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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

真珠湾攻撃開戦記念日(十二月八日) 奇襲攻撃という歴史と現在の防衛政策への反映

2014-12-08 23:59:16 | 国際・政治
◆米太平洋艦隊を我が空母六隻が奇襲 
 本日は真珠湾攻撃、1941年12月8日の開戦記念日です。

 日米戦、四年間にわたる太平洋を主戦場とした戦争は、日本海軍の空母六隻から成る機動部隊が空母艦載機によりアメリカ太平洋艦隊の一大根拠地ハワイを航空攻撃することで始まり、歴史上海戦において生じた全ての航空母艦同士の戦闘は全て日本との間で繰り広げられました。

 その後我が国は、ミッドウェーやマリアナ沖及びレイテ沖にて航空母艦の多数を失うと共に、ソロモン群島での航空機消耗戦が響き航空優勢を喪失、島嶼部を広く占領した部隊は各個撃破され、フィリピンでは戦車師団を米軍部隊へ叩きつけるも壊滅し、マリアナ諸島陥落とともに本土が敵戦略爆撃機戦闘行動半径圏内に収まり、大都市への絨毯爆撃や核攻撃により多大な民生被害を出しつつ、最後の望みとしての不可侵条約締結先のソ連へ停戦の仲介を試みるもソ連軍の対日戦開戦とともに瓦解、敗戦に至ります。

 新生日本は、平和国家とし再建、東西冷戦下において西側陣営に位置するとともにその範疇での対外軍事不関与路線を専守防衛として堅持、一方で1968年に国民総生産でドイツを抜きアメリカに次ぐ経済大国として影響力を高め、更に1985年以降は国際金融に対しても大きな影響力を行使する事となりました。一方、冷戦時代の長きを平和国家として継続したことが一つの経験則となり、戦争は一方が不関与を望めば成立し得ない、という視点も不変化しているところ。

 他方近年、中国大陸からの周辺国による軍事圧力は年々増大し、冷戦時代に日本は環太平洋地域において東西陣営も相対する相手ソ連邦と海洋を隔てつつ国境を接し、戦車師団を含む四個師団を北海道に集約し、万一の事態へ備えていたことを当時を知る関係者や識者は思い起こし、再度あの時代が到来するのでは、という危惧を有しているのが昨今です。

 此処で考えさせられるのは、太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃は、日本側が日米交渉の非合意を軍事的手段により解決させる可能性が認識されつつも、日本側が太平洋艦隊を空母機動部隊で強襲すると共に事実上の保護国であるフィリピン駐留米軍をも強襲し同時に東南アジア地域の英蘭植民地駐留部隊や東インド艦隊への同時攻撃という大規模な攻撃を展開するとは、予測できていません。

 そこから、例えば今日、我が国に対して我が国との対立関係に或る隣国が現在の軍事的示威行動を越えて軍事的攻撃、即ち奇襲攻撃を展開する可能性はどの程度無視できるのか、無視できないのか、相当真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

 自衛隊は予備役部隊を局限し現役部隊を中心とした即応態勢を採っており、自衛隊の戦闘能力は情報共有能力や火力投射能力に集中分散能力等で非常に高い水準にありますが、奇襲を受けえないという水準ではなく、特に我が国への軍事圧力をかける隣国は、中距離弾道弾に加え九州沖縄及び本州西部を射程に収める巡航ミサイルを相当数保有しています。

 即ち、平和日本ではありますが、那覇や新田原に築城や岩国と鹿屋、佐世保や呉にたいして奇襲がかけられる、と言う可能性はかなり現実的な脅威として認識する必要があります。相手にその能力があり、相手に交渉で対応できない外交的課題を事実上の両国間首脳会談断絶という解決に向かわない方法を採って譲歩を迫り、一方的な譲歩の強要に我が国が応じない状況は、場合によっては非合理的な選択肢を採られる危惧もありえるでしょう。

 相手がそうした選択肢を採りえない国際関係を醸成する責務はありますが、併せてその隣国は建国後僅か半世紀の期間に我が国を除く全周囲の諸国へ軍事攻撃を行っています。併せて、我が国自身が相手国が起きえないと認識されていた大規模な奇襲攻撃を実施した歴史を持つのですから、可能性として、行う能力をもつ隣国が選択肢を選ぶ可能性を無視できるのか、考える必要はあると考えます。

北大路機関:はるな
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