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814-1 伊都国博物館 長崎の帰り、福岡に一泊して友人と博物館を見ることにした。 5月29日(土)午前中伊都国歴史博物館を訪れた。 魏志倭人伝に伊都国が登場し、「世有王皆統属女王国」と記されている。 博物館では代々王有りて女王国に属すと表記されていた。 普通そう読まれているが、世の字は丗と書かれてるから、30のことかもしれない。 「三十有(余)王皆統属女王国」 guuchanは「30人ばかりの王族は、皆血統が女王国に属している。」として、この国が王家の直轄地であることを特筆しているように思う。 官名の爾支(にき)はニニギノ尊のニキに通じ、伊都国が神武天皇の出身母体であった可能性は大いにあると思っている。 そういう意味で、伊都国は是非見ておきたかったのだ。 今回、大いに収穫があったと思う。 | |
814-2 糸島半島 この図では、昔、半島がほとんど島に近かったことを示している。 大陸から来た徐福集団は、もっとも警戒するのは、大陸からの追っ手であったろう。 早く発見ですること、進退が自由であること、などを考えると、この伊都国は実に良い地の利を得ていると思われる。 これは、偶然にこの地に存在した部族が、力を得て伊都国を作ったのではなく、日本列島(少なくとも西日本)を熟知した上で、大陸と関係も考慮して選定したものと思われる。 その集団は、多数の大型船を有して、日本の沿岸を往来してよく知る人たちだったことを強く示唆している。 | |
814-3 伊都国墳墓の年代 伊都国誕生を紀元前の前漢時代に想定している。 平原(ひらばる)王墓を魏志倭人伝の頃としている。 平原応募は、耳蟷(じとう、みみだま、トウの字は、偏は虫ではなく王)の出土などから女性の墳墓の可能性が高いので、卑弥呼の墓とする説もあるようだ。 | |
814-4 王の証し 中国の皇帝との深いつながりを示している出土品。 | |
814-5 金銅四葉座飾の金具 左側の綺麗なのに目を引かれたが、これはレプリカだろう。 | |
814-6 甕棺墓 こういう姿で寝かせていたのか。 | |
814-7 平原(ひらばる)王墓 平原王墓から出土の直径46センチの鏡には驚いた。 40面の鏡、それも割れて出土とは、どういう意味があったのだろう。 しかし、中には割れてないのも少数だがあるようだ。 | |
814-8 鏡 直径46センチの鏡がど~んと並んでいる光景には驚いた。 これらが出てきたときは、発見者はさぞ驚いたことだろう。 | |
814-9 鏡 ほんとに驚く。 こんな大きな鏡を見るのは初めてだ。 文字はなく、すっきりしている。 いろいろと勉強になった。 地元の農家には、出土物の一つや二つ持たない家はないくらいここには、鏡の破片など昔からたくさん出ているらしい。 | |
814-10 鏡の本 この本を持たずして、鏡のことを語るべからずという気がして2500円出して買っちゃった。 だが図録が主で、余り詳しいことは書いてなかった。 精白鏡も飾ってあったが、平原からはでてなかったのであろう。この本には納められてなかった。 おかげで、帰りの荷物は重かった。 |
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と膝を打つguuchanさんの姿が浮かびました。
ピースがピタリとはまるとき。
46cmの鏡。ほんまに大きい。
大きな勢力を持つ一族だったのですね。
糸島あたり、わたしも行ってみたいと
思っている場所です(お魚が美味しいと聞いていますので)。
心も腕もぎっしりのお土産ですね。
あ~、わたしも旅したい。
知らない場所で、わぁ~と感動したい。
なかなか夢は叶いません。
博多湾と唐津湾の両方に顔を出した最高の地ともいえます。
しかも、有明海のほうにも山一つ越えれば出れます。
その峠も背後にあることをボランティアの案内の方から聞きました。
昔がしのばれます。