菅谷不動尊は、新発田市役所の北東約8kmのところ
国道7号線が加治川を渡ったところを東へ国道290号線を進みます
坂井川右岸を道なりに進むと菅谷集落です
集落の中のみちを進むと菅谷不動尊の前にでます
集落の中の道を進んで
駐車場に入ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b2/2f549874ae8353708adf6c4ac8998482.jpg)
菅谷不動尊駐車場入口です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/61/f947c17be28115f0549f8c07e8739699.jpg)
北越之霊場 菅谷不動尊です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f8/19502487099f60a5d89d24991874501e.jpg)
境内案内板です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/20/244880a05782db4e4f6ddfb3bcff4f49.jpg)
参道を進みましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9d/f2db726b3da24bd9d563b08b48fcf9c1.jpg)
手水舎です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/62/8152a019bfd1c1b9e9a195db7ac6c007.jpg)
向かい側には赤松の大木です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/54/774592e731d27184238a286a49099a79.jpg)
菅谷寺縁起の石碑です
菅谷寺縁起
菅谷寺は、今を距てること800年前,鎌倉時代、源頼朝の叔父君護念上人の
創建されたものであります。
本尊不動明王は約3000年前、印度のビシュカツマの御作で、栴檀の香木に
真心こめて刻まれ祀られること1460余年、その後印度から支那を経て更に、
傳教大師によって、我国に請来された所謂三國傳来の尊い御像であります。
以来比叡山無動寺に安置されること350年、當時比叡山に在って専心佛道修
業中の護念上人が故あって、日頃最も深く尊信帰依し奉ったこの御尊像の御頭だ
けを笈に納めて廻國修業の後當菅谷の里に至った際、たまたま不思議な霊感によ
って、ここを結縁の地と感じ、一字を建て、御本尊を安置し奉ったのに始まりま
す。
其の後、雷火の為、伽藍が悉く焼け失せた際にも、この御本尊のみは、梂傷だ
も負わせられず、𠑊然としてみたらしの中に在しましたと言傳えられ、日本三不
動の一つとして、所願成就、特に眼病平癒に最も霊験あらたかなりと称されて居
ります。
酉年御開帳記念 昭和56年4月建立
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/be/916281b96f8a370e93a870e0a05fccf2.jpg)
山門です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/11/37834d1971b3e41cbea9ea13322e354c.jpg)
山門の説明版です
山門
現在の山門は、慶応2年(1866))村上の宮大工板垣伊兵衛の指揮のもと、
大工・木挽きなど延べ総数五千有余人、実に8年の歳月をかけて建立した欅造りの
楼門である。楼門の四囲の桁間には、美しい十二支の彫刻が施されている。
又、両袖に立つ阿吽の仁王様には、かんだ「紙つぶて」を身体の悪い箇所に吹き
つけ、病気の平癒を祈った信仰があり、今にその跡がうかがわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ec/9c878898b38ccf51d2082014bd34f482.jpg)
本堂前の石段です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/6b/5cb897d18344946fbf412549205b088b.jpg)
本堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f6/9d870ebc010e8e1fe7bebf1e0ac01c30.jpg)
本堂の説明版です
本堂
鎌倉時代、源頼朝卿の叔父護念上人に依って、比叡山より勧進された三国伝来の
本尊不動明王が祀られている。
現在の堂宇は、明和7年(1770)に再建されたもので、入母屋造りのお堂で
ある。
昭和38年草葺き屋根から銅板屋根に葺き替えられた。
内部は、本尊保安殿(昭和56年完成)内陣外陣に分けられ、本尊宝前において
護摩を修する真言密教の根本道場である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/25/cc114ce1d15f2a6231fca53349166b49.jpg)
鐘楼です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2b/8f825343ebccb00af3fb3fa6c62575c7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/25/571c9586eb13b74252ae671b063568c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/74/cfb77b3accac1238a75d6849143d94b8.jpg)
参道西側には杉の大木が並びます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/4e/ad3445dcaa64d444cdedc0eaef990e48.jpg)
開基護念上人の石碑です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d3/5ab8867f368bf35d67af901b39c49b61.jpg)
水盤の後ろには、枯れてしまった御神木の幹が残っています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/3c/bb0173590eed4a8ddc192343006f18ed.jpg)
参道西側の建物は籠り堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3c/a51bad6214d1d1b2a52bacf7653fd60c.jpg)
籠り堂の説明版です
籠り堂
昔より主に重い眼病、当病の人々が平癒・成就のため、このお堂にお籠りしひた
すら精進祈願した行堂で、その名がある。
戦前までは、門前の旅籠やで数ヶ月から一年も泊まって、一日6回、このお堂で
専心念仏を唱え、その声と鐘の音が山内に鳴り渡った。
この鐘(現在本堂にあり)には、天明4年(1784)の銘があり往時を偲ばせ
てくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/34/4d9f0db3c5830c5fe2489b3ec6116c42.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/95/50aee59adea98ddefa47eb41fc6a9dce.jpg)
参道東側に大スギです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/25/39dfe02a808e73fc86028365f826b903.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8b/b37ed4104dfdc34a60fb53068bbba8c1.jpg)
本堂前から見上げました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f2/86affd5e3b073169774047a51dad4a50.jpg)
不動明王像があります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/35/517da71618048fa8657d8de69ceeaef9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/02/5c5a55cd172be485f3aeeb0c170a8097.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9d/b218f32dfa18f72ce6ef618290713bef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/71/ee70810293d201b95cec8f7fb86add43.jpg)
南側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/58/6fb650688f5019e3fb239a5420ae91f2.jpg)
東側の地蔵堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/40/ad3ece7f8719761de391e7957c649b68.jpg)
地蔵堂の説明です
地蔵堂
元文5庚申年(1740)享和4甲子年(1804)の刻銘がある古い地蔵尊で、
延命地蔵・子育地蔵として童子老若男女を問わず信仰をあつめ、山内で最も参詣者の
心中身辺に親しまれている仏様である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/8e/d2d352e1ca7b96aa2c8c90eb33784f6a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/eb/52b3149e028e9b72e8cac3bca2518c8d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7d/9c5edcd088ed8ef1c4e308ed4a167271.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b1/ec799d6f5d3f8f7a60545b7cba4f5c12.jpg)
南東側から、大スギの前にはケヤキの大木です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0f/2ca8bd8f1c16b1879d131a85a7fd854c.jpg)
南側の建物は天満宮です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d0/eeef01dd2264d83c48f25a0f6683e76c.jpg)
弁天堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b3/397c5536ec6b65f0e6f0773ddac27f7c.jpg)
弁天堂の説明版です
弁天堂
祀られている弁財天は、俗に七福神の一つ弁天様と言い、財福・音楽の女神である
と同時に、知恵の神様ともいわれ、いつの頃からか、女の人が心願成就のため、大事
な頭髪や髪飾りを奉納するようになった。
元来弁財天は、インドの聖河の化身と云われ、当初、この弁天池にあったものを、
明治年間、みたらせの滝脇に移建し、平成元年旧に復し堂宇を建立遷座したものであ
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/6a/eeda692dc7f3d1c397221ba3126e297d.jpg)
本堂西側には薬師堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/84/a7d8d0b2752691c5347a80dc50d1bcdc.jpg)
薬師堂の説明版です
薬師堂
祀られている薬師如来は、寛永3年丙寅(1626)中興の祖、観山によって米山
薬師から勧進されたと伝えられ、はじめ鳥屋ノ峰に、次いで、西方薬師山に堂宇が建
立されてあった。平成元年に当堂に安置した。
御前立尊像は、左手に薬壺を持ち、衆生の病難を救って下さる医薬の仏様である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/8d/4e9c956f88d3502d94ef7ac0328bc4db.jpg)
開山堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/dc/988c9da7576f657f2c20cc2410ee8ce7.jpg)
開山堂の説明版です
開山堂
今をさる800年前、源平の戦乱をのがれ、比叡山無動寺より不動明王を請来(文
治元年1185)され、この菅谷の里に初めて当山を開基された源頼朝卿の叔父君護
念上人をお祀りする御堂である。
上人は開山の後、頼朝卿の懇願により遠く鎌倉に赴き、大姫の病を本復させたこと
が幕府の記録「東鑑」に記述されている聖僧である。
開基上人に因んで当山では、源氏ゆかりの「笹りんどう」を寺紋としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ea/79f588fea3482d1b46053bfe593aa8ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c9/7f79ebc04a238f9d6fb19860b07c313b.jpg)
みたらせの滝の説明版です
みたらせの滝
正元4年(1210)に源頼朝卿の寄進により建立された七堂伽藍は、建長5年(
1253)の春、雷火のため悉く焼失したが、その時ご本尊のみは「みたらせの滝の
中に数多くのたにしに守られ、尊像は毫も損じ給わず」とご縁起にあり、誠に不思議
な霊験と今に伝えられている。
以来、滝つぼに「たにし」を奉納し、滝不動に水をかけ多くの人々に親しまれてる
又、この水は、古くから眼病に霊験ありとしても知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/45/95880ebdb1602b56ca0b9e6762b51568.jpg)
ここにも不動明王像がありました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
国道7号線が加治川を渡ったところを東へ国道290号線を進みます
坂井川右岸を道なりに進むと菅谷集落です
集落の中のみちを進むと菅谷不動尊の前にでます
集落の中の道を進んで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b2/2f549874ae8353708adf6c4ac8998482.jpg)
菅谷不動尊駐車場入口です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/61/f947c17be28115f0549f8c07e8739699.jpg)
北越之霊場 菅谷不動尊です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f8/19502487099f60a5d89d24991874501e.jpg)
境内案内板です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/20/244880a05782db4e4f6ddfb3bcff4f49.jpg)
参道を進みましょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9d/f2db726b3da24bd9d563b08b48fcf9c1.jpg)
手水舎です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/62/8152a019bfd1c1b9e9a195db7ac6c007.jpg)
向かい側には赤松の大木です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/54/774592e731d27184238a286a49099a79.jpg)
菅谷寺縁起の石碑です
菅谷寺縁起
菅谷寺は、今を距てること800年前,鎌倉時代、源頼朝の叔父君護念上人の
創建されたものであります。
本尊不動明王は約3000年前、印度のビシュカツマの御作で、栴檀の香木に
真心こめて刻まれ祀られること1460余年、その後印度から支那を経て更に、
傳教大師によって、我国に請来された所謂三國傳来の尊い御像であります。
以来比叡山無動寺に安置されること350年、當時比叡山に在って専心佛道修
業中の護念上人が故あって、日頃最も深く尊信帰依し奉ったこの御尊像の御頭だ
けを笈に納めて廻國修業の後當菅谷の里に至った際、たまたま不思議な霊感によ
って、ここを結縁の地と感じ、一字を建て、御本尊を安置し奉ったのに始まりま
す。
其の後、雷火の為、伽藍が悉く焼け失せた際にも、この御本尊のみは、梂傷だ
も負わせられず、𠑊然としてみたらしの中に在しましたと言傳えられ、日本三不
動の一つとして、所願成就、特に眼病平癒に最も霊験あらたかなりと称されて居
ります。
酉年御開帳記念 昭和56年4月建立
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/be/916281b96f8a370e93a870e0a05fccf2.jpg)
山門です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/11/37834d1971b3e41cbea9ea13322e354c.jpg)
山門の説明版です
山門
現在の山門は、慶応2年(1866))村上の宮大工板垣伊兵衛の指揮のもと、
大工・木挽きなど延べ総数五千有余人、実に8年の歳月をかけて建立した欅造りの
楼門である。楼門の四囲の桁間には、美しい十二支の彫刻が施されている。
又、両袖に立つ阿吽の仁王様には、かんだ「紙つぶて」を身体の悪い箇所に吹き
つけ、病気の平癒を祈った信仰があり、今にその跡がうかがわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ec/9c878898b38ccf51d2082014bd34f482.jpg)
本堂前の石段です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/6b/5cb897d18344946fbf412549205b088b.jpg)
本堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f6/9d870ebc010e8e1fe7bebf1e0ac01c30.jpg)
本堂の説明版です
本堂
鎌倉時代、源頼朝卿の叔父護念上人に依って、比叡山より勧進された三国伝来の
本尊不動明王が祀られている。
現在の堂宇は、明和7年(1770)に再建されたもので、入母屋造りのお堂で
ある。
昭和38年草葺き屋根から銅板屋根に葺き替えられた。
内部は、本尊保安殿(昭和56年完成)内陣外陣に分けられ、本尊宝前において
護摩を修する真言密教の根本道場である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/25/cc114ce1d15f2a6231fca53349166b49.jpg)
鐘楼です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2b/8f825343ebccb00af3fb3fa6c62575c7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/25/571c9586eb13b74252ae671b063568c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/74/cfb77b3accac1238a75d6849143d94b8.jpg)
参道西側には杉の大木が並びます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/4e/ad3445dcaa64d444cdedc0eaef990e48.jpg)
開基護念上人の石碑です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d3/5ab8867f368bf35d67af901b39c49b61.jpg)
水盤の後ろには、枯れてしまった御神木の幹が残っています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/3c/bb0173590eed4a8ddc192343006f18ed.jpg)
参道西側の建物は籠り堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3c/a51bad6214d1d1b2a52bacf7653fd60c.jpg)
籠り堂の説明版です
籠り堂
昔より主に重い眼病、当病の人々が平癒・成就のため、このお堂にお籠りしひた
すら精進祈願した行堂で、その名がある。
戦前までは、門前の旅籠やで数ヶ月から一年も泊まって、一日6回、このお堂で
専心念仏を唱え、その声と鐘の音が山内に鳴り渡った。
この鐘(現在本堂にあり)には、天明4年(1784)の銘があり往時を偲ばせ
てくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/34/4d9f0db3c5830c5fe2489b3ec6116c42.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/95/50aee59adea98ddefa47eb41fc6a9dce.jpg)
参道東側に大スギです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6c/f7ec84b987ce065885bfbad8760d499d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/25/39dfe02a808e73fc86028365f826b903.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8b/b37ed4104dfdc34a60fb53068bbba8c1.jpg)
本堂前から見上げました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f2/86affd5e3b073169774047a51dad4a50.jpg)
不動明王像があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/35/517da71618048fa8657d8de69ceeaef9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/02/5c5a55cd172be485f3aeeb0c170a8097.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9d/b218f32dfa18f72ce6ef618290713bef.jpg)
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南側から
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東側の地蔵堂です
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地蔵堂の説明です
地蔵堂
元文5庚申年(1740)享和4甲子年(1804)の刻銘がある古い地蔵尊で、
延命地蔵・子育地蔵として童子老若男女を問わず信仰をあつめ、山内で最も参詣者の
心中身辺に親しまれている仏様である。
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南東側から、大スギの前にはケヤキの大木です
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南側の建物は天満宮です
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弁天堂です
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弁天堂の説明版です
弁天堂
祀られている弁財天は、俗に七福神の一つ弁天様と言い、財福・音楽の女神である
と同時に、知恵の神様ともいわれ、いつの頃からか、女の人が心願成就のため、大事
な頭髪や髪飾りを奉納するようになった。
元来弁財天は、インドの聖河の化身と云われ、当初、この弁天池にあったものを、
明治年間、みたらせの滝脇に移建し、平成元年旧に復し堂宇を建立遷座したものであ
る。
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本堂西側には薬師堂です
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薬師堂の説明版です
薬師堂
祀られている薬師如来は、寛永3年丙寅(1626)中興の祖、観山によって米山
薬師から勧進されたと伝えられ、はじめ鳥屋ノ峰に、次いで、西方薬師山に堂宇が建
立されてあった。平成元年に当堂に安置した。
御前立尊像は、左手に薬壺を持ち、衆生の病難を救って下さる医薬の仏様である。
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開山堂です
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開山堂の説明版です
開山堂
今をさる800年前、源平の戦乱をのがれ、比叡山無動寺より不動明王を請来(文
治元年1185)され、この菅谷の里に初めて当山を開基された源頼朝卿の叔父君護
念上人をお祀りする御堂である。
上人は開山の後、頼朝卿の懇願により遠く鎌倉に赴き、大姫の病を本復させたこと
が幕府の記録「東鑑」に記述されている聖僧である。
開基上人に因んで当山では、源氏ゆかりの「笹りんどう」を寺紋としている。
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みたらせの滝の説明版です
みたらせの滝
正元4年(1210)に源頼朝卿の寄進により建立された七堂伽藍は、建長5年(
1253)の春、雷火のため悉く焼失したが、その時ご本尊のみは「みたらせの滝の
中に数多くのたにしに守られ、尊像は毫も損じ給わず」とご縁起にあり、誠に不思議
な霊験と今に伝えられている。
以来、滝つぼに「たにし」を奉納し、滝不動に水をかけ多くの人々に親しまれてる
又、この水は、古くから眼病に霊験ありとしても知られている。
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ここにも不動明王像がありました
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では、次へ行きましょう
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