このブログでもう何度も書きましたが、
うちの7歳の娘。バイリンガラー。
まだどうしても混同してしまうものがあるんです。
「いる」と「ある」の使い分け。
人や動物なんかは、「いる」。
それ以外は、「ある」。
韓国語では区別無く、「있다(イッタ)」なんです。
「そしたらそこに友達があったんだけど…」とか、
「ここにも椅子がいるね」、とかいまだに言っちゃいます。
この辺を考えると、
やはり見たまま、聞いたままで話してるんじゃないんだなーと思う訳です。
幼いなりに頭の中での翻訳作業の後、
話してる部分も相当多いんだなと気付かされます。
もっとずーっと小さい頃には更に面白いことを言ってました。
「服、もう着た?」
「ううん、まだアン着たよ。」…とか。
4歳くらいだったと思いますが。
韓国語では動詞の頭に「안(アン)」を付けると否定の意味になります。
例えば、「行く」は간다(カンダ)。「行かない」は、안간다(アンガンダ)となります。
「着た」の前に「アン」を付けて、
「着てない」と言いたかった訳です。
「アン着たよ」の最後の「よ」ももしかしたら、
丁寧な語尾、「요(ヨ)」だったのかも知れません。
ま、今となっては彼女に直接聞いても憶えてないでしょうが…
楽しい思い出です。
もう少し大きくなったら聞かせてあげましょう。