2011年、道東の史跡を訪ね、蝦夷三官寺の一つである厚岸町の「国泰寺跡」に立ち寄ったり、根室方面に向かい、その途中、浜中町の霧多布岬にある松浦武四郎の歌碑を見た。
松浦武四郎著「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」には霧多布・トーフツについての若干の記録がある。
『周廻り二里あまり、四面平岩にして上平地の樹木少しあり。北岸に少し砂浜有・・・其間二百間、汐干満によりて大船通りかたし。・・・島根少しの砂浜有る処、浜中と対してうつくしき處也。また、南に廻りてトーフツ 是南岸一つの湾にして少しの砂浜有。其両岸簇々(そうそう)たる高岩、また、南へ是よりまた東え廻りて置きに一つ岩島有』
と周辺の様子を記している。
駐車場から歩き途中で「湯沸岬灯台」が目につきました。真っ赤な土台に立つ灯台です。
プレートには
『霧多布港に出入りする船舶や沿岸を航行する船舶の道しるべとするために、昭和5年(1930)10月11日に点灯した旧浜中村所管の霧多布港灯柱に替わって、昭和26年(1951)6月15日に海上保安庁が建設した者。当時の北海道の灯台は初めて小型で高性能の機器が使われた。』其の外、岩礁の多い岬なので危険区域を示す光を赤色にして、岩礁を直接照射併設する工夫がされている・・・とのこと。
きりたっぷ岬への道
湯沸岬灯台
湯沸岬灯台の説明版
霧多布のことを詠った松浦武四郎の歌碑
歌碑の文字は薄くなって読み難いが・・・岩礁にぶつかる荒波を感じ取れるような気がした。
『かねてより あらき しほ路 きりたふの 島根に たかく よする 志らなみ』
霧多布の岩礁(武四郎が見た大岩か・・・)
松浦武四郎著「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」には霧多布・トーフツについての若干の記録がある。
『周廻り二里あまり、四面平岩にして上平地の樹木少しあり。北岸に少し砂浜有・・・其間二百間、汐干満によりて大船通りかたし。・・・島根少しの砂浜有る処、浜中と対してうつくしき處也。また、南に廻りてトーフツ 是南岸一つの湾にして少しの砂浜有。其両岸簇々(そうそう)たる高岩、また、南へ是よりまた東え廻りて置きに一つ岩島有』
と周辺の様子を記している。
駐車場から歩き途中で「湯沸岬灯台」が目につきました。真っ赤な土台に立つ灯台です。
プレートには
『霧多布港に出入りする船舶や沿岸を航行する船舶の道しるべとするために、昭和5年(1930)10月11日に点灯した旧浜中村所管の霧多布港灯柱に替わって、昭和26年(1951)6月15日に海上保安庁が建設した者。当時の北海道の灯台は初めて小型で高性能の機器が使われた。』其の外、岩礁の多い岬なので危険区域を示す光を赤色にして、岩礁を直接照射併設する工夫がされている・・・とのこと。
きりたっぷ岬への道
湯沸岬灯台
湯沸岬灯台の説明版
霧多布のことを詠った松浦武四郎の歌碑
歌碑の文字は薄くなって読み難いが・・・岩礁にぶつかる荒波を感じ取れるような気がした。
『かねてより あらき しほ路 きりたふの 島根に たかく よする 志らなみ』
霧多布の岩礁(武四郎が見た大岩か・・・)
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