種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

ひとつの世界の終り

2014年02月03日 | フォトリーディング(未整理)
聖なる洞窟の地 (上) エイラ 地上の旅人 (14)
ジーン・アウル
ホーム社


「始原への旅立ち」というシリーズの第6部完結編で、ようやく読みおえることができた。翻訳が出ていないのかと思ったら、原作そのものが完成していなくて、日本では、出版社が変わり、翻訳者が変わり、翻訳や出版の方針が変わり、第6部を読み終えるまで20数年、翻弄されてしまった。

昨年第6部が出版されたのだが、それに気がついたのが最近。たくさんのレビューが書かれていたので、いくつか読むと、完結編を長らく待ったのに拍子抜けというか、物足りないようなレビューが目についた。ええっ、20年待ったのに、そんながっかりな感じなの?

だから、さして期待せずに読んだのだが、ひとつの世界の終焉を感じたので、期待通りではないにしても、これはこれで満足できた。

しかし、これが、第1部「大地の子エイラ」を読んだ高校生の頃に、第6部の完結編まで読んでしまうことができたら、他のレビューの人と同じような感想を持ったかもしれない。そういう意味では、年月を経て、私が大人になったといえる。

ひとつの世界とは、第1部から小説にずっと流れている根幹にある世界観のことで、その世界観を理解しようがしまいが、第1部は読み応えがあると思う。この世界観は、日本のような、伊邪那美や伊邪那岐の伝説がある国では、発想できないものだと思う。神話や伝説のない、若い国の人だからこそ、創作された物語だと考えるようになった。そんな感想も、私が大人になったからかもしれない。

それにしても、ダルクって誰?そんな名前の人いたかしら?
エイラの氏族へ残して去るしかなかった息子のことなのだが、確か第1部では、デュルクだったはずだ。たぶん発音的には、ダルクのほうが原音に近いんだろうなあ。
この小説の愛読者の中では、私もその一人なのだけど、エイラとこの息子との再会が、第6部ではあるのではないだろうかと予想していたのだった。しかし、再会はなかった。登場シーンは実はあったのだけど、これは期待どおりではなかった。まあ、ファンの読者の予想を超えないとね。