しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

0系への長い道

2008-12-07 10:50:44 | 鉄道写真

  11月23日(日)勤労感謝の日

40Dの初陣を飾るべく*、岡山に車を走らせます。心の中でシャア少佐のように呟きます

「見せてもらおう、40Dの性能とやらを!」

*11/9の緑木検修場でのショットはテストですから・・・。

Img_6037 20世紀を代表する鉄道車両0系新幹線が引退するまであと1週間!世間一般も巻き込み、大きな話題になっているようです。駅にカメラを手にしたマニアやにわかファンが大挙押しかけている様子を映したニュース映像が、たびたび流されています。この私も、撮り鉄としては若葉マークが取れそうでとれないレベルですが、引退前に1枚くらいは0系の雄姿を収めたいという想いはあります。そう言うわけで、徳島の自宅を車で朝7時過ぎに出て、瀬戸大橋経由で岡山県に渡ります。今日は、山陽新幹線の高梁川鉄橋に向かいます。お立ち台通信vol.2の0系ファイナルガイドに掲載されているポイントを目指します。入り口付近に駐車スペースが無いため、少し離れた場所に駐めました。ガイドに書かれている小道は、ホントにこの道で大丈夫と思えるような、上空を覆う竹藪で薄暗くて、細く曲がりくねった道でした。その道の終点はお墓になっていました。てっきり道を間違えたと思いましたが。お墓の向こうに、少し開けたスペースが見えます。お墓を避けながら、開けた場所に出ると軽い感動に震えが来ました。新幹線鉄橋が見下ろせます!やがて100系こだまが目前を駆け抜けていきます。<本に出ているのと、同じ光景ですよ!(当たり前ですが)>。しかも、引退1週間前というのに、同業者の姿は無い!「お立ち台を独占だアー!」0系通過まであと2時間あります。それまで、ゆっくり待つとしましょう・・・・。

とは言え、静かだったのは、この時まで・・・・・。

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Img_6021 次から次へといろんなTypeの新幹線がやって来ます。500系は見かけましたが、元祖300系は2時間待っても現れませんでした。山陽区間では珍客なのでしょう・・・。

10分ほどすると、同業者が現れ始めます。1時間30分前に5人。1時間前に15人。30分前には私の前方に陣取るカメラマンを含め30人以上の同業者さんたちが、ネコの額ほどのお立ち台に固まって、0系通過のその一瞬を待ち受けています。

   

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やがて、その時がやって来ました。その場に居合わせた全ての人が、遠くに見えたヘッドライトの光を確認すると同時に、少しずつ大きくなっていく0系の姿に、全神経を集中させます。橋梁の真ん中を過ぎたあたりから、一斉にカメラのシャッターを切る音が付近に響きます。0系通過は一瞬の出来事でしたが、ファインダーを覗いていた私にとっては、この一瞬がスローモーションの様に感じました。このような感覚は、初めての経験でした。0系新幹線がN700等の新鋭車両と比して遅いのは事実でしょうが・・・・。2時間待った甲斐がありました。

ともあれ、40Dに機種をグレードアップしておいて良かった・・・!MAX秒速6枚の威力に感動!この性能がなければ新幹線の撮影は難しかった・・・・。

新倉敷でのお別れ

3時過ぎに新倉敷に停車する博多行き<こだま>を見送ることにします。駅のホームに上がると待機中のカメラマンがちらほら。その中には、さっきまで高梁川鉄橋のお立ち台にいた人も何人かいます。みんな、0系にお別れしに来ているんでしょう・・・。

新大阪方から思いの外ゆっくりと0系<こだま>がホームに滑り込んできます。ここで、後続の<のぞみ>に抜かれる為、しばらく停車します。先頭車付近では、マニアだけでなく、車内から出てきた一般の乗客や子供達を加えた大人数の人が記念撮影をしています。そうしているうち、稲妻のような<のぞみ>に一瞬にして抜かれると、乗客達はあわてて車内に戻り、新倉敷駅は静寂を取り戻します。発車時間が来て0系こだまがゆっくりとホームから離れていきます。

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立ち会ったギャラリー達は、視界から消えるまで小さくなっていく0系の姿を追い続けます。赤いテールライトが小さな点になって見えなくなるまで・・・・。

私にとっては、これが最後の別れになるかもしれないとの思いを抱きながら・・・・。

「さよなら、0系さん!ごくろうさま」と心の中でつぶやきながら、人気のない新倉敷駅の階段を下ります。

水島への寄り道

Img_6127 新倉敷からの帰り道、水島臨海鉄道の倉敷貨物ターミナルに立ち寄ります。こちらは、前回Img_6107訪問から15年?程間隔が空いてしまいました。前回訪問時はまだタンク車がヤード付近に多数居ましたが、いまや1両の姿も見えません。完全にコンテナ取扱駅となってしまいました。前回来たときには、繋がっていた(ように見えた)製鉄所方面へのレールも、切られていました。昔を知るものにとっては、寂しさを覚える、秋の夕暮れの貨物駅でした・・・・。


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