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【日曜特集】金沢駐屯地創設63周年記念行事(1)第14連隊,もののふ群像(2013-09-08)

2018-09-02 20:02:39 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■金沢,戒田重雄連隊長へ敬礼
 日曜特集、今回からは金沢駐屯地祭、戒田重雄連隊長が指揮する第14普通科連隊の記念行事を紹介しましょう。

 第14普通科連隊、金沢駐屯地に駐屯する陸上自衛隊の普通科連隊です。京阪神と北陸とを結ぶ歴史的所縁を思い起こせば伊丹市千僧の第3師団との所縁を想いますが、第14普通科連隊は東海北陸地方を警備管区とする名古屋第10師団隷下の普通科連隊となっています。

 もののふ群像、かや書房出版の書籍ですが陸上自衛隊普通科部隊について、物語形式にて訓練や日常風景と自衛官という個人や指揮官の視点から描いている書籍です。部隊の舞台は冷戦時代の金沢、第14普通科連隊です。この本、図書館などにも並んでいる事が多い。

 金沢駐屯地、実は行事を見に行こう、と思った背景には高校生時代に読んだこの本の影響がありまして、106mm無反動砲や64式小銃の時代、現行軽装甲機動車や79式対舟艇対戦車誘導弾の時代よりも前の情景が広がっていますが、この一冊で普通科連隊を知ったもの。

 普通科連隊、といいましてもインターネット普及前の時代には、なかなか福知山駐屯地や信太山駐屯地に行くには難しく、なにしろ駐屯地祭がいつ行われているかは地連の掲示板に頼るほかなかった、という時代です。そんな中で一冊丸ごと普通科連隊紹介は貴重だ。

 加賀百万石、歴史情緒あふれる地域の普通科連隊、というのではなく、十年以上前に初めて金沢駐屯地祭へ歩みを進めた背景には、高校生時代に読んだ“もののふ群像”の舞台を自分も歩んでみたい、という認識が大きかった。そして行事の規模が凄かったのですよね。

 痛車に初めて乗せてもらったのもこの時でした。訳が分からない、と北海道から九州まで返されるのですが、当日、地元の方に駐屯地行かれるのでしたら一緒にどうですか、とお誘いいただきまして、ありがたい、と。その車が偶然魔法少女的な自動車だった、という。

 兼六園も散策しましたし、とにかく行ってみた金沢は面白かった、そして、何故か当方、金沢大学の研究会の方々とご縁が出来まして、金沢がぐっと近くなったのが当時でした。ご縁、というものは大事でして、そして重ねて金沢駐屯地祭撮影へ展開したという構図だ。

 小松空港から首都圏の研究会などに出席していまして、当時はブルートレインの寝台特急北陸、夜行急行能登が運行中でしたし、新潟まで上越新幹線で出れば東京からの帰路は早いとも思ったのですが、北陸地方と東京の距離感というものを感じたのもこの頃でしたね。

 大阪駅にて先日サンダーバードの終発を見送りましたが、金沢行の特急は指定席が満員、対して四月に新幹線かがやき乗車の際に以外に指定席に空席が多かった点から、首都圏と北陸の繫がりよりも、京阪神と北陸の繫がりを痛感しました、そんな金沢でのおはなし。

 古都金沢、加賀百万石の前田家が治めた北陸の金沢は北陸最大の都市として、また今日では、石川県県庁所在地として栄え、歴史と伝統の街との機運豊かに兼六園と金沢城が広がり、そして旧制四高が置かれ泉鏡花始め文学と学問の気風が薫る街並みが広がっています。

 金沢第九師団、近現代史に造詣の深い方ならば、この陸軍精鋭師団をご存知でしょう、日清戦争後の三国干渉等情勢緊迫化を背景に創設、日露戦争において旅順要塞攻防戦において膨大な犠牲を経て遂に制圧、太平洋戦争では最終的に台湾を戦場から守り抜きました。

 陸上自衛隊創設と共に第10師団隷下にあって第14普通科連隊は北陸地方の石川県全域と共に福井県と富山県を防衛警備管区とし、一個連隊にて北陸三県を担当するという、その広大な警備管区から第14普通科連隊は北陸方面隊と云われるほどの重責を担っています。

 北陸方面隊、との別名がもたれる北陸地方ですが富山県に隣接する新潟県は高田の第2普通科連隊と新発田の第30普通科連隊が担当していました。これは新潟県に万一着上陸を許せば本州を縦貫し首都東京まで敵脅威下に置かれるという防衛上の観点からの措置でした。

 専守防衛の我が国、しかし日本海の対岸には自由主義の価値観を必ずしも共有しない脅威が存在し、冷戦時代、対岸のソ連からの着上陸は我が国最大の防衛課題でした。日本本土へ着上陸を行う際には絶対に兵站中継地と策源地、そしてその連絡線が不可欠となります。

 北海道北部、最も着上陸の蓋然性が高かったのは沿海州に最も近く樺太島を兵站中継地と出来る立地です、ここには陸上自衛隊は最精鋭師団の一つ、第2師団を駐屯させ防衛警備に充ててました。北海道の北部方面隊には戦車団や特科団が置かれ今日も機甲師団が在る。

 北海道東部、北方領土から中口径火砲の射程内にある道東地区も着上陸の蓋然性が高い立地です。ただ、万一の際は宗谷海峡を封鎖する事で兵站連絡線を抑える事は出来た。道東地区は第5師団が守りを固めていましたが地形障害が少なく増援を受けにくい地形でした。

 青函地区、冬季にも航行が可能である津軽海峡、その両岸の青函地区は道南の第11師団と東北北部の青森第9師団が抑止力を利かせていましたが、万一この地域に脅威が及んだ際には北海道全域が孤立化する懸念があり、冷戦下、我が国防衛上の最重要地域の一つです。

 北陸地方ですが、日本本土全域を制圧する着上陸、とは可能性が非常に低かったのですが、限定戦争、つまり我が国一部を占領し、その制圧下に置く事で有利な外交交渉の条件を引き出す、善隣条約締結や日米安保破棄の圧力、港湾租借等強要という可能性がありました。

 能登半島、第14普通科連隊と第10師団が最も想定していたのは日本海に突き出た能登半島北部を兵站策源地とし、北陸地方全域に対し圧力をかけるという限定侵攻の可能性でしょう。同じことが新潟の第12師団管区には佐渡島への限定侵攻の可能性も考えられました。

 勿論、水陸両用作戦とは兵站拠点と兵站連絡線、そして水陸両用部隊と航空部隊の連携に続く主力部隊の上陸、これらを陸海空御支援下で推進するという一大事業です。着上陸予定地に例えば一個中隊が布陣しているだけでも、実行可否は非常に大きな影響を与えうる。

 第14普通科連隊の重責は、冷戦時代に日本海沿岸への軍事圧力の増大へ、日本海のどの地域に対しても限定侵攻を許さないという姿勢を示すと共に、有事の際には脅威正面へ即応し転地可能な体制を維持し、北陸の地から必要な抑止力を北陸と全国へ轟かすことでした。

 基盤的防衛力整備、1976年の防衛大綱において明示され、統合機動防衛力の2010年代まで続きました防衛戦略は、全国に画一的防衛力を配置し防衛基盤とする、その上で有事の際には防衛基盤を急速に強化する事で抑止力を実的防衛力へ昇華させる、という指針です。

 普通科連隊の配置は、この基盤的防衛力整備を確たる水準とする為の基本であり、併せて近接戦闘部隊の極致である普通科部隊を全国に駐屯させるという施策です。実際、戦闘の本質は土地の収奪、直接戦闘にて敵に銃剣を突きつけなければ、戦闘に決着はつきません。

 もののふ群像、戦闘の本質云々の上記は、この作中にあった一つでもあるのですが、ね。金沢駐屯地は、金沢市の高台にあり金沢駅からも路線バスが運行されています。市の中心部から少し距離がありますが、この一冊の舞台となった駐屯地というのが感慨深いですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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