武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

077. アングルとフォーヴィズム -モントーバン旅日記- (下) -Montauban-

2018-12-08 | 旅日記

2009/10/04(日)晴れ/Albi-Castres-Toulouse-Castelnaudary

 ホテル・エタップのバイキング朝食もそこそこに良かった。普段は無人でもその時間帯だけは従業員がいる。朝食の用意と掃除、シーツの替えなどだけをして昼過ぎに帰ってしまう。
 チェックイン、チェックアウトはお構いない、料金などは全て自動販売機方式だからお金は一切扱わない。
 意外と初老の宿泊客が多いのに驚いた。七面倒なのより合理性を好むのだろう。

 ロートレック美術館は10時からなのでその前にロートレックの生家を探すことにした。
 初めはあいにく見つからなかった。
 カテドラル内部を見学し裏庭とタルン川の風景を見ていた。
 横浜からという同世代か少し僕たちより若いご夫婦と少し話をした。
 僕たちは今からロートレック美術館を観てゴヤ美術館のあるカストルに行く。
 横浜のご夫妻は昨日既にロートレック美術館は観ていて、今からカルカッソンヌに行かれるらしい。
 「列車やバスを乗り継いでの旅だから時間がかかります。」と言われていた。出来るものなら旅は時間をかけるほうが楽しいし値打ちがある。


15.アルビのタルン川風景


16.ロートレック美術館カタログ


17.ロートレック美術館とツーリストインフォメーション


18.ロートレック美術館

 ロートレック美術館にも膨大な作品が展示されていた。
 今までパステルだろうと思っていた作品の殆どが油彩であったのには驚いた。その多くは紙やボードに描かれた油彩だ。それにロートレックと交友関係にあった、ナビ派やポンタヴァン派などの作品も展示されていた。
 ホテルに帰る途中に今度はロートレックの生家だというプレートを見つけた。


19.ロートレックの生家プレート


 朝はたっぷり食べたし、夕食もいつもたっぷりなので、昼くらいは軽くと思って、出発前にスーパーでサンドイッチとサラダを買った。
 サラダを食べるのにプラスティックのフォークが必要だと探していたら、レジの女性が「サラダにフォークが付いていますよ。ぷちっちゃいけどね。」と教えてくれた。
 いかにも日曜だけ働いている学生アルバイトという感じの良い女性。

 カストルに行く途中の景色の良い田舎道のPでサンドイッチとサラダ、ヨーグルトを食べた。

 カストルは田舎町という感じでどこにでも駐車はできた。しかも日曜日だ。
 町の中心方面に向って歩き運河沿いに少し下った所にカテドラル。その裏手に古い司教館を利用したという立派な建物、ゴヤ美術館があった。


20.ゴヤ美術館入り口


21.ゴヤ美術館の庭


 そしてヴェルサイユ風の庭が美しい。いろいろと珍しい花も植栽されていて、イチイの木には真っ赤な実がなっていた。
 ゴヤ美術館で入場料を払おうとすると「きょうは日曜日なので無料です。」


22.ゴヤ美術館展示室

 カストルのゴヤ美術館はフランスにあるにもかかわらず何故かスペイン系の画家の作品が多い。
 ゴヤは勿論のこと、ヴェラスケス、リベラ、スルバラン、ムリーリョ、そしてピカソとクラーヴェの作品も一点ずつ。
 名前の知らない画家の作品もその殆どがスペイン生れの画家であった。


23.ゴヤの自画像

 フランスのファンタン・ラトゥールの作品もあったがムリーリョの「乞食の少年」の模写である。
 そしてゴヤの膨大な数のエッチング。一人のコレクターの蒐集品であったそうだ。


24.ゴヤ美術館カタログ


 カストルはアルビとトゥールーズの中間の閑静な田舎町。サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道にもあたる。

 ゴヤ美術館を後にトゥールーズまで一走りだ。

 トゥールーズ美術館も見逃せない。
 明日は休館日だから今日中に観なければならない。あまり時間がない。
 大都会なのでなかなか駐車スペースが見つからない。
 美術館の方向にはクルマは曲がれない。反対側に曲がってみたが川沿いもクルマで溢れている。ロータリーをUターンして一つ中の道へ。随分走ってようやく一台分の駐車スペースを見つける。でもかえって美術館に近い場所まで戻れた。

 どんどん人が入っていくので美術館だと思って入った。
 人を惑わせる迷路の様な現代作品ばかりで、おまけに暗い。観たい近代の作品には行きつかない。本当に館内で迷ってしまった。観覧者は迷路に喜んでいる。大騒ぎだ。
 観覧者に「ここは美術館ですか」と尋ねると「違います」という。「ここは美術大学の学生の実験場です」との答えだった。
 地図を良く見てみると一筋違っていた。急いでトゥールーズ美術館に入った。

 ボナールの良い作品がたくさんある。
 黒っぽい作品、例のパステル調の絵。実に美しくてうっとりするほどだ。でもこの美術館で僕が最も良いと思ったのはブラックのフォーヴの絵。「窓からの眺め」だ。


25.ブラックの「窓からの眺め」

以前にもポンピドーでフォーヴのブラックを観たが、それも良かった。


26.トゥールーズ美術館カタログ

 黒いキュビズムのブラックも素晴らしいがフォーヴのブラックは又素晴らしい。どうしてあんな色が出せるのか、そのセンスに感動してしまう。閉館と共に美術館を出る。


27.トゥールーズ美術館カタログ

 今から宿探しだ。
 ありそうな道を歩いてみたが一軒の四星ホテル以外二つ星程度のホテルは一軒もない。くるっと回ってクルマの所に出てしまった。

 美術館も観てしまったし、大都会に用はない。今日も郊外でホテルを探そうと走り出した。

 カルカッソンヌに行く途中、高速沿いにホテルのマークを見つけた。サーヴィスエリア内のホテルだが高速道路から随分と入り込んだところにそのホテルはあった。
 森の中の静かな佇まいでリゾートホテル並みの設備。
 とてもサーヴィスエリア内とは思えない。レストランは別棟。
 レストランは船のドックの前にあり、これらの設備一帯が、高速道路のサーヴィスエリアと、カナル運河のドックが両方利用できる様になっているのだ。
 レストランではクルマで来た人と船で来た人が同じ場所で食事を楽しむ。
 ガチョウの生ハムサラダの前菜とガチョウ肉のステーキ。デザートにはフロマージ・ブラン。
 喉が渇いていたので良く冷えた地元の白ワイン。でもここではロゼにするべきだった。

 ホテルの前の駐車場は殆どがフランスナンバーのクルマだったが、僕たちのクルマ以外にポルトガルナンバーのクルマがもう一台停まっていた。

2009/10/05(月)晴れ/ Castelnaudary - Celet- Cllioure - Barcelona

 カルカッソンヌは素通り、セレに向う。
 セレにはキュビズムのメッカ的な美術館があるという。
 ピカソやブラック、グリス、マチスなどの作品があるとのことで楽しみにしていた美術館だ。
 町の入り口の広い駐車場にクルマを止めて美術館へ向う。
 町にクルマを乗り入れることはできない。
 町の雰囲気は以前訪れた、ブルターニュのポンタヴァンにどこか似ている。全く違う地方で全く違う光の筈なのに、何か漂う空気が似ている。プラタナス並木の大きさだろうか?

 美術館には小学生の団体が見学に来ていて少々騒がしかった。
 第一室に一歩足を踏み入れて金縛りにあってしまった。僕の好きなスーティンだ。一部屋全部がスーティンの風景画だ。全部で23点。どれもこれも素晴らしい。素晴らしすぎる。果たしてどう表現してよいか言葉を失ってしまった。


28.セレ美術館入り口

 これほど多くのスーティンを一度に観たのは恐らく初めての経験だ。
 スーティンの息遣い、鋭い眼光で観る者を金縛りにしてしまう。実際に観た人でないとあの素晴らしさは判らない、画集などでは判らないのだと思う。何れもここセレの風景だ。
 展示は23点だったが、カタログにはセレの風景ばかり50点が載せられている。
 スーティンはこの地に留まってこんな素晴らしい仕事をしていたのだと思うと僕には鳥肌が立ち寒気さえ覚えてしまっていた。
 キュビズムのメッカと同時にスーティンのメッカだ。


29.セレ美術館カタログ

 美術館を出て更に寒気は続いていた。
 天気が良いのでクルマを出る時に薄着のままで出たが、町の木々が大きく日陰ばかりなので、実際少し肌寒い。
 或いは館内で小学生高学年の女の子が僕の目の前でくしゃみをしたが、それがうつったのだろうか?新型インフルでなかれば良いが…


30.スーティンの複製パネルとセレの街並

 セレの町を歩く。
 スーティンがイーゼルを立てた場所に複製画のパネルが飾られている。
 身体が冷えてきたので、急いでクルマに戻って、港町コリウールまで走り、そこで昼食の予定。
 コリウールはかつてマチスやアンドレ・ドランが滞在して絵を描いたところだ。

31.キュビズムのパネルとスーティンのパネル(右)

 スペイン国境に近い地中海の輝く太陽の下で原色を用いて描いた絵は「まるで野獣(フォーヴ)の様だ」と言われたことからフォーヴィズムという言葉が生れた。
 フォーヴィズムはコリウールが発生の地と言われている。
 ここでも画家がイーゼルを立てた場所に複製パネルが飾られている。
 マチスが滞在して窓からの眺めを描いた住宅の前にも2枚の複製画が飾られていた。


32.マチスが滞在した家


33.マチスがこの家で描いた室内風景のパネル

 海に突き出た鐘楼をアンドレ・ドランが黄色と赤を多様した原色で描いている。そのイーゼルを立てた場所に食堂のテラスがあった。そのテラスで少し遅い昼食を取った。
 僕はそれほど暖かいとも思わなかったが、海に入って泳いでいる人が何人もいる。


34.コリウールのビーチ


35.アンドレ・ドランとマチスのパネル

 マチスもこの同じ鐘楼を同じような色彩、同じような構図で描いている。たぶん一緒にイーゼルを並べて描いたのかも知れない。

 マチスとドランがコリウールに滞在して新しい潮流、フォーヴで競い合っていたその同じ年の1905年から翌年にかけて、マチスはアングルの「黄金世代」という絵をモティーフにフォーヴ的実験作品を制作している。
 その絵はマチスにとって生涯のテーマとなった「ダンス」へと繋がっていく。
 その後にも、アングルの「オダリスク」や「M婦人像」。ヴェラスケスの「マリアとマルタの厨房」などマチスは数多くの先人の作品をテーマとして取りあげている。
 コリウールはアングルが生れたモントーバンのすぐ近くだし、ヴェラスケスのスペインとの国境まで僅かと言う地が何らかの影響を与えたのかも知れない。

 このコリウールで一泊、とも考えていたが、実はセトゥーバルでちょっとした用事があって、一週間で戻ることが出来れば好都合なのだ。
 一応の見学予定も全て完了して、後はひたすら帰るのみ。

 今日もどこまで走れるかが勝負だ。でも当初思っていたよりは楽勝気分。再び高速道路に乗り、バルセロナを目指す。
 しかしセレで引いた風邪が少し悪化した模様。早い目にホテルを確保した方が良さそうだ。ちょっと早いと思ったがバルセロナの外環道沿いのパーキングエリアにホテルがあったので泊ることにした。
 今回の旅で泊ったホテルの中では一番高い料金。
 設備はまあまあだったが、高速の騒音が低周波音として神経に響きMUZは良く眠れなかったらしい。僕は風邪薬を飲みぐっすりと寝た。

 

2009/10/06(火)晴れ/ Barcelona-Valencia-Villarrobledo

 ポルトガル、スペイン、フランス三国の中ではスペインのガソリンが一番安い。フランスでは少ししか入れなかったガソリンを満タンにして出発。

 往きはスペインの中央部を走ったので距離的には短い。帰りは地中海沿いに走っているので距離は長い。
 往路で使った道、つまりサラゴーサまで戻って、マドリッド経由で帰るか、バレンシアまで地中海沿いを走ってそれから内陸に入り、高速道のないルートを取るか、走りながら迷っていた。
 濃い緑色のオレンジ畑が続き、同じ緑色のオレンジがたくさん実っているのが高速道からでも良く見えた。

 バレンシアから内陸に入ってシウダード・レアル経由が近道に思うが、シウダード・レアルまでの道路が整備されていなくて迷うかも知れない。
 でもそのルートに挑戦することにしたが、それが正解だった。クルマもトラックも少なくて本当に走りやすかった。でも一般道だからスピードはだせず距離は稼げない。

 今夜はシウダード・レアル泊りかなと思っていたがそれより100キロほども手前で泊ることになった。
 国道沿いのドライヴインで、部屋は広く、床には桃色大理石を敷き詰めて豪華、バスタブも大きく立派だがあまり客はいないらしく割安であった。
 風邪は未だ良くはならず早めに軽く夕食を済ませて早々に寝る。

 

2009/10/07(水)曇りのち洪水のち晴れ/Villarrobledo -Merida-Badajoz-Elvas - Setubal

 天気は下り坂らしく、出かけるときから霧雨が降り始めていた。
 シウダード・レアルからメリダの間も交通量が少なくまっすぐの道で走りやすかった。
 ブドウ畑の紅葉が美しい。雨こそ降らないが前方には真っ黒な空。そしてバダホスを過ぎたところから、大雨。

 バダホスのガソリンスタンドで古くなっていたワイパーを替えて貰う。替えてすぐにワイパーも利かないほどどしゃ降り。
 国境手前のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたが、スタンドを出るところの道が洪水で大きく水を跳ね上げる。国境までどしゃ降り。以前スペインを旅行した帰りにも同じ場所で全く同じことを経験したが、その辺りが雨が多いと言う事は決してない。どちらかと言うと乾燥地帯だから、単なる偶然だろうが不思議だ。

 以前にはクルマの屋根にこびりついたコウノトリの糞がその雨で綺麗に洗い流されて良かったが。今回も高速を走ってフロントに付いた虫の痕が洗い流された。
 エルヴァスを抜ける頃には明るく晴れ始めていた。セトゥーバルの我が家に戻ったのも未だ明るいうちだった。

 ちょうど一週間の今回のクルマでの旅。メーターを見ると3,385キロを走破したことになる。
VIT

(この文は2009年11月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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