武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

おばけのシーズン終わる・・・

2015年09月07日 | Weblog
百物語・・・・続編・・・十七話を始める。
ようするに雨のせいもある。
庭のパセリから蝶が羽化し飛びたった。
隣では紅オクラが咲いている。

あの民俗学の柳田国男先生によると・・・・

お化け・・・出る場所が決まっている
      相手は区別しないで出る
      出る時間丑三つ時


幽霊
・・・・どこにでも出る
      相手は特定な人
      特に時間の指定はない

もしかしたら・・・・・

2015年09月05日 | Weblog
自国の戦争からのがれ、あふれる難民という人たちの写真をみる。
ハンガリーのブタペスト東駅にもあふれている。ここは数年前、訪れたところだ。
まだ小さい子どもたちも悲惨な運命をしょっている。
それに比べると日本は平安だ・・・それがいつまで維持できるか。
神戸あたりでは暴力団の抗争がおきそうだと言っている。
あのヤクザの世界の今の世代はしらないが、戦後、戦災孤児のいきついたひとつの場所だったとか。
江戸時代こどもはどんな遊びをしていたのだろうか。・・・・と思いついて本をパラパラ。
その頃のこどもは結構いそがしかったようだ。
大人の仕事場で、ちょうとした手伝いをし、大人の仕事をおぼえる。この仕組みが代々切れ間なく
続き、産業の支えになっていたらしい。新入社員をはじめから鍛えることはいらないのだ。
そうなると遊ぶという時間、年代はかぎられ、今のように子どもが夜フラフラしてることはなかったのだ。


落選続き・・・・

2015年09月04日 | Weblog
絵本作家の卵コンクールの落選通知が来た。
卵になれないのでどういう存在かわからない。受精以前ということだろう。

ということで朝ごはんのゆで卵をパチリ。

落ちた作品は着払いで帰ってきた。あの暑い夏に入る前に描いたものだった・・・・・・あ・・・・あ・・・
今度の発表は十月末だ。二作品でているうううううう。

ねこまたというもの

2015年09月03日 | Weblog


猫はエジプトの昔から、家畜化させ現在までのさばっている。これが歳をとると「猫また」になる。つまり尾が二又に別れ強い霊力をもつ。猫又になると人を喰う。しかし、恩を受けた人には恩返しをする。それで安心して猫をかうのであろう。ただ全国的には東北地方に恩返しの話が多いそうだ。南下すると化け猫話が多い。信州もそうだ。
歌舞伎にも化け猫の話が多い。猫は執念深いからそうなるのだろう。
ようはあんまり関わりをもたないことだ。

熊った五輪

2015年09月02日 | Weblog


ケチがつくと更にケチがつく。
テレビで誰かが言ってたが「世の中、たるんでる」そのとおりである。
熊ったものだ。
新しいのが出ると、またクレームがつきそうな雰囲気になってるのもイヤである。

俳句や短歌に「本歌取り」と言う形式がある。
これはまったく同じではないが、ちょいいただくという感じ。

龍之介の俳句に
青蛙おのれもペンキぬりたてか
という句がある。これは詩人ルナールの
青トカゲペンキ塗りたて
を本歌取りしたものだ。
かの寺山修司さんは、盗用と騒がれた時「もとのものより俺の方がよくなっている」と言った。そのとおりで世の中からそれは消えてない。
ときたま、俳句などの投稿で入選作がとりけされることがある。これはほとんど同じなのである。これは盗用という。

禾の候

2015年09月01日 | Weblog
いよいよ九月である・・・・・禾稔る候だ。
近くのたんぼでは早々に刈り取ってしまった。青田刈りで牛の飼料にするそうだ。品種はコシヒカリとか。
いつまでもやってられないので「百物語」を綴じた。
もうお化け話にむかない季節になったのだ。一応数えてみたら16話であった。百まではどえらい道のりだ。杉浦日向子さんは「小説新潮」に八年かけ連載したそうだ。99話まで。99話で終わるとこがいいが・・・・・・16でわな。