しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

名護屋城跡へ

2013-10-07 23:09:34 | 

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2013年7月13日(金)

 国道323号線を北上して唐津市に入ります。虹の松原を右手に見て松浦川を渡り、そのまま 市街を抜けさらに北に向かいます。半島中央を貫くかたちで、ようやく目的地の名護屋城跡に到着します。駐車場から炎天下の坂道を上り、やがて見晴らしの良い丘の上にたどり着きます。目の前には、碧い海が拡がっています。空には綿あめをちぎった様な雲が流れていきます。海からの強い風が、顔に直接ぶつかり、私は<うぉー!>と声をあげてしまいます。声をあげずにはおれないほどの、解放感溢れる景色がそこには拡がっていました。ここが名護屋城天守閣跡との事。石垣の崩れ具合はすさまじく、荒城ぷりに哀しみも沸いてきそうなモノですが、ただただコントラストのはっImg_7602 きりした真夏の明るい風景は、そんな感傷も塗りつぶしてしまいます。何も無い様なこの場所に、かつて5重7階の天守閣がそびえ立っていたという事実を容易に信じられません。秀吉が大陸進攻の拠点として築いた名護屋城は、当時としては大坂城に次ぐ規模であったと言われていますが、秀吉の死後取り壊されてしまいました。一部の建物は近くの唐津城に移されたとも言われます。石垣は島原の乱以降、一揆に城跡が利用されない様に破壊されたといいます。また、城の周辺は一時10万以上の人口を擁した城下が拡がっていたと言いますが、それを偲ぶ痕跡は見当たりません。 城跡は、自然に帰ろうとし、城下はもう森に還っています。石垣の崩れた部分からは、巨木Img_7613が大きな根をはわして生い茂っています。その荒廃ぶりはアニメのラピュタ城を思わせます。強固に見える現代文明も時の洗礼を受ければ、この石垣と同様の姿をさらすのでしょうか?そんな<兵ども(太閤さん)が夢の後>を観ながらいろんな事を考えます。あとで資料館も廻りましたが、繁栄した時代があまりにも短かったせいか、その後の破壊が徹底されていたせいか、それとも関係した人にとっては思い出したくない記憶であった為か、当時の詳細な記録はあまり残されていない様です。今後、発 掘などで新たな発見等が期待できそうですが・・・・。
 城跡のすぐ先にある波戸岬に向かいます。ほとんど人気の無かった名護屋城に対して、Img_7656海を楽しむ大勢の家族連れや若者のグループで賑わっています。現実の世界に戻ってきた様な気がして少しほっとします。波戸岬の先端部分まで歩いてみます。この日の玄界灘は穏やかで、どこまでも優しい姿を見せています。