに進んでいくかどうか注目することだ」と書いている。

 米国防総省は8月27日、中共の南シナ海軍事演習と弾道ミサイル発射について声明を発表した。

南シナ海の不安定化をさらに招いているとし、このような演習は、紛争を複雑化させ、エスカレートさせ、平和と安定に影響を与えるような活動を避けるという2002年の南シナ海における当事者行動に関する宣言に基づく中国の公約にも違反していると主張した。

 ★⑸ 米国の対応

 米・中冷戦が勃発し、中共はこの問題を議論してから2カ月が経過したが、米側は「米・中冷戦」という言葉を使ったことはなく、軍事レベルでの口先の脅しを演できるだけ避けてきた。

冷戦をこれ以上エスカレートさせない為でもあり、また中共の新たな脅威に対抗するには、「口先での争い」ではなく行動を重んじているからだ。

 マーク・エスパー米国防長官は、8月24日付ウォールストリート・ジャーナルの記事

「Pentagon Prepares to Deal with China」で、8月1日に行われた習近平の建国記念日演説で、人民解放軍を「世界レベルの軍隊に造り上げ、その影響力を沿岸から遠く離れた場所にまで広めていく」とはっきり要求していた、と指摘した。

 人民解放軍は、中共の政治体制に服するものであって、国家に服するものではない。

中共は国際秩序を変えようとしており、全世界が受け入れているルールを動揺させ、その権威主義を国外でも常態化させ中国が他国を支配できるルールを作り出そうとしている。

 こうした局面は、我々がすでに新しいグローバルな競争の時代にあることを意味するものであり、全盛期のソ連を相手にした時と同じように、世界各国は慎重に考え、備えなければならない。

 エスパー長官は、中共の行動に対して、米国国防部は全力で全面的に対応しなければならず、速やかに米国国防戦略を実行しなければならないとした。

まず、我々は空でも地でも、海でも宇宙空間でもネット空間でも処理するにたる軍事的力を持っていることを保証し、次に同盟国との関係を強化し、同名曲の国防能力を強化する。

こうした方法で、米国が北京の横暴と支配の意図に反対し、同盟国との約束を反映したものであり、過去数十億人の人々が長年にわたって暮らしてきた安定と繁栄を支えてきた自由で開かれた国際システムを守るためのものである、と述べた。

 このスピーチにはいくつかのポイントがある。第一に、今日の米・中対決と昔の米・ソ冷戦の類似で、どちらも共産党政権が世界を支配しようという意図にどう対応するか、だ。

 次に、過去数十年、世界の大部分の国家が平和的繁栄を享受できたのは自由な、開放的な国際システムだったが、現在の中共はそれを変化させて、北京の派遣のために道を拓きたいと思っている。

 第三に、米国は自由と開放的な国際システムを維持継続するために、同盟国やパートナーと共同で、中国の脅威に対応したいとしていること。

 第四には、米欧は、中共の軍備拡張に全力で対応しなければならない、なぜならば、中共hあいままさに軍隊を国防目的から、全世界の脅威になる武力パワーに変えようとしているからだ。

 ソ連と中共の冷戦戦略は、経済的利益や地政学的配慮だけではなく、イデオロギー的な根拠を持っていた。 このイデオロギーは、資本主義に対する社会主義の最終的な勝利というマルクス主義的な目標だった。

 共産党の核大国がいったん一定の軍事的実力を身につければ、この目標を達成しようと、実力を強化するために、米国や他の西側主要国家を押しつぶし、あるいは空洞化しようとし、また国内の力を一身に集め自らの統治を強固にしようとする。

 大半が過度に楽観的な西側のウォッチャーと政治家は、ある可能性を無視している。

中共政権は経済市場化と経済のグローバル化を利用してあらたな世界平和と安全に対する脅威を形成しており、その全世界的な目標を実行に移し始めているということだ。

地球上で、共産大国の冷戦戦略の唯一の障害は、米国に他ならず、米国だけが共産大国の意図を実現する戦略を阻止できるのだ。

 ★⑹ 二つの冷戦における米国の抑止戦略

 中共史上最初の核の脅威はソ連からだった。

アメリカは中・ソ間の核戦争を回避するために、ソ連が中国に対する核攻撃をすれば、アメリカがソ連に核攻撃することをソ連に示し、最終的にソ連は中共への核攻撃を諦め、世界平和は維持された。(1969年、珍宝島事件の直後の話)

 この時、アメリカが「山の上に座って虎の戦いを座視する」と決めこんでいれば、ソ連は中共を戦略的攻撃する目標を達成し、中共政権はソ連に敗北しないまでも絶望的な状況に陥っていただろう。

そして、ソ連は背後からの中共の脅威を無くした後、第2次大戦で関東軍を破って軍隊をシベリアから西側に転じさせたように、欧州を主戦場としただろう。

 1960年代後半に中共が敗北すれば、ソ連は軍隊を西側に配備し、米軍をリーダーとするNATO軍は、更に大きなプレッシャーに晒されることになる。

これがニクソン大統領が、中共という「紅色の鬼」を受け入れた理由だ。

 この歴史的経験は、冷戦時代の基本的なルールの一つ、すなわち、米国の核の脅威が世界の平和維持に有効であることをも示している。

米共和党下院議員で下院軍事委員会のマイク・ターナー委員は26日、米シンクタンクのアトランティック・カウンシルで、大国競争に対処する上での抑止戦略の重要性を説くセミナーを開催した。

彼は「抑止戦略の役割は、敵対者にリスクを警告し、我々の能力を十分に評価した上で紛争を回避するよう促すことだ」と述べた。

さらに、米国の戦略的競争相手である中共は、軍事近代化を終えた後、野心が高まり、米国を凌駕する能力を持つようになっているので、米国は積極的に軍事的コミットメントを高める措置を取らなければならないと付け加えた。

 「中国の冒険的で威圧的な行動を抑止するためには、抑止戦略を実施するだけでなく、追い抜く方法を見つける必要がある。 そのためには、軍事現代化を進めるだけでなく、創造性も必要です」と述べた。

 米・ソ冷戦時に米国の抑止戦略が成功したのは、ソ連指導部が「人命は貴重」「核戦争で国を滅ぼして地球を滅ぼすことはできない」という普遍的価値観の最低ラインを受け入れていたからであり、「冷戦の鉄則」というコンセンサスによって、熱い戦争を回避することに成功した。

 しかし、米・中冷戦になっても同じような結果になるのだろうか。

我々には分からない。重要なのはアメリカではなく、中共にある。

米国の行動準則は決まっている。つまり米・ソ冷戦と同様、自ら核攻撃を仕掛けることはない。

しかし、中共は三つの方面で、ソ連共産党とは全く異なっている。

 第一に、中共は初めから人の命はかけがえがないなどとは思っていない。

それどころか反対に、政権の目先の必要性に応じて、民衆の生命を犠牲にしてきた。

大躍進は大飢饉を生み、数千万人の餓死者を出したのがその一例だ。

天安門事件もしかりだ。

 第二に、毛沢東の「人がいくら死んでも、まだまだ残っている」という観点は共産軍の中にずっと影響を残している。

だから、中共の核戦争への恐れは、ソ連共産党ほどではない。

 第三には、中共党のトップの軍隊に対するコントロール能力は、条件付きだということだ。

軍が軍備拡張を求めるときにブレーキを踏むのが大変難しいのだ。

間違えたら軍隊を管理できず、権力の危機を招きかねない。

 そして、このようにして軍の存続に甘いアプローチをとれば、第2次世界大戦で日本軍部が政府を操作して独自の戦略を勝手に進めたような状況を作り出すことができるのだ。

 軍隊は軍事力を展開することによって、摩擦を意味だし軍備拡張の目的を達成しようとすれば、冷戦はエスカレートし続ける。

そしていったん、局面のコントロールが効かなくなった場合、党のリーダーは軍の意思に従うことになる。他に道はないからだ。

 太平洋戦争の勃発前に、日本の近衛首相は辞職の道を選んで、個人でまだ何とか戦争開始の決断をしないで済んだ。

今後、米・中冷戦の中で、もし共産軍がブレーキをかけようとしなければ、誰がかけられるだろう。

この機能がないということは、まさに中共体制の致命的な弱点なのである。

(終わり)


韓国は虚勢を張らずに米国に仲裁を要請し、日本に協力を要請しなければ、存亡の危機に直面する

2020-11-19 18:02:16 | 日記

昨年、徴用工賠償判決、慰安婦合意破棄、レーダー照射等により韓日関係が悪化したが、日本を訪れた韓国人は750万人に達し、過去最多を記録した。

日韓貿易も日韓関係が悪化するのと裏腹に増加する傾向である。

韓国の歴代大統領は支持率が落ちると必ず反日扇動に傾く。

だが、本音は親日という点でも共通している。

金泳三氏は旧総督府の建物を撤去したが、日帝時代の恩師の子孫を青瓦台(大統領府)に招待して恩返しした。

文在寅氏も反日扇動をしているが、夫人は釜山の茶道学校に通い、娘は日本留学をした。


韓国大統領府Facebookより:編集部

今、韓国では「金泳三は“日本の悪い癖を直さなければ”と妄言して IMF金融危機を招いたが、文在寅は慰安婦合意破棄、徴用工賠償判決で経済危機を招き、国民だけ被害を受けるだろう」という世論が広がりつつある。

もともと、徴用工問題は1965年、日韓国交正常化を妨害しようと朝鮮大学の朴慶植教授が書いた『朝鮮人強制連行の記録』がテキストになり、強制徴用、無賃奴隷労働と、事実が歪曲されてしまった。

まず、朝鮮人徴用工という名称が間違っている。

その多くは1939年から大卒者3倍の給料を得ようと,募集・斡旋に志願した人たちだ。

実際の徴用は44年9月~45年4月まで8カ月間だったが、給料は日本人と同じ金額が支給された。

当時の炭鉱労働者の証言や日記には、飲み過ぎて泥酔したり、花札に興じたり慰安所に出入りしたことが記録されている。

今回、日本の輸出規制強化の原因は、文在寅政権の反日路線と文政権の顔色をうかがう司法府の徴用工賠償判決が火種となった。

1965年の国交正常化に際し、日本は無償3億㌦、有償2億㌦、民間借款3億㌦、合計8億㌦の経済協力資金を韓国に支援。

韓日請求権交渉で、日本が請求権を放棄して韓国に残した財産22億㌦を含めると、韓国は30億㌦を受け取った計算になる。

この資金等の協力が韓国経済成長の肥やしになって貧困を卒業できたわけだ。

さらに、個人請求権は韓国政府が負担することで合意し、朴正煕政権時2回(1975年、77年)、盧武鉉政権時2回(2005年、07年)、“徴用工補償”が行われた。

従って韓国司法府の賠償判決は、国際法と国際常識に反する無理筋といえる。

日本が経済制裁を加えた理由には、安全保障上の理由も大きい。

日本の輸出規制品目である半導体やディスプレイの3素材(フッ化ポリイミド、レジスト、エッチングガス=フッ化水素)のうち、エッチングガスは化学兵器の原料だからだ。

この剤は‪一時、‬韓国に大量輸出されたが、北朝鮮に流出した疑いもある。

日本が輸出規制を本格施行すると、サムスン電子の生産ラインは停止せざるを得ない。

サムスン電子の株式の57%以上が外国人投資であるため、米国も投資損失を被る。韓国経済は致命傷を負うおそれがある。

韓国の携帯電話、精密部品を含む自動車、造船、鉄鋼、重化学製品、生産設備の国産化率は20%に過ぎず、80%が日本製の精密部品、機械、設備、生産ラインだ。

日韓関係の悪化は、中国と北朝鮮が望むものである。

韓米日三角安保協力が崩れると、東アジアの勢力均衡に亀裂が生じ、結局、地域の平和・安全保障秩序が破壊される恐れがある。

オバマ氏は2014年に韓米日首脳会議を手配し、2015年、韓日慰安婦合意の調整役を果たした。

米国は、韓国の安保を左右する同盟国で、日本は韓国経済の存亡を左右する友好国だ。

韓国は虚勢を張らずに米国に仲裁を要請し、日本に協力を要請しなければ、存亡の危機に直面することになろう。

(拓殖大学主任研究員・韓国統一振興院専任教授、元国防省専門委員、分析官歴任)
※本稿は『世界日報』(7月10日)に掲載したコラムに筆者が加筆したものです。

 

「韓国製」の詐称はお家芸 「文大統領」がプッシュするドローンタクシーも外国に依存

2020-11-19 16:53:02 | 日記

「韓国製」の詐称はお家芸 「文大統領」がプッシュするドローンタクシーも外国に依存

「中身は中国製でしょ」と猛批判され


 韓国国土交通部とソウル市は小型無人機ドローンを利用する「空飛ぶタクシー」の飛行実験を行った。

政府は2025年に国産ドローンタクシーの試験運用を開始し、28年の商用化を目指したい考えだが、果たして技術力の問題がその足かせとなっているのだ。

 20年11月11日、韓国国土交通部とソウル市は、ソウル汝矣島(ヨイド)の漢江公園で、中国億航智能社製の2人乗りドローン「億航(EH)216」に80kgの米袋を積んで「K-ドローン管制システム」の実証実験を行った。

「億航216」は最大220キロの人と貨物を載せることができ、最高時速130キロで飛行できる。

 今年5月、中国民間航空局(CAAC)から世界で初めて有人ドローンの試験運用許可を得て、8月にはカナダ運輸省航空局(TCCA)から特別運行証明書(SFOC)を取得した。

 北米で飛行を許された初めての有人ドローンで、中国とカナダで試験飛行を続けている。

 韓国初の「空飛ぶタクシー」は注目を集めたが、マスコミや市民は「K-ドローン管制システムとは名ばかり」で、「中国製ドローンの宣伝ではないか」と批判。

 市は、韓国企業も有人ドローンタクシーを開発中だが、現時点で飛行ができる機体はないため、億航の製品を3億ウォン(約2800万円)で購入したと説明した。

 実証実験イベントでは同時に韓国産ドローンを6台投入して、漢江一帯の交通量調査や橋梁状態のチェック、手紙やグリコ・ポッキーの模倣品である「ペペロ」の配達実演も行ったが、ドローンタクシーの陰に隠れて注目されることはなかった。

 市の交通政策課関係者は、2025年に金浦空港~蚕室(チャムシル)間に試験路線を開設し、28年に商用化路線を構築するという国土部の目標に合わせ、離着陸場の整備や制度を整えるため、飛行可能な中国製ドローンを使用したと説明する。

 国土部も、インフラを構築し、制度を準備するための実験で、外国製かどうかに意味はないと話しているのだが。

■最高時速300キロ、幻の「国産」ドローン開発


 韓国政府は11月13日、ドローン企業の育成や公共分野における韓国製の活用率の引き上げを骨子とするドローン産業育成計画を発表した。

 今年6月時点の韓国ドローン市場規模は4595億ウォン(約430億円)で、16年末と比べて6.5倍に成長したが、公共分野の韓国製ドローンは5割未満にとどまっている。

 聯合ニュースによると、政府は25年までに国を代表するドローン企業を2社、また有望企業20社を育成したい考えで、来年からファンドを活用して技術力を持つ中小企業等を支援する方針だ。

 また、中・大型ドローンを製作する中堅規模以上の企業参入も段階的に承認し、飛行試験場を新設するほか、ドローンの作動や安全性を検証する「実証都市」を22年までに10か所にする計画だ。

 国土部は今年6月4日に実施した第2回革新成長戦略会議で「韓国型都心航空交通(K-UAM)ロードマップ」を発表。

 地上交通の混雑問題を解決する手段として、2025年を目標にドローンタクシーを商用化させ、空路通勤を可能にするという抱負を掲げたが。

 現在、韓国ではハンファシステムと現代自動車がドローンタクシーの開発を進めている。

 両社は「億航216」をはるかに上回る最高時速300キロを目標とし、国土部が初期モデル路線として発表した仁川空港-汝矣島間40kmを15-20分で移動させる計画だ。

 初期運賃は11万ウォン(約1万円)台になる見通しで、国土部は、運賃が高い導入初期は購買力がある空港路線から始まり、商用化の拡大で機体価格が下がれば短距離路線の需要も広がって、交通渋滞の緩和に繋がると皮算用をしている。

 ハンファ財閥グループ筆頭のハンファ(旧・韓国火薬)は韓国軍に兵器を納入している軍需企業で、90年代から韓国軍と共同でドローン開発に取り組んできた。

■「日本依存から脱皮」と沸き立ったが


 ハンファシステムは韓国陸軍のミサイル戦力や起動部隊、特殊任務旅団、個人先端戦闘システムなど、ドローンとロボットを活用した有人・無人の戦闘システムを研究している。

 昨年7月から米国オーバーエアと共同でドローンタクシーの開発に着手、今年7月には韓国空港公社と統合監視・管制・航路運航・離着陸施設・搭乗サービス関連技術を共同で開発する業務協約を締結した。

 ハンファシステムは「K-ドローン管制システム」の会場で、ドローンタクシー「バタフライ」の3分の1サイズの模型を公開した。

「バタフライ」は26年の商用化を目標に掲げている。

 現代自動車も米国の「ウーバー」と共同で開発を進めており、貨物運送用無人機は26年、有人ドローンは28年の商用化を目指している。

 いずれも国土部が試験運行の開始を目論む2025年には間に合わず、開発が延びると、本格運用を目指す28年にも間に合わない。

 仮に予定通りに開発が進んだとしても認証を得るまでさらに時間がかかる可能性は大きい。

 韓国政府は今後、公共機関が新規に購入するドローンの7割以上を韓国製品とし、22年には国産比率を67%に引き上げる目標を掲げている。

 現在、半数近くが国産だと豪語するが、中国製部品を韓国で組み立てたドローンも「韓国製」と呼んでいる。

 2004年、韓国はフランスの技術を導入し、高速鉄道KTXを開業した。

 フランスのTGVをベースとする車両を輸入したほか、輸入した部品で組み立てた自称「国産」車両を製造した。

 また昨年10月15日、韓国メディアは、LGディスプレイがフッ化水素を加工したエッチングガスを100%国産化したという発表を受けて「日本政府の輸出規制から100日余りで日本依存から脱皮」と沸き立った。


■果たして、韓国製ドローンは安全なのだろうか


 しかしそれも、日本から輸入していた最終製品を、物流効率化のため日本の素材を輸入して韓国内で加工する方式に切り替えただけだった。

 サムスンのスマートフォン「ギャラクシー」も、主要部品の多くが日本メーカー製だ。

 韓国政府は来年以降、ソフトウェアを含む核心部品を国内で製作したドローンのみ韓国製として認証する方針だ。

 しかし、ハンファシステムと現代自動車は有人ドローンの開発を米国企業と共同で進めており、完成の目処が立った暁には“韓国製”の基準を変えるかもしれない。

 伝家の宝刀を抜くまでもないお家芸だ。

 果たして、韓国製ドローンは安全なのだろうか。

 韓国はIT先進国で、人材不足に悩まされる日本企業もIT分野を中心に韓国人を採用している。

 韓国の地下鉄事故は茶飯事だが、無人運転路線で大きな事故は起きていない。

 韓国史上最大の海難事故であるセウォル号沈没から2週間余り経過した14年5月2日、ソウル地下鉄2号線で追突事故が発生し、249人が病院に搬送された。

 今年6月11日にも地下鉄4号線上渓駅に停車していた列車に回送列車が追突。

 16年には5号線金浦空港駅で30代の男性が列車とホームの間に挟まって死亡、今年9月7日には1号線で80代の男性が死亡し、11月5日には作業車が脱線するなど、人災事故は頻繁に起きている。

 一方、無人運行路線の新盆唐線はレール工事の欠陥や電力を供給する電線トラブルが数回発生し、議政府軽電鉄も雪氷等で数回停止しているものの、無人運行に起因する事故やトラブルは起きていない。

 米国企業と共同で開発するドローンタクシーは、少なくとも有人飛行よりは安全かもしれない。正しく運用すればだが。

佐々木和義
広告プランナー兼ライター。商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、プランナー兼コピーライターとなる。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い、2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、日系専門広告制作会社を設立し、現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月19日 掲載


台湾の国民党は中国共産党に降伏宣言をするのか?――洪秀柱・習近平党首会談

2020-11-19 16:13:07 | 日記

台湾の国民党は中国共産党に降伏宣言をするのか?――洪秀柱・習近平党首会談

2016年11月1日(火)11時00分

遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)

 

台湾総統選挙に国民党候補として立候補していたときの洪秀柱 Pichi Chuang-REUTERS

 10月30日から大陸を訪問している台湾の洪秀柱国民党主席は、11月1日午後、習近平総書記と会談する。

1945年から始まり未だ停戦協定を結んでいない国共内戦の和平協議を討議するとされているが、政権与党ではないので両岸統一への法的効果はない。

しかし中国の軍事覇権を正当する口実につながる。

国共内戦はまだ終わっていない

 国共内戦とは、「中華民国」時代、国民党と共産党が中国大陸で戦った内戦で、第一次国共内戦(1927年~1937年)と第二次国共内戦(1945年~)とがある。

 第二次国共内戦は、1949年10月1日に毛沢東率いる共産党軍(中国人民解放軍)が勝利して中華人民共和国誕生を宣言すると、その年の12月に蒋介石率いる国民党軍と「中華民国政府」が台湾に撤退することによって、勝敗が決まったかに見えた。

 それでも、1971年10月までは「中国」という国家の代表として国連に加盟していたのは連合国側の一員として日中戦争を戦った国民党の「中華民国」であって、その国民党を倒して誕生した中華人民共和国ではない。

 

しかしキッシンジャーの忍者外交などによる米中接近によって、1971年10月に中華人民共和国が「中国」という国の代表として国連に加盟すると、「中華民国」は国連から脱退し、大陸と台湾は台湾海峡を挟んで対峙したままである。

 

つまり、1949年以降、分断されたままの状況が続いている。

 その意味で、国共内戦は、まだ終わっていないのである。

 国連に加盟すると、中国(中華人民共和国)は「一つの中国」を絶対条件として日米など、多くの国との国交を正常化していった。

 「つの国」を、中台双方で「一中」という呼び方をする。

 1992年に大陸と台湾の両岸政府で交わされた「92コンセンサス」は、「一中各表」という言葉で表現されている。

これは「一つの中国を認めるが、どれがその『中国』なのかは、各自が表明する」という、非常に欺瞞に満ちた、あいまいなものだ。

しかし少なくとも、「台湾独立を主張しない」という意味では「一つの中国」の方向性を持ち、国連加盟国であることと経済規模、国土面積、人口などから考えて、「一つの中国」が実現されれば、台湾は中国に組み込まれることになろう。

「和平協議」を国民党綱領に

 それに対して、台湾の現政権の民進党は、党綱領に「台湾独立(台独)」を謳っている。したがって、「独立」を実行しないものの、「92コンセンサス」を積極的に認めようとはしていない。

 一方、国民党の馬英九政権時代には「92コンセンサス」を積極的に支持して、2015年11月7日にはついに習近平国家主席と当時の馬英九総統がシンガポールで中台トップ会談を行なうなど、分断以来、最接近の事態さえ起きた。

それは人気がなくなった国民党政権が、大陸との経済交流を望む経済界を国民党側に惹きつけようと、総統選挙に備えての下準備でもあった。

 民進党の蔡英文政権が誕生する前の総統選期間中、国民党の立候補者として総統戦に挑んでいた洪秀柱氏は、経済界の人々の票を呼び込むため、「中国大陸と和平協定を結ぶ」という過激な発言までした。

それは「国民党が(中国)共産党に降伏宣言をする」のに等しので、台湾国民の激しい反発を買い、国民党内にさえ反対意見を表明する者が現れた。

 このままでは総統選において民進党に敗北することを恐れた国民党は、朱立倫氏を主席に選んで選挙を乗り切ろうとしたが、総統選(2016年1月)で大敗。

朱立倫氏は責任を取って辞任し、2016年3月28日に洪秀柱氏が国民党主席に選ばれたのだった。

 こうして2016年5月20日に、民進党の蔡英文政権が誕生したのである。

 すると、巻き返しを図ろうとする国民党の洪秀柱主席は、蔡英文政権誕生後に冷え込んでしまった両岸(中台)経済関係に不満を抱く経済界を味方につけ、蔡英文総統との差別化を鮮明にしようと、親中路線をいっそう強化しようとし始めた。

 今年9月4日、台湾の国民党第19回党大会(全国代表大会)第4次全体会議は、党綱領に「積極的に和平協議を討議することによって、両岸の敵対状態を終わらせる可能性」という文言を新たに入れることを決議したのである。

総統選のときには、「和平協議」を唱えたために立候補者から降ろされたのに、党主席に選ばれると、その力を利用して、結局「中国共産党との和議」の方向に動いたわけだ。

 

 ちなみに、中国共産党の党大会と全体会議は、すべて国民党の政治制度に倣(なら)ったものである。

国民党は1919年に誕生し(孫文が中華革命党を改組して結党)、中国共産党は1921年に誕生している。

そのため、「党大会(全国代表大会)」とか「(中央委員会)第○次全体会議」などの呼称が、国民党と共産党との間で対応しているのである。中国共産党が来年ようやく第19回党大会を迎えるのは、建党が2年ほど遅いからだ。

 さて、国民党第19回党大会・第4次全体会議で党綱領に「和平協議」という文言を書き入れることに成功した洪秀柱主席は、「和議協議」という党綱領を持つ党の主席として、中国共産党の習近平総書記と、「党首会談」を行なう決意をすることによって、「和議協議」実現の方向に一歩、踏み出したことになる。

 ただし、「和平協定」を締結してしまうと、「92コンセンサス」の「一中各表」は意味を成さなくなり、新たな両岸関係が生まれ、実質上は「中台統一」に至ってしまう。

野党である国民党党首には「国家」としての権限はない

 11月1日午後(このコラムが公開されるであろう日の午後)、洪秀柱主席は習近平総書記と、「国共党首会談」を行なうことになるが、その会談の場において、「両岸和平協議」に触れ、かつ国民党の綱領に「和平協議」という文言を入れたことを紹介するであろうと言われている。

 「和平協議」は、「国共内戦の講和条約」のような意味を持ち、「内戦は終わりましたね」ということを確認し、実質上、「国民党軍が共産党軍に敗北した」ことを認めることになる。

 ただ、国民党はいま政権与党ではないので、野党がどんなに討議したところで、それは「党同士」の「党首会談」の域を出ない。「国家」として、何かを決議する権限は、国民党にはないのである。したがって、中台間において法律的な効果を発揮することはないと言っていい。

中国の軍事覇権を正当化させる台湾国民党の親中路線

 台湾の世論では、「敵の軍門に降るのか?」とか「チャイナ・マネーに心を売るのか?」といった批判がある。

 そもそも、「日中戦争の時に勇猛果敢に戦ったのは中国共産党軍であり、国民党軍は逃げ回っていた」とする現在の中国共産党に対して、国民党が抗議をすべきなのに、その共産党に迎合するというのは何ごとかという民意がある。

 しかし、党としての立場となると、そこは微妙に違ってくる。

 民進党は国民党を礼賛したくはないので、「いや、国民党こそが中心になって戦ったのであって、共産党軍を率いていた毛沢東は、日本軍と共謀していたではないか」とは言いたくない。国民党に有利になるからだ。

 国民党自身が中共政権に向かって「お前はおかしいだろう!歴史を捏造している!」と叫ばないとすれば、習近平政権としては嬉しくてならないだろう。ますます中国人民および国際社会に向かって、「抗日戦争の中流砥柱(中心となって支える大黒柱)は、中国共産党軍であった」という歴史の捏造を、堂々と行う環境が整ってくるからだ。

 中流砥柱となって戦った国民党がそれを否定しないのなら、他の国が何を言っても怖くない。

 「中国共産党軍こそが、反ファシズム戦争のチャンピオンだった」として、昨年は建国後初めての軍事パレードを行った。

 その先にあるのは、「反ファシズム戦争における戦勝国国としての中国の軍事拡大は正当である」という軍事強国を正当化する中国の覇権戦略なのである。

 洪秀柱主席と習近平総書記の国共党首会談で「和平協議」が討議されようとされまいと、民進党の蔡英文政権に対抗した国民党の親中路線は、中国の軍事力強化に正当性を与えるものであり、日本と無関係ではないことに注目したい。

[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』

 


<シンシン>は春休み6週間で4冊の本を読みレポートを作成

2020-11-19 15:22:31 | 日記

<シンシン>のはるやすみ

<シンシン>は春休み6週間で4冊の本を読みレポートを作成しました。
以下、そのレポートと春休みの反省を記しています。

①鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波現代文庫 2001年
②鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫 2001年
③鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている きみはどうか』潮出版社 2010年
④鶴見俊輔・高橋幸子『教育で想像力を殺すな』明治図書出版 1991年
⑤春休みをふりかえって

『戦時期日本の精神史』レポート

本書は、1931年から45年までの戦時期の日本の精神史の考察である。我々はこの期間を第二次世界大戦や太平洋戦争などと呼び、そのなかで満州事変や上海事変、日支事変、そして真珠湾攻撃や大東亜戦争が起き、加えてそれらはバラバラに起きたものではないことを、歴史の授業において既に習い知っている。

しかし1931年当時、戦争期間に子どもとして育った鶴見氏は満州事変や上海事変、日支事変は、すべてきれぎれの事変として、繋げて考えないように教育されたのである。

それが当時の日本政府の意図であり、これは戦争責任の問題と関係している。

これに関して鶴見氏は「太平洋戦争あるいは大東亜戦争をアメリカに対する戦争とみなして、この部分はまずかったというふうにとらえる戦争観では、この戦争の構造をとらえることができないと思うからだ。

これでは、日本人にとって戦争の責任がぼかされてしまう」と述べており、これは、日本が終戦ではなく敗戦として、負けた戦争として戦争について考えていくべきであるということである。

このことから鶴見氏はこの戦争を15年戦争と呼び、歴史上の事柄としてひとつの繋がりのあるものとしてとらえている。

また鶴見氏は戦時期日本のファシズム支配下の日本人知識の軌跡と通して「転向」という言葉について言及している。

この転向の事実に近づくための道筋のひとつとして、日本共産党が、党員から転向者が出てきたというものがある。

これは現在の党から離れたものは転向であり、裏切りであり、さらにまた現状について科学的把握の失敗であるとみなすものである。

日本共産党は、この転向という現象を1930年代の日本に起こった現象をさすだけにかぎり、それは絶対主義的半封建的資本主義的天皇制と共産党員との闘争のなかで起こった事柄であると考えている。

この場合の転向とは、天皇制の権力に屈服して1930年代の日本の状況の科学的把握に失敗した急進主義者たちの間違った考えをさすものである。

一方吉本隆明は、転向について、上記した見方とは別のアプローチをとっており、転向とは、近代日本の社会構造に自分自身を投入して考えることに失敗した結果、知識人のあいだに起こった観点の移動であると考えた。

この定義から鶴見氏は、転向について、国家の強制力行使の結果として、個人あるいは個人の集団に起こる思想の変化であるととらえている。

日本共産党が定義していた転向=裏切りについては、裏切りという言葉を用いてしまうと、その誤謬のなかにある真理を掬い出す機会を失うことになると述べている。

鶴見氏は日本の戦時精神史に近づくときのやり方として、転向に注意することを本書で述べており、転向研究に価値があると考えているのは、まちがいのなかに含まれている真実の方が、真実のなかに含まれている真実より大切であると考えているからである。

我々は間違いを通して得ることのできた真理こそが、役にたつ真実の核心をなすものなのである。

鶴見氏は論語「過を観て、すなわちその仁を知る」を引用し、転向の結果として現れたさまざまな思想の中から実りあるものを明らかにしたいという希望をもっている。

15年戦争の間に日本を支配していたものは軍国主義とファシズムであり、政府は日本自身の内部で社会改革を行って困難を解決する方法を避け、軍事力によって国外に進出する道を選んだ。

これが政府によってとられた国策であり、この国策を理論によって正当化することが、政府が日本の知識人に課した任務であった。

この目的のため政府は投獄を含むさまざまな強制力を用いたが、一方で方法的に有効であったのが、日本人にとって長期にわたる伝統となっていた鎖国性である。

日本は、周りを海に囲まれた島国であり、大地の上に引かれた国境線によって囲まれた経験がないため、民族としてのまとまりが努力することなしに、団結することができる。

同じ言語を話し、同種の身振りの記号体系によって結び付けられているということで、自己完結的な性格を生み出した。

これが日本人の鎖国性である。

そして世論は、隣組制度を導入したことをきっかけとして、流言と自由な思想表現を統制し、画一化していくのである。

日本の伝統は、あらゆる場所とあらゆる時代を通して同じ仕方で結びつけるような、人間を縛るような普遍的断定を避けることを特徴としている。

この消極的性格が、日本思想の強みであり、これが西洋諸国の知的諸国の基準においてあまり尊敬されてこなかった、知性のあり方なのである。

本書を読むことで、伝統的な思想に加え、西洋の華族制度、大学入試制度の導入、15年戦争のなかでの共同声明や転向により変化する戦時期の日本人の思想を、明治維新から敗戦の流れのなかで学ぶことができた。

『戦後日本の大衆文化史』レポート

鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史』(2001、岩波現代文庫)は、カナダのマッギル大学で著者が1980年1月から3月にかけておこなった講義を底本にしたものであり、『戦時期日本の精神史』(2001、岩波現代文庫)の続編である。

 全9篇からなる本書の冒頭の2篇は

「占領―押しつけられたものとしての米国風生活様式」

「占領と正義の感覚について」というテーマにおいて、15年戦争が終わり、その後の米国による1945年から1952年にかけての占領時代が、どのような影響を日本にあたえたか論じている。

前者のテーマでは、食料、男女関係にかかわるライフスタイル、そして正義の感覚について考察している。

特に男女関係にかかわるライフスタイルについて、占領軍は日本人に大きな変化をあたえており、戦時中は公開されていなかったアメリカ映画が戦後日本に大量に輸入されたこと、加えて米国の兵隊が駐屯しているような都会では、日常生活を送るアメリカ人のしぐさを街角に見ることができたことが理由として挙げられる。

特に男性と女性が肩を並べて歩くことはこれまで日本人にとって尋問にあったりいじめられたりする対象であったが、男女が肩を並べて歩くことは今日では一般的なことである。

また正義の感覚については、本書23頁で「米国政府が占領を通して日本に植え付けようとした新しい正義の感覚は、これに従うのが当時の敗戦国民としては必要だと考えられたとしても、それを心から受け入れる風であったかどうかは疑わしい」と述べているように、占領軍の指し示す新しい価値基準が、世界人類にとって受け入れられる正しいものであり、普遍的価値基準になるというのは受け入れがたいことである。

「普通の日本人が征服者を見る目は、征服者が自分たち自身を見る目とは違っている」と鶴見氏はまとめている。

そしてこの正義の感覚については、第2篇で戦争裁判に焦点を絞り論じられている。

戦争裁判とは1946年5月3日に始まり、1948年11月12日に終わった極東国際軍事裁判のことである。

戦後で情報を伝えるラジオがほとんどない当時、裁判の情報は主として人の口を通じて噂話のように伝えられ、しかし南京虐殺や日本軍によって行われた様々な残虐行為が裁判を通じて日本国民に知れ渡ることとなり、また日本の旧指導者たちを文明の名によって告訴すること、つまり日本の旧指導者と日本が行ったことは文明からはずれた無知で古い価値観であること、旧指導者のうち7人が死刑に処されたこと、そして天皇は法廷に呼ばれなかったことも同時に日本国民は知ることとなった。

そのため当時の戦争裁判に対する見方は、現在のものとは異なっていることを鶴見氏は述べている。

天皇は法律上の理由ではなく政治上の理由で軍事法廷には呼ばれず、これにより戦争裁判は、戦勝者の祭壇に生贄の羊=旧指導者たちを捧げる儀式としての性格を与えることになる。

戦時中のすべての命令が天皇の名によって下されていたためである。

しかし一方で天皇が戦争裁判に呼ばれなかったということは、日本国民の大多数によって安心感を与え、同時に、この事実は戦争責任に対する裁判をするという論理そのものの否定であると感じさせたのである。

鶴見氏はこの二重の意味づけを、戦争裁判に対する日本人の反応の最も重要な部分であるとしている。

占領軍が無条件に天皇を残すことによって、日本では支配する個人がその決定に対して責任をとらなくてよいという信念が成立し、しかしこれによって戦争中の政治責任について日本人のもっている感情は、運の悪い人たちだけが捕まって責任をとらせられたという考えと結びついたぼんやりとした不信の念となっている。

実際、太平洋の様々な諸領域で行われた裁判は、本来であればそれらの国々の言葉と日本語をともによく知っている人を通訳として行わなければならないものを、これらが大変貧弱であったため被告にとっては理解することのできない理由で多くの人たちが告訴され、そして何人もが死刑に処されたのである。

そのあとの章では、戦後日本の個別風俗として「漫画」、「大河ドラマ」、「連続テレビ小説」、「紅白歌合戦」、「流行歌」などを取り上げ、論じている。

これについて鷲田清一は「山の裾野の自分の出会った一点から考えていくというやりかた」と鶴見氏の『限界芸術論』から抜粋し、鶴見氏の思考を「限界哲学」と名付けている。

これは「まがいものであってもいい。まがいものであっても、それをとおして今、自分の言いたいことを、ともかくも言いつづけていく」「戦後の日本の純文学と大衆文学、右翼と左翼との対立を見わたす視野がここにひらけている」という思考からである。

江戸、戦前から占領期を経て、客寄や唱歌、広告、漫画、サークル活動といった鶴見氏のいう「山の裾野」に着目し、今日にいたっては懐かしいとされるピンクレディーやがきデカにも焦点を当てることで、戦後の大衆に寄り添った文化史のまとめとなっている。

『ぼくはこう生きている きみはどうか』レポート

『ぼくはこう生きている きみはどうか』(2015年 潮出版社)は、哲学者鶴見俊輔と小説家重松清の対談をまとまたもので、全5章からなっている。

1、2、3、5章は日露戦争後の日本における教育、家庭、友情、師弟に関する変化や問題点を、4章では鶴見俊輔の姉鶴見和子を取り上げ、老いに関して対談している。

まず前者の、日露戦争以後の日本における教育、家庭、友情、師弟に関する変化や問題点に関して、「共同体」が日本社会に無くなってきたことを根本の原因として挙げられる。

本書ではこの「共同体」を「ゲマインシャフト」と呼んでおり、ゲマインシャフトはドイツ語でいう共同体で、地縁や血縁などにより自然に発生した社会集団を指している。

日露戦争に日本が勝利した1905年以降、日本にも大学が設置され、それぞれの学校に入学試験が課されるようになった。

すると、社会全体で学校の成績や学歴によってその人がエリートかどうかを判断し価値基準を決めるようになった。

鶴見俊輔は若槻礼次郎の、両親がいない彼を支援し東京に行かせたのは郷土の人々であったことを例に挙げこれを論じており、この郷土の人々が行った支援こそがゲマインシャフトであるとしている。

また西郷隆盛や坂本龍馬、大久保利通なども挙げ、彼らが郷士や下級藩士であったのにも関わらず、優れた指導者となったのは特徴のひとつとしてもゲマインシャフトを挙げている。

一国のリーダーシップが共同体から生まれ、共同体の空気をもって、というのは日本にしかない特徴である。

加えてエリートについて、夏目漱石や森鴎外などを例に挙げて現在の日本人留学生と比較している。

本来留学とは自分が出した問題について追究するためにするものであるのに対し、現在はおもにアメリカ人が出した問題に対し有力な仮説を持ち帰り、形を変え証明するためだけのものとして問題視している。

これでは国家を支える本当の意味での「人材」は生まれず、教育が「箱モノ」になってしまうとしている。

「箱モノ」の教育は子どもたちを楽に教育し、また管轄しやすいものであるが、この箱におさめてしまうことで、思索を前進させることを阻んでしまっているのである。

思索を進めるには箱からこぼれることがその始まりであるとしているが、現在の教育制度ではこれは難しくなってきている。

そしてこの背景には1905年以後の入試制度導入、またそれに伴う成績重視の価値判断が原因であると考えられる。

家庭、友情に関しては上記したゲマインシャフト、共同体の消失により浮上した様々な問題を挙げている。

家庭に関して、鶴見俊輔は自身の経験や文豪などを例に挙げ、血縁関係にない人物(法律でいう「その他の関係」)が家庭内に入り込むことによって家庭が生き生きとしてくることを論じている。

共同体が幅広く、また上辺だけのものになること、また学歴社会が進むことによって、親子関係がより良い意味ではない密着性が生まれ、子どもが圧迫感を感じてしまうことを問題視している。

「その他の関係」によって子どもの発散場所を作ってあげることが望ましく、核家族や少子高齢化が進むことによってそれは今後ますます重要になってくるのである。

これは子どもの友情に関する問題とも繋がっており、「その他の関係」が子どもを支えてあげることが出来れば、たとえ子どもが学校のなかでいじめに遭い孤独になったとしても、現代のように自殺に繋がる可能性は低い。

また「路地の消失」も、友達ができない等の現代の子どもならではの悩みを生むきっかけになったのではないかと挙げている。

「路地」とは日本固有の子どもたちのための遊び場で、年齢差も点差もなく遊べる場所のことで、そこには年上の者が年下の者を気遣い、柔軟に遊びのルールを決め皆で遊ぶ、というような文化があった。

しかし現代ではその路地は消失し、もともとの決め事に自らが沿っていかないとその集団から排除されてしまうという問題がある。

少し前に「KY」=「空気を読めない」という言葉が若者たちの間で流行ったように、周りにうまく合わせなければ除外されてしまうが、今の子どもたちの社会なのである。

本書を読んで、一貫して感じたことは、「共同体」の重要性である。

それは現代の地域のコミュニティなどとは性質が違ったものであり、お互いがお互いを認め合ったり、柔軟に受け入れていくものである。

共同体とは、大衆のなかから優れた指導者を出すことができたり(これは学歴社会のなかから生まれた現代のエリートとは異なっている)、子どもが家庭のみならずその共同体全体で上辺ではなく支援することができる。

現代とは違う狭い共同体だからこそ、お互いをよく知ることが出来るため、そこに信頼関係が生まれるのである。

そうした共同体は今やなくなり、私自身も「良い大学に入りなさい」と両親に言われ、家庭内で圧迫され上京した身である。

共同体の崩壊と、成績重視の教育制度は、今や日本社会において見直さなければならない問題である。

教育で想像力を殺すな』レポート

『教育で想像力を殺すな』(1991年、明治図書出版)は、全11章をそれぞれの人物が当時の教育について考えたものである。

執筆者のなかには大学生や手地学者、公務員、主婦、工員などさまざまである。

今回は本書をもとに現在の教育について考え、考察していきたい。

まず1章の、三室勇著「人を殺さないですむ想像力」について、この章で彼は、現代の教育について、現代の高校進学率が95%という数値は、高校くらい出ていないと食べていけないという恐怖心から生み出された数値である、と述べている。

この文章が書かれたのは1991年のことであるが、現在では高校進学率は全国平均で98%となっている(文部科学省「学校基本調査」よりデータ引用)。

また高校卒業後の進学率については、昭和末期に比べると約15%上がっており、1991年は特に大学進学率が上がってきた年であり、その数値は2015年現在でも若干の成長がみられる。

しかし、大学、短期大学、専門学校の中途退学者数は日経ビジネスの調査によると例えば1994年には3万人であったのが2004年になると5万人に増えているという結果も一方である。

進学をしなければ食べていけない、というのはつまり、進学をしなければ就職が出来ず、就職が出来なければ稼ぐことができないため、結果的に生きていけない、ということであると考えられる。

働くにはある一定の学力や成績がないといけない、ということである。

そのため進学率がどんどん伸びたと考えられるが、一方で中途退学者数も伸びている。

これは、学生もとい子どもたちが、成績や能力主義に追い込まれ過ぎた結果なのではないかと考える。

「大学に入りさえすればよい」「より知名度、偏差値の高い大学入れ」、子どもたちは決まり文句のように両親や教師を含んだ大人たちに言われ、しかし大学に行く意味や勉強をする意味を問うと答えてくれる大人は少ない。

「就職に困る」などの理由は表面上の理由でしかなく、現に大学に行かなくとも生きていける。

では何故大学に行って就職をするのか。私は社会的地位を獲得するためではないかと考える。

履歴書には必ず学歴を記入する欄があり、また若者同士の集いにおいても、相手のプロフィールを知るためにまず学生かどうか、続いてどこの大学かどうか、というやりとりが多くされる。

もはや学歴は自己のアイデンティティになりつつあるのではないか。

「大学に入るための勉強」を強いられ、そこから自由になった学生は、自由に生きる生き方を学んできたわけではない。

そのため、その強いられて行った結果手に入れたものを自己のアイデンティティとするしかない。

これは、三室氏が引用していた「教科書がそっくり頭の中に引っ越しをするような」教育の末路なのかもしれない。

6章「赤毛のアンを手がかりに」において、鶴見俊輔が「すぐれた教師は、ペスタロッチにしても、芦田恵之介にしても、小学校でビリに近いところにおかれていたこどもたちの中からそだった。

教室の中のその位置が、教師に適切な、こどもへの想像力をやしなうにふさわしい温床をあたえる。」と述べている。

現代の教育はどんどんデータによって統制管理されてるようになってきており、教育の場は学校だけに留まらず、個人塾や集団塾にも拡がり、今や塾に通っていない子どもの方が珍しい。

実際に神奈川県川崎市のある中学校では「この辺りは君たちも塾で習っているであろうから、学校ではやりません」と宣言した教師もいたほどである。

塾の歴史は平安時代にまで遡ることができるが、現在のような学習塾形態が出来上がったのは戦後の1960年、いわゆる受験戦争が始まりだした頃のことである。

しかし一方で鶴見氏が述べている「すぐれた教師」というのは当時は受験戦争を勝ち残れるなどと思えない人物である。

彼のいう「教室の中のその位置」というのは、勉強においてはあまり教師や同級生の目を引くことがない位置であると考える。

つまり、管理統制されない位置、である。

その点では管理統制下に子どもを置いている現代とは真逆の位置といえ、また管理統制することが必ずしも子どもにとって良い影響を与えられるかと言えばそうではないことを示唆している。

成績だけでその子自身を判断してしまう、前段落でもあげた成績、能力主義は子どもが彼、彼女らしくのびのびと生きる弊害になっているのではないか。

成績だけで良し悪しをつけられた子どもたちが大人になり、今度は自分たちが子どもを教育する立場となったとき、本当に子どもに必要なものはなにか、というものが分からなくなってしまう。

答えがひとつである勉強の仕方、試験によって点数をだし成績をつける教育は、思考力を奪い続け、やがては周りに流されやすく、マニュアルやデータを信頼し過ぎる人物を完成させてしまう。

そのため、教科書を暗記させる教育ではなく、考える教育にしていくべきなのではないかと私は考える。

春休みをふりかえって

全6週かけて4冊の本を読むことを目標にし、なんとかすべて期限内に読み切りレポートを作成することは出来たが、前半の2冊は「提出」することが目標となってしまい、理解が不十分なままレポートを作成してしまった。

そのためレポートの内容としてもまとめきれておらず、分かる範囲を都合よくまとめたものになってしまった。

後半の2冊からはそれに気が付くことが出来たので、読んで理解することを意識し読み進めることが出来た。

春休み序盤の計画を立てているときは、計画的に進められると思っていたが、思い通りに予定が進まず、結局提出期限ぎりぎりまでレポートをやることが多かった。

自分の力を過信していたのだと思う。

1冊の本に対してもう少し長い時間をかけて向き合っていけばよかった。

前半の2冊に関しては本当に「提出」が目標となってしまっていた。

バイト先の後輩に「その本面白そうですね」と言われたことをきっかけに、中途半端に取り組むことは体力と時間の無駄であり、学ぶことを楽しんで読んでいかなければ何も身につかないことに気付くことが出来た。

3冊目の週は海外に行ってしまったので、やっぱりバタバタしてしまったが、課題と向き合う自分の姿勢は変わったように思う。

「くるたのしい」課題の取り組み方を再確認できた春休みであった。