浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

火付け強盗の輩

2012-11-17 09:09:47 | 日記
 「日本維新の会」などという政治団体への注目度が高いようだ。現在のマスメディアは、まったく理性的ではない。テレビメディアなどで注目される「時流」に乗る「事件」を追いかけて、その「事件」をとりあげさらに「時流」を増幅させる。人びとの情報入手先はテレビや新聞なので、そこで騒いでいる「事件」が自然に頭の中に入っていく。しかし「事件」は一時の動きなので、人びとがそれに飽きてきたらいつのまにかメディアも取り上げなくなる。まさに泡のようなものである。

 さて、明治維新については最近スケールの大きい歴史書が発刊された。宮地正人氏の『幕末維新変革史』(岩波書店、上・下)である。一冊3200円。購入すべきかどうか迷い、とりあえず図書館から借りてみた。読み始めて、これは買って読まなければならないと思った(だからすぐに返却した)。現在の研究の到達点をみごとにとりいれた名著である。

 さて、「日本維新の会」の人びとは、「明治維新」あるいは戦争前夜に叫ばれた「昭和維新」ということを、どれほど調べているのだろうか。ただ幕藩体制が倒され、新しい政治体制が生まれたという現象だけを見て、幕藩体制を倒す側であった「志士」たちにみずからを重ね合わせてみているのだろう。

 だが「志士」は、テロリストであった。昨日書いたようにまた彼らは「殺人者」でもあった。幕藩体制支配を不安定化させるために、幕末の「志士」たちは、火付け強盗を働くなど、江戸を混乱に陥れようと策動していた(特に薩摩藩はひどかった)。彼ら「志士」たちの行状を探ってみるが良い。たとえば藩からもらった留学費用を遊郭で費消してしまったり(これは長州藩。長州藩=山口県は安倍自民党総裁の出身地)、外国人の館を襲撃したり、あるいは金儲けのために詐欺めいたことをしたり、とにかくふつうの人間がしないようなこと(=犯罪)を犯していたのである。そういう輩がきちんとした政治体制をつくれるわけがない。

 徳川慶喜が大政奉還した後、全国の支配者であった徳川家は静岡を中心とした藩に下向してきた。静岡県内には、現在の静岡市や沼津市を中心に旧幕臣が入り込んできた。だが、新しい政治体制をつくりあげるなかで、どうしても中核となる人材が必要となった。テロリストだけでは、きちんとした政治体制なんかできるわけはないのである。

 そこで、テロリストたちは、旧幕臣を官僚機構のなかに取り込んでいった。静岡県内に下向してきた旧幕臣は、少しずつ東京へと移転していった。

 その事実は、樋口雄彦氏の研究書に詳細に描き込まれている。『箱館戦争と榎本武揚』(吉川弘文館)、『第16代徳川家達』(祥伝社新書)、『旧幕臣の明治維新』(吉川弘文館)など。

 表で騒いでいる者たちに、きちんとした政治なんかできるわけがないのだ。「維新」ということばは、「改革」を叫ぶ者たちに「愛用」されることがある。「昭和維新」がそれである。何をどう改革するのか、それを問わないで、「維新」ということばに情緒的に動かされることがないようにしたい。
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