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【京都幕間旅情】法然院,紅葉の季節到来とともに静けさ求め法然さん懐かしむ草庵の探訪

2023-11-15 20:23:27 | 写真
■東山の法然院
 清水寺を筆頭に京都の有名寺院は2020年と2021年と2022年と年々人が多くなってきています。

 法然院、紅葉の季節が近づくとともにそろそろ見物客が増えるであろう頃合いの前に静かな拝観として心を休めよう、ということもありまして一つ歩み伸ばしました。カメラバッグを背に、あの堂々とした東山の峰々へ歩み伸ばしましたが、さてその混雑度は。

 左京区鹿ケ谷御所ノ段町、銀閣寺こと慈照寺のお隣、といいますと凄く分かりやすいのですが、敷地こそ隣接しているものの曲がりくねった細い道で繋がっているところで、核シェルターの様な駐車場付の住宅や、小粋を具現化したような住宅街で隔てている。

 善気山法然院萬無教寺、静けさこそ、という寺院であると考えている法然院さんは、まだ紅葉の前であり、紅葉の混雑ともまだ無縁でした。そう、銀閣寺の参道には飲食街の風情と賑やかさがありますが、法然院さんのまえには湯豆腐のお店が一つあるきり。

 六時礼讃行。この法然院は実は古寺古刹の風情はあるのですが、その開山は江戸時代の延宝8年こと西暦1680年、新しい寺院でもあります。しかしこの草庵、というに相応しい茅葺の山門が迎える寺院は、法然さんが六時礼讃行を勤しんだ草庵を再現した。

 白砂壇という、茅葺の山門をくぐりまして拝観の際にその左右の白砂壇、その狭間を通りますと雑念が抜けるという。年中雑念だらけで、この情景をどう写真表現しようかと考える雑念と共に通り抜けたのですが、この雑念の調和が純粋、ということなのかな。

 方丈庭園 は地水を中心としましたいわゆるところの浄土庭園でありまして、ここからは名水として有名な善気水が湧き出しています。ガラス枯山水というものが、キングギドラの護国聖獣のように生えていまして、前衛というか懐の深さが垣間見えるのです。

 善気水、京都の名刹には多くの自然湧水が浄土式庭園をその真髄たる清冽さで潤していたのですが、実のところ大正昭和を経て枯れる自然湧水が数えきれないという事で、いまは平成令和、その兆候に拍車がかかっているのですが、善気水はいまも自噴している。

 阿弥陀如来坐像を奉じる御本堂は延宝9年こと西暦1681年の造営、もともとは客殿として幕府の支援で造営されたものですが、客殿でこの大きさですと本堂はあまりの大寺となりかねない、ということで客殿をそのままご本堂として阿弥陀様を奉じた歴史が。

 浄土庭園にいまの善気水が自噴し続ける背景には、大きくなりすぎない、という、逆に言えば京都の街は大きくなりすぎた故に庭園以外に必要となる水が多くなりすぎ、地下水掘削と大規模工事にて枯れていった繁栄の代償、ということになるのでしょうか。

 念仏三昧行の一つという六時礼讃行、法然さんが後白河天皇の追善菩提ということで八坂引導寺にて執り行った浄土宗六時礼讃がその始まりということで、それは建久3年こと西暦1192年まで遡ります。起源は中国の僧善導による往生礼讃がはじまりという。

 浄土宗の六時礼讃行というのは一日を日没と初夜、中夜又は半夜と後夜、 晨朝と日中、つまり申から酉の刻と戌から亥の刻と子から丑の刻に寅から卯の刻と辰から巳の刻そして午から未の刻に分けて修行するということ。文字通り一日中、ということになる。

 親鸞さんも浄土真宗の正信念仏偈として取り入れている六時礼讃行ですが、これを執り行った草庵を再現したものが法然院ということで、何もないところに在ってたという事ではなく、もともとここにも法然さんの草庵があって、再現したというらしいのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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