松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

亡き母の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ 寺山修司

2013-03-02 | インポート

影たちの棲む国 影たちの棲む国
価格:¥ 1,631(税込)
発売日:1996-12

標記のことばは平成24年8月10日に掲示した言葉です。それを半年以上経った25年3月3日にブログしている。お盆の句を数ヶ月後の桃の節句に書いているわけ。なんで、そんなことをしているかというと、あんまり更新しない我がブログを「たまには新しくしなさい」と某人物からお叱りを受けた。それで書きやすいものから書いて、提出期限のきれた宿題をやっているというのがいきさつです。
さて寺山修司の歌。お仏壇を掃除したのでしょう。手にした位牌の裏に指紋がついて、亡くなった母が紋様のように複雑に思い出される、というお盆にはまったくもってあつらえむきの歌なのです。
しかし、天才寺山修司が、坊さんの下手な説経にうってつけの歌などつくるわけはない。
寺山修司は1983年(昭和58年)に47歳で亡くなっている。母のはつはその後、91年12月に78歳で亡くなる。つじつまがあわない。虚構の歌であるが、寺山修司ファンにはよく知られた事実です。歌人佐伯裕子が『禅文化』誌に次のような文章を寄せている。

寺山は、青森高校1年生の時に、『東奧日報』に「母逝く」という一連を作っている。驚くべきことに、母がまだ健在なのに、すでに亡きものとしてうたった高校生だったのである。
 母もつひに土となりたり丘の墓さりがたくして木の実を拾ふ
(途中略)ひとたび生まれたとたん、人は時間からも、血縁の愛憎からも逃れられない。一連の歌からは、虚構とか事実とかを越えた人間存在の深い闇かが浮きあがってくるのである。(2012年223号137頁)

寺山修司の歌論は各種あるので、そちらにおまかせするとして、少し前から佐伯裕子という歌人が気になっている。なぜかというと、佐伯氏に「恋歌 与謝野晶子と古川大航」(『影たちの棲む国』所収)という歌論がある。大筋を書けば、与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれもせでさびしからずや道を説く君」の君は、妙心寺派の管長を長くつとめた古川大航師だというのです。推理小説のようなこの歌論。おもしろいのですが、そのことは機会を改めて。


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私は梅 あなたは桃

2013-03-02 | インポート

Img_4708私は梅/あなたは桃/どこかで一つに融け合っている/融け合いながら/私は梅に咲き/あなたは桃に咲く

博多のB和尚さまから「たまにはブログを更新しなさい」とお叱りをうけたのは昨日でした。
B和尚さまだけではなくて、横浜のY.Tさんからも、「最近、新しくならないわね」と言われていたのですが、やはりB和尚様の一言が身にしみて恐いので、さっそく書いているという次第です。いずれにしても、読んでくださる方がいるのは有り難くうれしてことです。
2月末日から昨日まで、1泊2日で寺を留守にしていました。今朝、暁鐘(=ぎょうしょう=朝の鐘)をついて朝課(=ちょうか=朝のお勤め)をすませて、山門を開けるために庭に出ると、梅の花が5輪ほど開花していました。つぼみもずいぶんと大きくなっています。わずか、2日留守にしていただけなのに、すごい変化です。いや、大きな行事を前にしていて、緊張で梅の変化など見過ごしていたのでしょう。
鐘をつくにも、門を開けるにも、その梅の前を通過しなくてはならないので、明けきらない早朝に気がつきました。「夜の梅」という羊羹があるくらいだから、梅には夜のイメージがあります。梅を歌った名句に、林ポの「暗香 浮動 月 黄昏=あんこうふどうつきこうこん=ほのかに漂う香りは、おぼろな月影に揺れ動く」もある。でも、明けきらぬ早朝の梅もよいものです。
街中の狭い境内に咲く梅の木です。昭和20年8月14日の空襲ですべてを焼失して一つひとつ建てて壊して、壊してつくった寺だから、鉄筋コンクートあり、木造あり。瓦屋根あり、銅板ありでまったく統一性のない寺です。でも、樹木が大きくなり、建物を隠し、目に慣れてくるとどうにか融け合ってくる。しかし、建物の目的も違うし作り方が同一になることはない。
なんて書いて、どうにか強引に今月のことばと結びつけてきたのが、おわかりでしょうか。
今月の言葉は榎本栄一さんの詩です。榎本さんは、明治36年10月兵庫県淡路島生まれ。六十歳頃より「詩」を発表。平成3年、「心の時代」に出演。平成6年仏教伝道賞を受賞。平成十年に九十四歳で亡くなられた浄土真宗の教義をもとに多くの詩を作った詩人です。
この詩を読んで最初に思い起こしたのは、淨土真宗大谷派が蓮如上人500年遠忌の時にテーマにした「バラバラでいっしょ」のキャッチフレーズでした。その頃、わが妙心寺派のキャッチフレーズは何だったかしら。思い出せないくらいだから、たいしたものではないのですが、京都駅の新幹線ホームからよく見える大看板に書いてあった、「バラバラで一緒」の文字を見たときの斬新さへの憧れは今も忘れられません。他宗派の教義にかかわることだから、その心はは真宗大谷派にお聴きください。
禅で同じような言葉を探せば……。いくつかの禅語が思い出されますが、それはまた機会を改めて。

                        


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