しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

山陽3000号に別れを告げてしまう

2017-11-26 23:53:30 | 中小私鉄
2017/11/19(日)
今日の予定は大阪で映画を観て、そのあと展覧会で絵を観ると決めて神戸まで出てきました。でも少し気になることがあります。
この23日に引退する山陽電車の3000号の写真が撮れたらいいのにと、何か良からぬ考えが浮かびます。梅田方面に向かうつもりが
反対の姫路方向の電車に乗ってしまいます。山陽電鉄区間に出ると駅のホームや線路縁でカメラを構えている人をチラホラ見かけます。
それを見てしまうと、私も参加したくなります。祭りに飛び入り参加する気分ですが、そうすると映画の開始時間に間に合わなくなります。
映画もいいですが、3000号は今日を逃せば2度と目にすることが出来ない。ここは映画をあきらめ3000型を待つことにします。
場所は霞ヶ丘駅西側。先客の同業者は2人。寒空の下西から来るであろう3000号をひたすら待ち続けます。







2時間ほど当地で粘っていると運用を知っているカメラマン達が集まり出し、いつの間にか一帯は大人数になっています。
とにかく雲の多い日で頻繁に陽がさしたり、翳ったりを繰り返します。私の日ごろの行いの悪さか、本命3000号が来るときは、陽は翳る
だろうなという予感は見事的中。でも陽光でギラリとするよりアルミの冷たさが出てそれはそれでよかったかなと自分を納得させます。

電車が目前を通過すいると、カメラマンたちは一斉に霞ヶ丘駅に向かいます。同駅で特急退避の3000号に乗り込み皆さん思い思いの
小さな旅を楽しみます。車内は、3000号の思い出の写真で飾られ惜別ムードも盛り上げています。車端にはローレル賞受賞のプレート
が誇らしげに掲げられています。撮って、乗っての私のお別れのセレモニーは、この電車の終点、東須磨で終わりを告げました。






雨でも富山で鉄道三昧(2)サービス満点!稲荷町174号撮影会

2014-04-14 22:10:29 | 中小私鉄

2014年3月30日(日)

 電鉄富山からひと駅乗車し、車庫・工場のある駅稲荷町駅に降り立ちます。大勢の同じ目的を持つ方々が下車していきます。昨日の「ありがとう174号」運行に引き続き、これから富山地鉄のご厚意で<174号雄姿撮影会>が開催されます。あいにくの雨にも負けず、傘の群れは稲荷町鉄道基地に吸い込まれていきます。薄暗い庫内の受付で参加費500円を払ったのち、小学校の全校朝礼で校長先生のお話を聞くように、責任者の方から説明を受けます。「今日を限りに174号機は車検切れとなり、線路上を走れなくなります。その姿を写真に収めてやってあげてください。」と参加者にやさしい言葉をかけています。一同その言葉を合図に、雨降る屋外に移動し、お目当ての174号電車を中心に撮影していきます。外側の側線に元西武5000系レッドアロー号の現16010形<特急アルプス号>を止めています。水戸岡デザイナーによってオリジナルの面影は薄められましたが、私にとっては今でもレッドアローと呼び方がしっくりします。この横並びは、ちょっと174が地味すぎてかわいそうです。

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 やがて内側の側線に元京阪3000系、現10030形から「ダブルデッカーエキスプレス」が横付けされて、オールスター揃い踏みが実現します。ダブルデッカーの時代絵巻のイラストは実に美しい・・・。本家は塗りつぶしてしま
いましたが、実に惜しい・・・!最後に生き残った地鉄で、美しい姿を末永く見せて欲しいと思います。

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やがて、<特急アルプス号>が通常運用に戻るため側線から去っていきます。あらためて正面側に回ってみると、先ほどと印象が違います。よく見ると174に<特急立山号>のヘッドマークが付いています。さっきまで地味だった今日の主役が、急に華やいで見えます。隣の京阪さんにも負けてはいません(差がかなり縮みました)!ヘッドマークの力、恐るべし!174の手前には様々なヘッドマークが置いてあり、これから時間をおいて順次付け替えしてくれる様です。

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けれども、雨は止むことなく降り続け、傘をさしていても既に体はずぶ濡れ状態です。悲しいことに拭いても拭いてもレンズに水滴が付着し、多くのカットが悲惨な状況になっています。こんな天候の中、撮影会はまだまだ続く様子でしたが、帰りの電車の時間が迫ってきました。後ろ髪引かれる気持ちですが、これ以上の長居は諦め会場を後にします。

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 稲荷町駅の本線側ホームから車庫裏が見渡せます。そこにはよれよれになったレッドアローの中間車と凸型機関車が忘れ去られたように雨に打たれています。このデキ12020が主役に立つ日を見てみたいと思います。とはいえ、その日がお別れ撮影会になるかもしれませんが・・・。

 

 


雨でも富山で鉄道三昧(1)路面電車新線乗車と時刻表2万キロの種

2014-04-13 17:24:21 | 中小私鉄

2014年3月30日(日)

Img_1226 ホテルで朝食を済ませ、富山の街に出ます。昨日と打って変って気分が滅入りそうな 本格的な雨模様です。長い地下道を通り、JR富山駅北口に出ます。これから岩瀬浜まで富山ライトレールに乗車します。JRが運行していた旧富山港線を引き継ぎ、日本初のLRTとして2006年開業しました。私たちが乗車するのは、おしゃれな赤いラインの入った低床連接車です。
 富山駅北駅を出ると奥田中学校前駅の直前までの短い間は自動車と並走しながら単線で路面を走ります。専用軌道からは旧富山港線を改修した区間です。枕木や架線柱は新しくなっています。車庫のある城川原でオレImg_1243 ンジラインの電車と交換します。結局、終点まで両側の車窓は住宅や工場ばかりが続き、旅情を誘う景色はほとんどありませんでした。が、このことは、安定した利用者がいるということで経営的にはプラスに働くはずです。旅情に乏しい富山ライトレールですが岩瀬浜の周辺は北前舟で繁栄した港町の風情が残っているようで、街歩きを案内するパネルが旅人を誘っています。が、止み間なく降るこの雨の中、街歩きするのは勇気が要ります。結局、乗ってきた電車で折り返します。
 車中でドラえもん氏がこんなことを言います。「宮脇俊三の<時刻表2万キロ>の最初の方でタクシーまで使ったのに東岩瀬浜と岩瀬浜の1.1キロを乗車するのを失敗したんだったよな・・・。今、突然思い出した。」それを聞いて、私は遠い記憶を手繰り寄せます。そのようなシーンがありました。この短い区間を乗車するため、わざわざ出直しています。思えば我々世代の鉄道愛好家で宮脇俊三の影響を受けていないものはほとんどいないでしょう。彼が<鉄道に乗るという行為>を広く世に知らしめ、その影響を受けて今の自分達がいるのです。それを認識した瞬間、殺風景な車窓が別の風景に変わりました。天国におられる先生は嫌がるでしょうが東岩瀬浜の地に<宮脇俊三、受難の区間>の文学碑を建ててあげたくなりました。


Img_1261  JR富山駅前に戻り、引き続き市内電車に乗車します。駅の南側の富山地鉄が運行する区間も2009年開業した新線区間があります。2人とも未乗車ですので、この機会に乗っておきます。電車は富山市中心部を時計と反対回りに循環していきます。新線部分は、富山城の傍を単線で走り、オフィス街や大型店横をくねくねと走っていきます。多かった乗客もループが終わるまでに降車していき、一周して富山駅に戻ってきたのは我々だけでした。未乗区間を乗車し終えた時の高揚感の高まりで、自分が骨の髄まで鉄道好きなのだと自覚します。天気はうっとおしい雨でも、心はハッピーなのですから。
 宮脇先生の撒かれた種は、時間も空間も離れた私の心の中でも芽を出して大きく育っています。問題は、少々大きく、いびつに育ってしまった傾向アリという事でしょうか?とはいえ、日本の鉄道完全乗車まで、また一歩近づきました!本日の乗車 富山ライトレール7.6㎞、富山地鉄富山都心線0.9㎞ ほんとに一歩ですが・・・。


今日は富山で撮影三昧(3)本線常願寺川鉄橋

2014-04-12 23:46:30 | 中小私鉄

2014年3月29日(土)

西魚津で[骨董品]駅舎を堪能した後は、本来の目的である「ありがとう174号」撮影に戻ります。岩峅寺を13時に出た本線上り電車を越中在原~越中三郷の中間にある常願寺川の西岸河川敷で狙います。

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 堤防上に上がり、鉄橋のたもとから
狙います。先ほどの上滝線と違い優等列車も通ります。子供の時から好きだった元西武のレッドアローがやって来ます。学生時代、E851の牽くセメント列車とレッドアローを撮影しに秩父に行った事を思い出します。その時同行したメンバーの一人は奇しくも今日の同行者ドラえもん氏でした。

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もと京阪3000系原色?のダブルデッカー付き特急もやって来ます。学生時代京都で過ごした我々にとって思い入れある車両です。

とはいえ、昔の車両?ばかりでなく東急から導入したステンレス車が幅を利かせつつあります。

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やがて、上市方向から本日最後の「ありがとう174号」が車体を左右に揺らせながら鉄橋を渡って来ます。最後のショットを納めて本日の地鉄巡りは終了です。夕方近くになって少しバックの山々が見えるようになって来ました。楽しい撮影日和となりました。
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Img_1194 夜は、富山の街の居酒屋で反省会です。富山名物白海老のてんぷらを摘まみながら、3月ダイヤ改正後の撮影事情についてドラえもん氏は熱く語ります。語りながらも、ジョッキをどんどん空けていきます。氏は私に語りかけます。「君、ブログの更新、遅いなあ。どないかならへんのん?文章減らして、写真中心にすりゃあいいのに・・・・。」

「それは嫌だな!そこは譲れん!」いつに無く私も強硬です。私も先ほどのドラえもん氏の様に熱く語り始めます。そんなこんなで学生時代の様に取り留めもない事を遅くまで、必要以上に熱く語り合います。そうしていつもの様に最後は<もう、撮りたいもんがなくなってしもうた・・・・>という結論でお開きになります。

Img_1197 酔いが回っていても、電車が来ればカメラを向けてしまいます。悲しいかな、酔っ払いの撮る写真は、ビンボケか手ぶれかと相場が決まっています・・・。けれど分かっていても撮ってしまう。

こうして富山の夜は更けていきます。

 

 

 


今日は富山で撮影三昧(2)地鉄の骨董品駅舎に痺れる<寺田・西魚津駅訪問>

2014-04-07 21:00:04 | 中小私鉄

2014年3月29日(土)

 月岡駅での撮影を終え、次なる撮影ポイントを目指し移動開始です。ハンドルを握るドラえもん氏が、突然語り始めます。「地鉄の大部分の駅舎は、現代の日本の水準からみると、信じられない程の[骨董品]で、見ていていつ倒れてもおかしくないモノ揃いやから見てみる?」もちろん異存はありません。現在位置からほど近いという理由で<寺田>駅に行ってみます。一目見て、あらためて驚きます。21世紀に入って大分経つというのに・・・・。今なお現役でがんばる[骨董品]からは、もう限界という痛さと、もう少しやれるところまで頑張ってみるさという居直り感が伝わってきます。その姿からは、悲壮感は感じられませんでした。できることならば、現在のスタイルを保ったまま保存できればと思いますが、この姿に価値を見出す人が多ければの話です。本線と立山線との分岐駅ということで、駅員も常駐しているようです。入場券を買い構内に入ります。本線と立山線の二又に分かれたホームの真ん中に今は使われていない立派な待合室が建っています。信号扱い所も兼ねていた様ですが、使われなくなって随分経っているようです。往時は乗り換え客で随分賑わっていたのでしょう。鉄道が移動の主役であった頃の姿を21世紀に伝えています。

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ホームにあったモダンな長椅子に心を奪われます。

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短い時間でしたが、クラッシックな駅舎を堪能しました。その事をドラえもん氏に伝えると「もっと、ぼろい駅舎があるから行ってみる?さよなら174号を一往復見逃すことになるけど・・・。自信を持って倒れそうな駅舎だから!」古いものに目がない氏が自信を持って言うのです。私は寺田駅で[骨董品]駅舎に目覚めてしまいました。もちろんOKです
 
 

 車を西に向け、たどり着いたのは<西魚津>駅・・・。まさに、横綱級[骨董品]駅舎です。これほどボロければ、いつ取り壊されてもおかしくない。いや。取り壊される前に、倒れてしまうんじゃないかという程にくたびれています。去りゆく老兵にねぎらいの言葉をかけてあげようと建物に近づくと、向かって右側の駅事務所内では改装作中でした。ということはまだ使う気なのです。将来どのような姿になるのかは分かりませんが、このクラシカルな駅舎に価値を見出しているのは我々だけではないようです。少し安心しました・・・。この駅の周りだけ時間がゆっくりと流れているような気がします・・・。

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