武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

088. 伝道師という名の猫 -Apostolo-

2018-12-18 | 独言(ひとりごと)

 高校の美術部以来の友人で画家でもあり、ペットショップの経営者でもある男が、何でも新種の猫を作りだしたとかで話題になっている。
 それは毛のない猫で…ムケネコ(無毛猫)とも言うらしいが、毛のない猫は今までもスフィンクスという名で世界登録をされているとかで、それは少々耳が長いらしい。

 友人が作り出したのは耳が短くてそれより可愛いと言う。友人曰く。
 アポストロという名で品種登録を済ませたとか。アポストロとはポルトガル語で伝道師という意味だそうだ。
 そのアポストロに世界中から問い合わせが殺到して対応に追われ、絵を描く時間が取れないそうだ。大きい声では言えませんが、何でも一匹180万円もの値が付いているらしい。大量生産は出来ないのにそれ以上の注文だからその対応に忙しいとのこと。

 でもこの寒い時期に毛がないとは可哀そうに風邪を引かないのだろうか?と心配してしまう。
 まあ、この頃はペットにも服を着せたりもするから、心配はいらないのかも知れない。いっそ毛皮のコートなんか着せてみればとも思う。猫の毛皮など…。
 
 一方我が家の窓から見える水道タンクの空き地の野良猫たちは自由奔放に大量生産をしている様子。いつも子猫が産まれて小さいのがうろちょろ。産まれているけれど、トータル15~6匹以上は増えない。それ以上になると巣別れをしてどこかに行ってしまうのかも知れない。拾われて行くのも少しは居る。現に我が家の周りでは猫を飼い始めた家が目立つ。

 僕も猫など動物は好きだが何も飼えない今は時折水道タンクの空き地を眺めては野良猫の動向を見て楽しんでいる。

 猫党ですか?犬党ですか?と問われれば困ってしまう。

 日本にいた時、いつも犬は飼っていたが、猫を飼ったのはストックホルムに住んだ時だけ。
 「次郎吉」という名前をつけたが可愛い猫だった。外出から帰って玄関の鍵を開けようとすると、中から「たたっ、たたっ、たたっ」と足音が聞こえてくる。そして玄関にお座りをしてつぶらな瞳で見上げ出迎えてくれる。テレビが好きでとりわけ天気予報には夢中であった。

 晴れた日には、家の中より外が好きな猫で、ベランダの手すりに登っては下ばかり眺めていた。もっと散歩をしてやれば良かったと今になって思う。

 スウェーデンでは猫にも紐をつけて散歩をする人が多かった。猫用の紐も売られていた。

 散歩というと、その近所でウサギに猫用の紐をつけて散歩をしていた黒人の大男がいた。三毛の綺麗な毛皮の大きなウサギだった。なかなか歩こうとしないので大男はいつも往生していた様だ。

 セトゥーバルで最初に不動産屋に行った時、マンションではなく平屋を紹介してくれた。その不動産屋いわく「小さな庭も付いているからウサギくらいなら飼えますよ。」と言ったのが印象的だった。何故、犬とか猫と言わなかったのか。未だに謎のままである。
 或いは当時「日本人はウサギ小屋に住んでいる。」と広く言われ続けていた。それを不動産屋も知っていて、からかったのかも知れない。などと僻(ひが)み根性も少し頭をかすめた。

 高校美術部からの友人というと「じゃりん子チエ」のはるき悦巳もいる。じゃりん子チエの中にも小鉄という擬人化された可愛いい野良猫が活躍する。

 擬人画というと「鳥獣戯画絵巻」(国宝)がある。最古の漫画とも言われ平安時代末期、鳥羽僧正の作と僕たちは習ったが、どうもそれだけではなく、もっと時代が多岐に渡っているから、複数の作者であるらしい。

 鳥獣戯画絵巻の主人公は何と言ってもウサギとカエルである。その他にサルや鹿、蛇も登場する。猫は、というとほんの端っこに通行人程度に登場する。

 猫の絵というともっと新しいところで藤田嗣治が思い浮かぶ。竹久夢二の「黒猫」もある。日本画ではよく猫が描かれている。

 シャルダンの代表作「赤エイ」の中に毛を逆立て身体を丸め牙を剥き出し観る者を威嚇する猫が描かれている。珍しいモティーフだ。
 ジェリコーの猫の絵もポーズが面白い。ジェリコーはいろんな動物を習作しているが、動物を描くことにより自身のデッサン力を確認していたのかも知れない。

 昔から貴婦人の肖像画にはよく抱かれた犬や猫が一緒に描かれている。柔らかい犬猫の毛を表現するには画家のデッサン力の見せ所だ。

 その頃はムケネコは居なかっただろうが、居たとしてもムケネコを抱いて肖像画を描かせようとは貴婦人たちも思わなかったに違いない。

 友人・ペットショップの画家は暇ができたらムケネコ・伝道師の肖像を描くのだろうか?

 そう言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチに「白テンを抱く貴婦人」という絵がある。今まで、何気なく観ていたが、考えてみればこの絵も珍しいモティーフだ。
 今にも逃げ出しそうな白テンを抱いている貴婦人の絵。なにしろ白テンは毛皮になればミンク同様だが、生きているあいだはイタチの仲間なのだから。 VIT

 

(この文は2011年1月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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