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韓国がこれから直面する「IMF危機以上」の地獄

2020-11-14 18:12:52 | 日記

韓国がこれから直面する「IMF危機以上」の地獄

3月20日(金)6時0分 JBpres

 

3月16日、大統領府でビジネス界のトップ、労働界のリーダーらと新型コロナ対策について話し合った文在寅大統領(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

中国・武漢から広がり、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルス禍だが、日本と韓国では、新型コロナの新たな感染者数は抑制的に推移するようになり、両国の国内的関心は経済問題に向かい始めている。

これまでは、「経済を多少犠牲にしても、感染者の広がりを抑えるのを優先させるべき」との考えが支配的であったが、最近では、「新型コロナを完全に撲滅させることは困難なので、いかに広がりを抑えつつ経済活動を再開していくか」に関心が移りつつある。

特に韓国では、大邱における集団感染は一段落し始めているのだが、経済の混乱が極めて深刻な状況になりつつある。

もともと文政権になってからの経済政策失敗により経済界が疲弊していたが、そこに新型コロナによるダメージが畳みかけて来た。

新型コロナによって受けるダメージは日本よりも甚大なものになるだろう。

その現状を、主として中央日報・韓国経済新聞の記事をベースに、過去の経済危機とも比較しつつ分析してみたい。

「経済的死亡が恐ろしい」

中央日報に「経済的死亡がもっと恐ろしいかもしれない」というコラムが掲載された。

1997年のIMF危機当時、金融監督委員長に任命され、企業構造調整を指揮した李憲宰元経済副首相は、危機解決者と韓国では呼ばれている。

その李副首相は2012年に回顧録で「持たない人に危機はさらに苛酷なものだ。

家を売り車を売り危機をどうにか耐え忍んでみたら、待っているのはさらに貧しくなった暮らしだ」と当時の様子を記しているが、今回の危機を受け、改めて中央日報に対し「医学的死亡(medical death)だけが深刻なのではない。

経済的死亡(economic death)が始まるだろう」と述べ、「数十万人が崖っぷちに追いやられるだろう」との警告を発したというのだ。

IMF危機が東南アジアの国々に広がった1997年7月、韓国政府は当初「ファンダメンタルズ(基礎体力)は大丈夫だ」として、安穏と構えていた。

当時の経済成長率は直前まで年8%台に達していたのだ。

しかし、「輸出主導経済」である韓国で同年上半期の経常収支が92億ドルの赤字であることを確認した外国人投資家は「韓国は危険」と判断、資金の回収に乗り出したため、外為市場と証券市場が一気に大揺れとなり、大企業が相次いで倒産した。

IMF危機当時より悪い韓国経済の状況

現在の韓国経済の状況は、文在寅政権の経済政策の失敗のお陰で、2007年のIMF危機当時より深刻と言える。

まず昨年の韓国のGDP成長率は2.0%と辛うじて2%台を維持したが、これは60年代後半の「漢江の奇跡」以降、世界経済危機の時を除き最低水準だった。

しかもこの2%のうち公的部門の貢献は1.5%であり、民間部門の貢献は0.5%とほぼ横ばい状態なのである。

そもそもこのような経済状況下にあったのに、今回の新型コロナによる世界的な混乱により、韓国の経常収支は急激に悪化している。

これは、経常黒字のうち最も大きな割合を占める貿易黒字が減少しているためだ。

産業通商資源部によると先月の1日平均輸出額は18億3000万ドルで、前年比11.7%も急減した。この衝撃は今後さらに大きくなる可能性が大きい。

経常収支の悪化が外為市場を直撃

3月17日のウォン相場は、前日より17.50ウォン安ドル高となる1ドル=1243.50ウォンで取引を終えた。

それまで4取引日連続でウォンが下落した。

1240ウォン台を記録したのは約10年ぶりだ。

外国人の株式売りに伴うドル送金、新興国の通貨安などが影響したものだ。

韓国ウォンが1200ドルを割り込むと下落に歯止めが利かなくなる恐れがあると言われている。

韓国から資金流出が起きるのは、短期対外債務(1年以内に満期が到来する債務)比率が約34%と2015年以降で最も高い水準にあるためだ。

1997年の通貨危機当時も短期対外債務の割合が上がり、日系資金の流出が始まり、その後多くの外国人投資家が一気に資金を回収し韓国の通貨危機が始まった。

世宗大学経営学部の金デジョン教授は、「新型肺炎で世界的なドル不足、韓日と韓米の通貨スワップ拒否、韓国の短期対外債務比率上昇、75%と高い貿易依存度そして新興国のデフォルトなど国際金融市場の不確実性が増している。

最も重要なのは日米との通貨スワップの締結だ」と述べている。

日韓通貨スワップ協定については、よく知られているように2015年2月に期限が終了した。

延長するという選択肢もあったが、日本からは積極的に働きかけなかったし、当時経済状況が良かった韓国側は「延長しなくても、悪影響はない」としていた。

こうして日韓間の通貨スワップは終了したが、万が一の時のためのセーフティーガードとしてあるに越したことはない。

そのため再締結を模索する動きもあったが、2017年1月、韓国の市民団体が釜山の日本領事館前に慰安婦像を設置したことを受け、菅義偉官房長官は通貨スワップ協定に向けた協議の打ち切りなどを決定。現在も、その状態が続いている。

新型コロナの世界的蔓延が韓国経済に与える激震

韓国国内を見れば、新型コロナウイルへの感染者は減少してきているが、経済状況はこれから深刻な状況に陥ることになるだろう。

その大きな原因は世界的な感染拡大に伴う、各国政府の国境封鎖、移動制限、商店の閉鎖といった新型コロナ封じ込め政策である。

こうした「シャットダウン」の余波で米国と欧州の日常生活と経済活動はマヒしている。

韓国はその影響をもろに受けることになる。

韓国の産業界は、サムスン電子や現代自動車など主要企業の売り上げの半分以上が米国と欧州であるだけに、業績が大きな打撃を受けると懸念されているのだ。

たとえば世界の1-3月期テレビ販売台数が昨年より87%減ると予想されている。

第5世代(5G)とともに成長が予想されたスマートフォン市場も1-3月期の販売台数が昨年より26.6%減ると予想されている。また現代自動車の中国での売り上げは先月97.4%減となった。

原油価格の急落で、1-2月の世界造船受注は昨年より76%急減。

中東地域の建設事業でも工事代金の回収後れや受注取り消しの可能性が高まっている。

国際原油価格急落により、今後、中東やロシアなどの産油国への輸出も急減する可能性が高い。

観光などサービス収入なども大きな打撃を受けている。輸出企業では「積み出す船も貨物もない」という状況という。

中小規模の船会社は厳しい経営事情の中で運賃までが大きく下落し、倒産危機に追い込まれている。

こうした状況を受け、大手企業の収益は急激に悪化している。1-3月期の営業利益予想値は、SKが−40%、ロッテが−37%、ポスコが−26%、LGが−25%などという惨状だ。

危機的状況にあるのは輸出だけはない。

各国の「韓国人入国禁止と制限」は海外事業にも赤信号を点灯させた。

韓国からの入国を制限している国は16日現在130カ国であり、韓国の10大輸出国のうち米国を除く9カ国が入国を制限している。

特に、ショックだったのがベトナムの対応であろう。

ベトナムへの外国人投資で最大の国は韓国であり、しかもそのトップであるサムソン電子の李在溶副会長が出席する予定であったモバイル研究開発センターの起工式が、ベトナム政府による突然のノービザ入国中断のため開催できなくなったのだ。

今後韓国のビジネスマンの出張、協議が大幅に制限される可能性が出てきている。

新型コロナによるダメージは、大手企業よりも自営業者や中小企業に致命傷を負わせることになる。

韓国経済は、もともと17年9月を頂点として下降局面を継続していた。政府の「所得主導成長政策」が消費と投資を抑え込んでしまっているのが要因であった。

韓国では就業者に占める自営業者(特に零細自営業者)とその家族の割合が高く、全就業者の25%を占めている。

文政権の所得主導成長政策が始まってから、自営業者の廃業は急増し、18年には100万人を超えた模様である。

これに追い打ちをかけるのが、新型コロナウイルスである。自営業者などの小商工人たちは、売り上げの急減で、店舗の賃貸料や従業員の給与が払えなくなり、連鎖倒産の懸念が高まっている。

新型コロナの長期化で、自主休業に入ったり営業時間の短縮を行ったりするところが急増している。政府は小商工人対策として3兆2000億ウォンの経営安定資金の融資を約束したが、信用度低下で融資を受けらえない人も多く、審査にも時間がかかっているようだ。

生計費補助など実質的支援が必要との声が高まっている。

また、2月27日に中小企業中央会が中小企業300社を対象に実施した調査によると、70.3%が直接的、間接的に被害を受けていると答えている。

中国からの原材料や副材料の供給が中断・遅延された上に価格が上昇したことが、中小企業の経営にマイナスの影響を与えている。

株安は韓国実体経済の悲観的見通を反映

ウォン安と並んで韓国の金融市場を混乱させているのが、株安であり、これは韓国の実体経済の現状をもっともよく反映している。

外国人投資家は新型コロナが問題となっていらい、韓国の証券市場で10兆ウォン以上株を売却した。

こうした流れを受け、韓国銀行は16日、2008年金融危機以来となる臨時金融通貨委員会を開き、政策金利の基準金利を電撃的に0.5%引き下げ0.75%とした。

金利0%台となるのは初めてのことである。

しかし、それでも株価の下落を止めることはできず、18日の韓国総合指数は4.86%下落して1600を割り、19日にはさらに8.39%下落して1457となった。

株安は国内金融資産の大幅減少を招き、通貨安を招いている資本の海外逃避と合わせ、信用収縮を招くことになり、韓国の実体経済を一層悪化させる。

韓国政府の財政出動は有効か

もはや金融政策だけでは、韓国経済の悪化を止めることはできず、財政面からのテコ入れが不可欠であることが明白となった。

しかし、ここで文政権による経済政策の失敗、放漫財政の付けが回ってきている。

グローバル金融危機を迎えていた2009年3月、韓国政府は28兆4000億ウォンの補正予算を編成した。

これは同年の本予算の10%に上る規模であり、今年新型コロナ対策として編成した補正予算11兆7000億ウォンの倍以上である。

それでも韓国の財政健全性には問題はなかった。国家負債が低い水準に抑えられていたからである。

しかし、文在寅政権の財政支出は膨張の一途をたどってきた。

18年432兆ウォンから20年520兆ウォンへと21%ほど増加した。

この間、財政支出の増加率は、経常成長率(実質成長率+物価)を大幅に上回ってきた。

昨年で見ればそれぞれ財政支出の増加率が9.9%であるのに対し、経常成長率は1.1%に過ぎない。

中央・地方の負債は18年の680兆ウォンから今年は815兆ウォンに増大する。

文政権はこれまで総選挙を意識したバラマキ政策で、経済政策失敗の穴埋めをしてきた。そのツケが非常時に回ってきたのである。

文在寅政権の下の経済政策が、金融・財政の健全性を低下させ、新型コロナへの有効な対策を困難にしている。

文政権は、これまでもそれなりに経済対策を行ってきたが実効性は低かった。

中小商工人を対象とした低金利融資は審査に2〜3カ月かかるという。

追加補正予算を出すというが、それは財政の健全性一層悪化させかねない。

さらに、急激に低下した財政健全性が経常収支など対外健全性の低下と重なる場合、「格付けの低下」を招く恐れが高くなる。

そうなれば、政府・企業の外貨調達費用の増加⇒対外健全性のさらなる悪化⇒ウォン安ドル高⇒外国資本の流出拡大といった悪循環につながってしまう。

実体経済の悪化がさらに進み、それが金融危機となれば、韓国経済の回復は一層困難な道となろう。

文在寅大統領は主要経済主体招待円卓会議で「経済危機長期化の可能性が高い」「連帯・協力の力を信じる」などと述べている。

また、企画財政部の金容範(キム・ヨンボム)次官は16日、ソウル銀行会館でマクロ経済金融会議を開き、

「過去の感染症事例で現れたグローバル経済の一時的衝撃後に反騰するいわゆるV字回復は容易でない」

「U字型、さらにはL字型まで懸念される」と述べた。

ソウル大学のキム・ソヨン教授は

「実物経済が先に厳しくなり、金融圏に転移する可能性が高い」

「2008年の金融危機よりも厳しく、これまでになかった状況」と述べている。

文在寅大統領ら政権幹部はいまただならぬ緊張感の下で経済政策の操縦桿を握っているに違いない。

文在寅大統領は、17日の閣議で「未曽有の非常経済時局」と述べた。

新型コロナによるダメージだけならまだ乗り切れる余地はあったかもしれない。

だが、それに耐えうるだけの体力は、それまでの文在寅大統領の経済政策により奪われてしまっていた。

それが事態をより深刻化させている。文政権の手詰まり感は否めない。

筆者:武藤 正敏


韓国ウォンの暴落と通貨危機は再び起こるのか

2020-11-14 17:29:37 | 日記
2020年08月03日 17:23

韓国ウォンの暴落と通貨危機は再び起こるのか(前)

日韓ビジネスコンサルタント 劉 明鎬 氏

韓国経済がおかれている環境は、厳しさを増している。

まず、昨年から起こっている米中貿易摩擦により、韓国経済は大きなダメージを受けてきた。

米中貿易摩擦がますます激化しており、韓国経済はもちろんのこと、世界経済を失速させている。

韓国の輸出は、米国による中国への露骨なけん制で中国経済が低迷している影響を大きく受けている。

中国から米国への輸出が減少すると、韓国から中国への輸出も自然に減少することが原因だ。経済を大きく輸出に依存している韓国にとっては、試練の時期である。

そのような状況のなか、今年1月から全世界に新型コロナウイルスの感染が拡大し、サプライチェーンの崩壊を招くとともに、航空産業、旅行業、小売業などを中心に、売上が大幅に減少し、「雇用破壊」が進んでいる。

さらに、韓国と日本の関係は悪化の一途をたどっており、もし韓国政府が日系企業の資産売却に踏み込むと、そのことが引き金となり、韓国では通貨危機が起こりかねない状況だ。

今回は、ウォンの暴落と通貨危機が現実のものとして発生する可能性について検討を加える。

資金の需要が高い韓国で、ウォン通貨が抱える問題

 

韓国では今でも資金の需要が高いため、不足している資金を外国から調達することが多い。

韓国の経常収支の黒字は年間数百億ドル規模である一方で、海外からの短期借入金は年間1,000億ドルの水準で推移していることから、資金調達が必要なことがよくわかる。

海外からの借入はドル建てのため、もし韓国経済が悪化するとウォンの価値が下がり、債務の負担は瞬時に増加するだろう。

さらに、投資家もリスクを回避するために、韓国の株式や債券を処分して資金を本国に還流させるため、ウォン売りがますます加速するだろう。

それでは、ウォンの暴落や韓国の通貨危機がなぜ、懸念されているのか。

まず、ウォンという通貨が抱えている根本的な問題が原因だ。

韓国に海外から入ってくる資金は、企業への直接投資を目的とした長期資金より、インカムゲイン(株式の配当金や債券の利子など)の獲得などを目的とした短期資金が多い

短期資金は、経済が不安定になると、流動性を懸念してすぐに回収されることが多いため、「逃げ足の速い資金」である。

経済が不安定になると、安全な場所を目指して資金を本国に戻す動きがいっせいに出て、歯止めがかからなくなることもある。

そうなると、ウォンは売られ、ウォンの暴落が現実のものとなるだろう。もしウォンが暴落すると、韓国が1997年に経験したアジア通貨危機のように、債務の支払いが不可能になるだろう。

ウォンが抱えているもう1つの限界は、ウォンは基軸通貨ではなく、流動性がほとんどなく他国の通貨と自由に交換できないローカルカレンシーという点である。

ウォンは世界中のどこでも使える通貨ではなく、取引量も限定されている通貨のため、世界経済が不安定になると敬遠されがちになるが、その信用力の弱さをカバーする役割を日本が担っている。

しかし、日韓関係が冷え込んでいて、日本からそのような協力を得られない今の状況は、韓国経済にとって危機的な状況であるといえる。

さらに韓国は、金融取引の規制が緩い。

アジア通貨危機の際に、外国資本を呼び込むためにほとんど規制を撤廃し、金融市場を自由化した。

その結果、世界で資本の出入りがもっとも自由な国になった。

金融取引の規制が緩いことは、景気の良い時には、資金を呼び込むための効果的な施策となるが、景気が悪くなると、金融市場を不安定にさせる要因にもなる。

韓国ウォンの暴落と通貨危機は再び起こるのか(後)

日韓ビジネスコンサルタント 劉 明鎬 氏

ウォンの暴落を防ぐための通貨スワップ協定のゆくえ

韓国政府は、急激なウォン安が起こらないように、どのような対策をしているのだろうか。それは、為替介入である。

韓国政府はウォンの暴落を防ぐため、ドルを売り、ウォンを買う為替介入を行うためにも、十分な外貨準備高や他国との通貨スワップ協定が必要になるわけだ。

韓国の中央銀行である韓国銀行が保有している6月末の外貨準備高は4,107億5,000万ドル(約44兆981億円)で、前月から34億4,000万ドル増加している。

韓国政府は「十分な外貨準備高があるため、アジア通貨危機のような通貨危機は起こらない」と主張している一方で、外貨準備高の大部分は流動性の低い資産で運用されているため、現金化するためには株式や債券を売却する必要があり、迅速かつ大量にドルとして現金化することは難しいという指摘もある。

一方で、手持ちの資金が足りない時に活用するのが、通貨スワップである。

通貨スワップとは、為替レートの急激な変動を防ぐためや、ドルなどの外貨が急激に流出するのを防ぐために使われる。危機が起こった時はあらかじめ決められた為替レートで、自国の通貨を担保にして、相手国の通貨やドルを相手国から借りることができるため、通貨危機を防ぐ有効な手段の1つだ。

 

韓国政府は通貨危機を防ぐ措置を拡大するため、韓国は、アメリカと600億ドル規模の通貨スワップ協定、さらに中国とは560億ドル規模の通貨スワップ協定を結んでいる。

しかし、韓国にとって重要な相手国である日本とは通貨スワップ協定が締結されていない。

日韓通貨スワップ協定は2001年7月に20億ドル規模で初めて締結され、その後、世界金融危機で300億ドルに増額され、11年には700億ドルとなった。

しかし、12年8月に李明博元大統領の独島(竹島)訪問をきっかけに日韓関係が悪化し、同年10月に満期を迎えた日韓通貨スワップ協定は延長されずに終了した。

日本は日韓通貨スワップ協定の再締結に否定的だ。

その一方で、韓国は国際政治における関係は別にして経済では良好な関係を築くことが必要だと考えている。

韓国は、韓国の輸出額が1%上がると、付随して日本の対韓輸出額も増えるため、日韓の利害は一致するという考えをもっている。

しかし、政治と経済は別ものであると頭ではわかっていても、日韓関係が感情的にもつれている現段階では、日韓通貨スワップ協定の締結は望めないだろう。

それ以上に筆者が懸念していることは、日系企業の資産売却が日韓関係をさらに悪化させ、もし日本が報復措置をとれば、韓国は再び通貨危機に陥る恐れがあることだ。

(了)


日本文明と近代西洋

2020-11-14 16:42:55 | 日記
川勝平太
 
 
日本文明と近代西洋
 
 
NHKブックス 1991
 
Iながいあいだ日本近代の経済社会の確立をめぐって、内外の経済学や歴史学はひとつの疑問をつきつけてきた。
 
日本は鎖国や封建制の影を引きずったまま明治維新をおこし、富国強兵・殖産興業に走ったが、それによって確立したと見える近代国家と経済社会は矛盾だらけのもので、そこには欧米システムの猿真似はあったとしても、なんら独自性はないのではないか。
 
また、そのような矛盾と猿真似はその後も実はずっとつづいていて、結局は戦後の高度成長社会や1980年代のバブル社会にも投影されているのではないか。結局、日本は島国根性を一度も脱出したことがないのだろう。ぶっちゃけていえば、だいたいそういうものである。

 こんな見方が出てくる背景には、なぜ日本は300年近い鎖国をしたにもかかわらず、急速な転換によって近代社会を迎えたのか、その説明がうまくできたためしがない、あるいはその説明をしようとすると日本主義やナショナリズムになりすぎる、どうすればいいか、という積年の問題がある。
 

ヨーロッパがウォーラーステインのいう「近代世界システム」を確立して近代社会を築いていったことは、今日の歴史学の“常識”になっている。その“常識”からみると日本の「近世鎖国システム」ともいうべきはその逆をいったわけで、とうてい近代社会の基礎、たとえば産業革命などをおこしえなかったはずである。

それなのに日本の近代はヨーロッパに匹敵する産業国家になった。どうもこのあたりの説明がうまくない。
 

この問題をとくには、ヨーロッパと日本には似て非なる経済社会改革がおこっていただろうこと、当時の鎖国が必ずしもネガティブな政策ではなかったこと、そこには欧米の理論だけでは説明できないなんらかの“しくみ”があったことなどが、次々に解読される必要がある。
 

この問題にオックスフォード大学にいた若き川勝平太が挑んだわけである。ある意味ではウォーラーステインへの挑戦だった。本書はそのオックスフォードに提出された論文をもとにしている。

 ウォーラーステインのいう「近代世界システム」は1450年から1640年のころに、航海技術を背景に大西洋をかこむ西ヨーロッパを中心に成立した経済中心のシステムのことをいう。そこでは毛織物・木綿・砂糖・茶・生糸などによる世界貿易体制が進んだ。西欧経済はこの「世界システム」の上に築かれた。
 

この見方からすると、そのころの日本の経済システムはせいぜい中国を中心とした巨大なアジア経済の一環か片隅にあるもので、そこから西ヨーロッパ型の資本主義など出てくるはずがない。そういうことになる。

しかし、事実は必ずしもそうではなかった。鎖国が西ヨーロッパとはまったく異なる“しくみ”をつくっていったのである。
 

この時期、最も経済力をもっていたのはポルトガルやスペインである

両国はキリスト教の布教と商業利益の追求を不可分なものとした“宗経一致”の方針を貫いていた。

これに対してオランダやイギリスは経済繁栄のためには宗教に拘泥しない方針を採る。

ポルトガルはオランダとイギリスとの競争に敗れ、イギリスは1623年のアンボイナ虐殺のあとはオランダに東方貿易の覇権を握られた。

日本は長崎の出島を窓口にそのオランダとのみ通商することによって、こうした西ヨーロッパの変遷に対応した。

きわめて異例な方法だった。
 

これがまずは対外的な日本の独自性となった。ついで日本は国内においては「繊維革命」に乗り出した。

柳田国男も重視した「麻から木綿へ」の転換である。

また「軍縮革命」に乗り出した。わざわざ世界一の鉄砲保有国になったにもかかわらず、あえてその鉄砲を放棄した。

さらには「物産改革」に乗り出した。目立ったのは吉宗の時代がそうであるが、諸国の産物を総点検し、これに中国本草の知識を和製化して諸藩に食糧開発を促進させた。醤油やお茶の普及も急速だった。
 

これらが何をもたらしたかといえば、日本社会の自給自足体制を確立させたのだった。

 実際にはもう少し複雑な事情が絡んでいる。たとえば、金銀の産出量をめぐっては西ヨーロッパ諸国がラテンアメリカの金銀に頼ったのに対して、日本ではこれを国内の発掘によって凌駕した。いっとき、日本は世界最大の銀保有国になった。


木綿についても、イギリスはインドに木綿生産の土地と労働力を求めてこれを植民地化していったが、日本は風土的にも国内生産を可能にしていった。

また、そもそも西ヨーロッパの肉食と医療にとって香辛料が東南アジアと西インド諸島に求められ、このルートから日本がはずれていたことも大小の影響をもたらした。
 

こうした事情を、川勝は「物産複合」という用語でとらえる。

われわれはモノなしでは生活できないが、そのモノをどう見るか、どう使うかによって、そこに社会の価値観があらわれる。

その価値観は物産複合のかたちとなってあらわれる。

したがって、歴史上のさまざまな時点において、各国各民族各地域がどのような物産複合をはかったのかということが大きい。
 

欧米の近代国家は、この物産複合の確立を18世紀になって「産業革命」(industrial revolution)によってなしとげた。

日本はどうか。川勝は、日本ではこれをはやくも自給自足型の江戸社会に芽生えていた「勤勉革命」(industrios revolution)によって確立したと見た。

「勤勉革命」という用語は速水融の命名による。

 ざっとこうした視点で、ウォーラーステインの座標では見えてこない日本の近代の前提になった座標を描いたのであるが、本書において川勝平太の名は一挙に天下にとどろいた。
 

そのころのことはぼくもよくおぼえている。いろいろなところで川勝平太の名が囁かれるのを聞いた。それだけでなく「松岡さんはカワカツ・リロンをどう思いますか」と何度も聞かれた。
 

そこで、「ああいう場所と交換をめぐる普遍性と特異性にもとずいた考え方こそは、これから必要なんじゃないですか」とか「戦後もっと早くに登場してもいい考え方ですよね」とか「いよいよ京都学派の再生ですねえ」などと言うと、そういう質問をしたがる連中にかぎって、たいていは「そうですか、狙いはおもしろいんですけどねえ」と口を濁らせたものだった。
 

学問的な評価をさておいて、カワカツ・リロンに対する当時の無言の喝采がどんなものだったかというと、「やっと日本人による日本独自の近代歴史観をつくってくれた」というものだったろう。

溜飲をさげた日本のビジネスマンや一部の研究者も多かったにちがいない。
 

当然ながら、いやいや、カワカツ・リロンの提起した座標では近代社会の議論はできないという反論も出た。日本の近代を安易な独自性で包んではならないという以前からの見解によるものだ。そういう“日本=独自性”論こそいつも日本が誤ってきた道なのだという、おなじみの退屈な批判である。
 

しかし、川勝はその後も持論を精細にし、さらに新たな視点を加えて海洋史観ともいうべき構想を膨らませていった。
 

早稲田大学史学編集所の菊地紘一の見聞によると、そのきっかけは1982年のブダペストでひらかれた国際経済史会議でのウォーラーステインとの論戦、1993年の名古屋大学での「アジアと近代世界システム」会議における再度のウォーラーステインとの議論によるものだという。
 

オックスフォード仕込みの明快な言説と、京都生まれらしいロマンティシズムと、これはどこに由来するというものではないだろうが、持ち前の断固とした柔らかさを兼ね備えた川勝さんらしいことである。

 その後、川勝平太は小渕外相時代の政府に頼まれて、日本の国土構想に参加した。これが田中角栄時代このかたずっと続行されてきた「日本列島改造計画」に代わる「ガーデン・アイランド構想」である。

このあたりのことは最近の『海洋連邦論』に詳しい。
 

また、こうした構想に着手したとたん、自分の思想を自分の行動と近づけるために、東京を捨てて軽井沢に1反の土地を求めて越してしまった。

日本の家族は庭(ガーデン)をもつべきであるという構想を地でいったわけだ。
 

ぼくは川勝平太の名が世の中のそこかしこで上るようになってから川勝さんと何度も出会うことになったのであるが、まずもって体の底から涌き上がってくる笑顔と声と、どんな議論にも全力でぶつかる姿勢とにすぐ共感してしまった。
 

こんなこともあった。一緒にコンファレンスに出ているとき、ぼくが高熱で倒れてしまったことがある。ベッドでうんうん唸っていて、ふと気がつくと川勝さんがベッドのそばにいる。ぼくが「ああ、川勝さん」と言うと、それまでの真剣な表情を和らげて満面に笑顔をたたえ、「あとはまかせてください」と言った。

ぼくはそのあと救急車で運ばれた。このときの笑顔が忘れられない。
 

ところで、これはぼくの勝手な憶測であるのだが、川勝さんには、かつての日本人がどこかに秘めていた「敵に塩をおくる仁義」のような心意気があるようにおもえる。本書や『文明の海洋史観』にたびたびマルクスが登場するのも、そんなところがあってのことかとも見えた。いつか共闘したいとおもっている。

参考¶川勝平太の著書は本書を開口部として、じょじょに膨らんでいっている。『富国有徳論』、『文明の海洋史観』(中央公論社)、『“地中海”を読む』(藤原書店)、『海洋連邦論』(PHP)、『鉄砲を捨てた日本人』(中央公論社)など、著書もしだいに多岐にわたってきた。

 

 

 
 

大人たちの失敗 大人たちの失敗

2020-11-14 16:23:47 | 日記
大人たちの失敗    櫻 井よしこ
 
大人たちの失敗
 
 
PHP文庫 2000・2002
 
「この国はどこへ行くのだろう?」というサブタイトルがついている。

この十年、この手のタイトルの本が次々に出ている。ぼくも『孤客記・背中のない日本』を1995年に書いた。前年連載の「エコノミスト」巻頭言をまとめたものだ。
 

この人も、前著の『日本の危機』以来のテーマを問うているのだが、数多(あまた)の類書にくらべて断然の説得力がある。
 

説得力があるのは、この人がベトナムに生まれてハワイの大学を出て、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局の活動に徹し、その後は8年にわたって日本テレビのニュースキャスターを務めたキャリアを引っ提げて発言をしているからではない。

そういうキャリアが随所に生きていることは行間からも感じるが、それ以上に、仮に櫻井よしこが何者であるかをまったく知らないままにこれを読んだとしても、きっとその読者の心を打つものがはっきりしていて、その響きがこちらにもドクドク伝わってきそうなところが、いいのである
 

問題意識が鮮明で、視点がぶれない。これは読んでいて気持ちがよいほどである。が、それ以上に、問題を組み立てる順序、それを少しずつ前や奥にもっていくハコビ、それから、事態の部分に当てた照明を、そのアカリを消さないでそのまま問題の全体を照らしていく「方法」がいい。主題に負けていないのだ。

 政治評論や時事評論はゴマンと読んできたが、このように主題に負けないでいられるのは、ジャーナリストとしてはそうとうに稀有である

ジャーナリストというのはどこか安易な成立条件をもっていて、主題の周辺のあれこれを手際よく描写して使い回していたって、それで十分に仕事になる。

むしろヘタな主観など交えないのが正しいジャーナリストの姿勢だなどと勘違いさえされている。しかし、これはおかしい。

報道の数が少なかったころはともかくも(それでも長谷川如是閑から斎藤茂男におよぶような気骨のジャーナリストはいくらもいたが)、世の中、似たような報道しか溢れていない今日では、むしろジャーナリストは独自の見解を言い張るべきなのである。
 

本書にも「深さ1インチの新聞報道」という章があって、日本の新聞が「ワン・インチ・デプス」にとどまっていることが批判されている。

日本の大新聞は幅広くは取材しているが、深くない。

朝日が2700人、読売が2800人の編集局人員を擁しているのだが、その数のせいか、「なんでも自前主義で賄う」という方針に溺れているのではないかという批判だ。

その例として、この人はコソボ紛争報道を俎上にあげていた。

一筋縄では説明のつかないコソボ問題を日本の新聞はあまりにも通りいっぺんにしか解説しなかったというのである。

コソボにはそれなりに深くかかわっているジャーナリストが世界中にはいくらもいるのだから、その声を聞くべきだったというのだ。

 主題に負けないで方法を議論できるというのは、言うほどに簡単なことではない。

なぜなら、「方法の提示」はときにその「方法の行使」を提示者に余儀なくさせることがあるからである

この人が、そのような、必要ならばどこかでその方法を行使しなければならないかもしれないという覚悟をしていることは、文章を読んでいるだけでも、伝わってくる。

すでに薬害エイズ問題や教育問題で果敢な行動をおこしていることは、よく知られていよう。
 

そのような覚悟がどこからきているのかも、よくわかる。

この人は本気で日本を憂いているのである。それもそんじょそこらの憂国の情を越えている。

本書は憲法問題や北朝鮮外交についてもそれぞれ1章をさいているのだが、憲法については国防上からはっきり改正にとりくむべきことを訴え、

ドイツが戦後このかた47回もの憲法改正をしてきたこととはすぐには比較できないもの、まずはそのような試みに着手すべきだと強調する。

北朝鮮との外交問題については、横田めぐみさん拉致事件が発覚した翌年に拉致されたレバノンの女性4人の例をひいて(レバノン政府が1年をへて断固とした態度で北朝鮮に談判したこと)、日本政府のみならず村山富市以来土井たか子におよぶ社会党(社民党)の無定見を暴いている。

 

そのほか本書のなかだけでも、いろいろ独自な見解を提示しているが、幻想にふりまわされないように警告することもつねに書き添えて、忘れない。
 

幻想にふりまわされると言うのは、なんとなく「日本はこういう国だ」と思っていることがアヤシイぞということで、たとえば終身雇用制は日本のオハコだと思いこんでいるなどというのが、そのひとつである。

日本的経営の代名詞のように思われている終身雇用制は、戦時中の総動員体制が確立されてからやっと強固になったもので、それ以前は腕に自信のある者は全国をかけまわっていたわけなのだ。
 

銀行に頼る経営というのも、大半は戦後の動向であって、それ以前には資本市場で自分で資金を調達するのが常道だった(ぼくのオヤジもそうしていた)。

それが金融資本が膨れ上がるにつれ、何がなんでも銀行主導型の産業体質になっていった。

そうなると、銀行がおかしくなれば日本の産業全部がたちまち冷えるという、とんでもないことになってしまう。

現在の日本がそうである。けれども、こんな日本は日本経済の本質でも特色でもなかったのである。
 

そこでこの人は、最近はしきりに江戸社会の経済や生活や思想を紹介することに努めはじめたようだ。
 

ぼくの知人が主宰している研究塾に櫻井よしこさんを呼んだときは、この人は山田方谷のことを熱っぽく語ったらしく、その場の大人たちはその熱気に圧されて、しばらく呆然としてしまったと言っていた。
 

それは、大人たちよ、山田方谷のことを何も知らなかったあなたたちのほうがおかしすぎるのだ。

参考『日本の危機』(新潮社)は菊池寛賞を、その前の『エイズ犯罪・血友病患者の悲劇』(中央公論社)は大宅壮一ノンフィクション賞をとった。ほかに『論戦』シリーズ(ダイヤモンド社)、『憲法とはなにか』(小学館)、『直言』(世界文化社)など。ぼくの『孤客記・背中のない日本』は作品社。