真の豊かさはジョークを言う瞬間に似ている。一瞬の好機をのがすと二度とチャンスはめぐってこないし、準備をしておくこともできない ブライアン・バークガフニ
ブライアン・バークガフニと聞いても、わかる人はいないだろうな。平成3年のNHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANG」にイエズス会神父のバリニャーニ役で出演していたカナダ人と言っても、まずわかる人はいない。まさに、禅語「舟を刻んで剣を尋ねる」の感がする。なんて書くと、「何よ、そんな禅語使って、ますますわからなくなる」。そんな声が聞こえてきます(この間の定期検診で、聴力がおちていると診断されたのだが、こういう声なき声は聞こえる)。
「刻舟尋剣」は、舟の客が誤って刀を海に落とした時、その落ちた側の舟の端を刻んで後から落ちた場所を頼りに刀を探そうとした昔話に由来する禅語です。つまり、すべては万物が流転して変化するのにそれを忘れている。というたとえ。恥ずかしながら、筆者はこの禅語をしらなかった。教えてくれたのは、平成12年1月発行の『禅文化』175号に掲載されている、「ブッダガヤの流れ星」です。作者はブライアン・バークガフニ 。禅語を使いこなして禅の専門誌に寄稿するこの人は誰なのか。もったいぶらないで、タネ明かしをしましょうか。その著書『庵』(グラフ社)に 添えられた説明文を引用するのがわかりやすいかも。次のようにあります。
「深秋のカナダ。敬虔なカトリックの青年がひとり、さまざまな惑いを胸に東洋へ旅立った。星霜九年。京都・妙心寺の苛烈な禅修行によって、ついに得られたものは…。異邦の探求者が混迷の世代に贈る熱いメッセージ」
少し詳しく説明すると、ブライアン・バークガフニ(一九五〇~)さんは、前世は日本人ではなかったかと思うほど(前世来世の存在は別にして)、正しく深く日本を理解しています。なぜなら、僧名を「来庵」と称し、雲水(修行僧)として、京都の妙心僧堂で九年間も過ごしたのですから。
妙心僧堂は呼び名からも察しがつくように、大本山妙心寺の塔頭(子院)で、数ある修行道場のなかでも厳格なところとして知られています。どのくらい厳しいのか。ブライアン・バークガフニ著『庵』(グラフ社)に次のような一節があります。
「外の世界はすでにハイテクの時代になっているというのに、そこでは十三世紀に日本に禅寺が創建されて以来ほとんど変わることのない生活様式が、かたくななまでに守られていた。電球と時計を除いて、十三世紀以来この牙城に侵入しえた文明の利器を私は他に思いつかない。煮炊きはまきを使って大きなかまどで、洗濯は井戸水を利用して手で、風呂は本山の庭でいくらでもとれる松葉を燃やして……」
来庵さんが僧堂に入ったのは、一九七四年(昭和四九年)の秋です。それから半世紀近くがたっていますが、妙心僧堂に限っていえば、環境はほとんど変わってないと思う。この文章を書くために、本棚の奥にあった『庵』をとりだして久しぶりに読んだのですが、九年間も僧堂に居たのは凄いことで、短くはない修行をした人が、綿密に道場の内部を記述した本は他にないのではないか。
今月の言葉は著作『庵』の最終部分で、1992年にインドを再訪した時の感慨です。おすすめの一冊ですが、絶版になっているようです。古本で流通していますから、気になる方はどうぞ。ちなみに、同じ著者、同じ出版社で『東西透かし彫り』(グラフ社)という本もありますが、これは『庵』の改訂版のようです。