武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

074. サクランボの種枕 -Travesseiro-

2018-12-05 | 独言(ひとりごと)

 数年前、何かの情報で「サクランボの種枕」のことを知った。
 それにはヨーロッパでは古くから伝わる安眠枕と書いてあった。
 種の大きさといい、硬さといい、何となくイメージとしても甘酸っぱい香りが醸しだされて安眠出来そうに思える。
 実際にサクランボの種は乾かすと中が空洞になり、保温、保冷に優れていて、お腹が痛いときには電子レンジで暖めてカイロ代わりに、熱が出たなら冷凍庫で冷やして氷枕としても使えるらしい。

 ポルトガルに住んでいるお陰でセレージャ(サクランボ)は安く買えるので、毎年我が家ではけっこうの量を食べる。

 でもセレージャの季節はほんの少しに限られているし、一度に食べ過ぎるとお腹をこわしてしまいそうだ。
 それにセレージャの季節の半分くらいは日本で個展をしている時期と重なっていて…
 それでもポルトガルに戻ってから毎年4~5キロは食べているのだろうと思う。

 しかし枕にするには大量の種が必要、たぶん少なくても10年はかかるだろうから、まあ無理。

 と言いながらも、食べ終わった後、その都度、丁寧に洗って乾燥させ、せっせとアスパラガスの空き瓶に保存しておいた。無理と思いつつも何となく…。それがこれまでに5本にも6本にもなった。

 今年はポルトガルに戻ってくるのが遅かったのだが、セレージャが豊作だったのか、いつまでも安く出回っていて例年にも増してよく食べた。恐らく10キロ以上は食べたかも知れない。

 でも食べた後の種は1キロ分でもようやく僕の手のひらに乗る程度にしかならない。それだけ果肉のほうが大きいのだから文句を言う筋合いではないが…。

 昔、ストックホルムで下宿していたノレエン家の前庭にはサクランボの大木があって、その木の下に落ちた実だけ拾い集めても枕の一個や二個はすぐに出来ただろうに…。

 今年はまだまだ無理だとは思ったが、6本ばかりのアスパラガスの瓶のセレージャの種で枕に仕立ててみることにした。
 見切り発車とでも言おうか。
 使わなくなったストレートジーンズの裾を使った。ぺったんこではあるが一応、枕は出来た。来年からの分も追加できるようにファスナーもつけた。単独ではいまいち厚みが足りないので、今までの普通の枕の上に重ねて置いて使ってみた。しっかりと頭が納まって冷いやりと、なかなか寝心地は良いではないか。

 生成りのコットン地と、縁には露店市で買って余っていたレース飾りもほどこして枕カバーもできた。

 枕は人間にとって大切な物だ。安眠は健康のバロメーター。ぐっすり眠り、目覚めが良いと一日の活力がみなぎる。
 大事な物事を決める場合「枕と相談する」などとも言う。-take counsel of one's pillow-寝ながら一晩じっくり考えるのだ。場合によっては枕に話しかける人も居るかもしれない。

 よく「枕が代ると眠れない」という人がいる。旅行にでもMy枕を持参する人も居るくらいだと聞いた。幸い僕はどんな枕でも安眠できる。仮に枕がなくても平気だ。下手な枕だと頭痛、肩こりの原因になるとも言う。それを防止する様々な枕がテレビ・ショッピングなどで売り出されては消える。

 日本では昔から蕎麦殻の枕が一般的だが僕も日本に帰った時、宮崎ではそれを使っている。適度に固くて、どっしりと重く安定感があるところが好きだ。小豆(あずき)も枕には良いらしいが、何だか勿体ない。その点、セレージャの種はどうせ捨てるもの、廃棄物利用。製作途上のセレージャの枕、当然その蕎麦殻枕とはまた少し違う感触。でも今のところ良い。

 かつて、ゴッホはサン・レミ・ド・プロバンスの精神病院で気を静めるために樟脳入りの枕を使っていた。樟脳は確か楠から摂れる。天然素材に勝るものはない。

 クルマを運転していて楠の並木道などに差しかかるとのんびり走らせたくなる。照葉樹やブナ林などの森に入れば森林浴として、気持ちが落ち着く。ユーカリ林の傍を通っただけで、独特の香りが鼻腔をくすぐり気持ちを爽やかにさせる。
 ユーカリ林にハンモックを架けて本でも読めば、サラマゴの様な難解な内容でもすっきりと頭に入り込みそうに思う。いやその前に、すぐに眠ってしまうかも知れない。

 さて、天然素材セレージャ(さくらんぼ)の種枕、僕の安眠枕となりうるのか。せいぜい楽しい夢でも見ることができれば…。

VIT

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 最初の記述に<何かの情報で>と書いたが、それは全日空の機内誌「翼の王国」(2005年7月号・15~25ページに記載されてあった)の特集記事「たねの力」であった。つまり4~5年でひとまず(写真状)は完成したことになる。

 

(この文は2009年8月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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