■第4施設団の観閲行進
大久保駐屯地祭が行われました先週は流石は宇治市も京都府だと痛感させられるほどに暑かったですね。

自衛官候補生の観閲行進、教育訓練は第2教育団を拡大改編させました中部方面混成団という印象はありますが、大久保駐屯地にも教育隊が置かれており前期教育の共通教育として三カ月間の教育を行います。そしてかつては新隊員、いまは自衛官候補生という。

前期教育は執銃訓練や小銃の分解結合と野戦訓練や装具の管理と自衛官としての生活などを教育します。自衛隊は志願制の所謂職業軍人より成る組織である為、各国では営内生活や敬礼動作などは相当省略しています、徴兵期間が数カ月という国も多いのですからね。

駆け足、これは展示ではなく徒歩行進から車両行進となる為、ゆっくり徒歩行進をつづけていますと後続の車両に追いつかれてしまう為です、しかし、前期教育の小銃が64式小銃から89式小銃に、部品も減りかなり軽量化されましたが多少は楽になったのでしょうか。

第4施設団本部と本部幕僚の観閲行進、施設団というのは諸外国でいう工兵旅団にあたり、建設工兵として重架橋や重要補給路の整備と道路建設に策源地造成など一通りは可能ですが、近年は戦闘工兵としての能力も師団施設や旅団施設より移管され、全般任務を扱う。

第7施設群の車両が災害派遣装備で観閲行進に臨む。ここ大久保駐屯地はかつて第45普通科連隊が駐屯、第3師団の縮小改編により第45普通科連隊は解体されてしまいましたが、この関係から奈良県の防衛警備及び災害派遣を任務としています。次の大災害に備えて。

3-1/2tトラックはどうしても73式大型トラックという旧称で呼んでしまいます、民生部品などを柔軟に仕様変更に対応するべく制式化ではなく部隊使用認可という方式で採用しているため、73式という呼称から転換した装備、毎年400両ほど継続的に配備されている。

第6施設群長奥1佐が観閲行進に臨む。最近考えるのは、方面混成団の予備自衛官部隊と地域配備師団に方面隊直轄の施設団は統合し、方面師団とし、即応機動旅団や即応機動師団など、有事には即座に方面隊を超えて運用する部隊と区別する選択肢は無いか、という。

本部管理中隊の観閲行進、1-1/2t救急車も本部管理中隊の衛生小隊に所属しています。しかし1-1/2tトラックという呼称よりも、やはり73式中型トラックという呼称の方がなじみが在りまして、もう何年経つのだといわれそうですが、なかなかに呼称に慣れないのですよ。

第402施設中隊の観閲行進、道路障害作業車と掩体掘削装置を搭載下73式セミトレーラが観閲行進に参加します、施設中隊は100名規模となっていますが、建機は一人で操作するものが多い為に実は中隊全体で装備する車両というものは非常に膨大な数ともなっている。

道路障害作業車は舗装道路や街路樹に道路関連資材などを即座に障害物に作り替えるほか、複数のアタッチメントを切り替えることで支援車輛として様々な用途にも散られるという、一見して地味な装備ですが使い方次第という、スイスアーミーナイフのような車両です。

第7施設群本部の観閲行進、一直線の式典会場は旧陸軍の飛行場施設を転用したもので、東千歳駐屯地、ほど広くはありませんが第13旅団司令部等が置かれる海田市駐屯地、旧陸軍海田市飛行場跡の駐屯地と、なにか雰囲気が似ているのが面白い、そしてやはり広い。

第380施設中隊、施設群隷下の施設中隊は機能別編成となっていまして、築城障害中隊や機動支援中隊と交通中隊という中隊毎に編成と装備が若干異なっています、第7施設群は大久保に駐屯していますが、一個中隊だけ第382施設中隊が富山駐屯地に駐屯しています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
大久保駐屯地祭が行われました先週は流石は宇治市も京都府だと痛感させられるほどに暑かったですね。

自衛官候補生の観閲行進、教育訓練は第2教育団を拡大改編させました中部方面混成団という印象はありますが、大久保駐屯地にも教育隊が置かれており前期教育の共通教育として三カ月間の教育を行います。そしてかつては新隊員、いまは自衛官候補生という。

前期教育は執銃訓練や小銃の分解結合と野戦訓練や装具の管理と自衛官としての生活などを教育します。自衛隊は志願制の所謂職業軍人より成る組織である為、各国では営内生活や敬礼動作などは相当省略しています、徴兵期間が数カ月という国も多いのですからね。

駆け足、これは展示ではなく徒歩行進から車両行進となる為、ゆっくり徒歩行進をつづけていますと後続の車両に追いつかれてしまう為です、しかし、前期教育の小銃が64式小銃から89式小銃に、部品も減りかなり軽量化されましたが多少は楽になったのでしょうか。

第4施設団本部と本部幕僚の観閲行進、施設団というのは諸外国でいう工兵旅団にあたり、建設工兵として重架橋や重要補給路の整備と道路建設に策源地造成など一通りは可能ですが、近年は戦闘工兵としての能力も師団施設や旅団施設より移管され、全般任務を扱う。

第7施設群の車両が災害派遣装備で観閲行進に臨む。ここ大久保駐屯地はかつて第45普通科連隊が駐屯、第3師団の縮小改編により第45普通科連隊は解体されてしまいましたが、この関係から奈良県の防衛警備及び災害派遣を任務としています。次の大災害に備えて。

3-1/2tトラックはどうしても73式大型トラックという旧称で呼んでしまいます、民生部品などを柔軟に仕様変更に対応するべく制式化ではなく部隊使用認可という方式で採用しているため、73式という呼称から転換した装備、毎年400両ほど継続的に配備されている。

第6施設群長奥1佐が観閲行進に臨む。最近考えるのは、方面混成団の予備自衛官部隊と地域配備師団に方面隊直轄の施設団は統合し、方面師団とし、即応機動旅団や即応機動師団など、有事には即座に方面隊を超えて運用する部隊と区別する選択肢は無いか、という。

本部管理中隊の観閲行進、1-1/2t救急車も本部管理中隊の衛生小隊に所属しています。しかし1-1/2tトラックという呼称よりも、やはり73式中型トラックという呼称の方がなじみが在りまして、もう何年経つのだといわれそうですが、なかなかに呼称に慣れないのですよ。

第402施設中隊の観閲行進、道路障害作業車と掩体掘削装置を搭載下73式セミトレーラが観閲行進に参加します、施設中隊は100名規模となっていますが、建機は一人で操作するものが多い為に実は中隊全体で装備する車両というものは非常に膨大な数ともなっている。

道路障害作業車は舗装道路や街路樹に道路関連資材などを即座に障害物に作り替えるほか、複数のアタッチメントを切り替えることで支援車輛として様々な用途にも散られるという、一見して地味な装備ですが使い方次第という、スイスアーミーナイフのような車両です。

第7施設群本部の観閲行進、一直線の式典会場は旧陸軍の飛行場施設を転用したもので、東千歳駐屯地、ほど広くはありませんが第13旅団司令部等が置かれる海田市駐屯地、旧陸軍海田市飛行場跡の駐屯地と、なにか雰囲気が似ているのが面白い、そしてやはり広い。

第380施設中隊、施設群隷下の施設中隊は機能別編成となっていまして、築城障害中隊や機動支援中隊と交通中隊という中隊毎に編成と装備が若干異なっています、第7施設群は大久保に駐屯していますが、一個中隊だけ第382施設中隊が富山駐屯地に駐屯しています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)