もしも、徐福が日本に来ていたらの 目次は、ここをクリックしてください。 | |
297-1 帰国報告 「史記」秦始皇本紀(前212年) 徐市等費以巨萬計終不得藥。 方士徐市等入海求神藥數歳不得費多恐譴乃詐曰蓬莱藥可得然常為大鮫魚所苦故不得至願請善射與倶見則以連弩射之。」 徐市(じょいち・徐福のこと)ら巨万を以て費して計れども、終に薬を得ず。 方士(ほうし)徐市ら海に入りて神藥(しんやく)を求(もと)むこと數歳(すうさい)。得ず、費(つい)え多く譴(せ)められんことを恐る。乃(すなわ)ち詐(いつわ)りて曰(いわ)く「蓬莱(ほうらい)の薬(くすり)得(う)べし、然(しか)れども常(つね)に大鮫魚(だいこうぎょ・大きな鮫)の苦しむる所(ところ)と為(な)る。故(ゆえ)に至(いたる)るを得(え)ず。請い願う善く射るものを倶(そなわ)しめよ、見るや則ち連弩を以て之を射ん。 と報告したとある。 それはこうである。 BC212年に始皇帝が巡航で再び琅邪(ろうや・現在の山東州、青島付近)に来た時、徐福は帰国報告をした。皇帝が琅邪を訪れたのも、徐福が帰ったと言う報告が入ったため、それを聞くためでもあった。 徐福は旅の報告をした。 仙薬を得て来ることが出来なかった原因は、海中に大鮫が居て蓬莱に行くことが出来なかったからですと告げた。 しかし、蓬莱から来た人に会い、霊薬を探しに来たことを告げると、その人は蓬莱に戻り、長い間かかって仙人からの返答を持って来た。 言葉も違うので良くは分からぬが、仙人は「まことに汝は始皇帝の使いか?秦の始皇帝ともあろうものが、贈り物も持たせずに来るのか。礼が薄いではないか。 礼などは、さして欲しくはないが、その霊薬を手に入れるのは簡単ではない。 1種類か2種類の植物を煎じれば手に入るというようなものではない。また、もしその霊薬を与えても、一度や二度飲めば不老長寿の寿命を得るものではない。飲み続けねばならない。」 「まず童男女3000人を連れて参いれ。さすれば、まずこの国の言葉を教え、その後、霊薬を作るに必要な植物とその育て方、必要な動物とその飼育のし方を教え、必要な石の産するところを教えよう。その後に、霊薬の作り方を教えてやろう。このようにして霊薬の作り方を学んで後、作った霊薬を持ち帰ると共に、これを作った若者たちも共に、国に帰れば、国において霊薬を産することが出来るようになるであろう。」 これらの話は始皇帝の心を大いに動かした。 何もなくて、海中に大鮫が居ましたなどと報告したとて、そんなことを信ずる始皇帝ではない。しかし、徐福が旅から持ち帰った鯨の頭蓋骨やあばら骨の一部を見せられては驚く他は無かった。 見たこともない大きさであり、大いに驚き興味を示した。 これを見ては荒唐無稽に思われる大鮫の話も俄かに真実味を帯びて、また仙人の言葉も一々納得が行くものとなった。 また、長寿の仙薬として、徐福が持ち帰った干した昆布は、水につけると、大きく膨れ上がり、味もなかなかのもので、確かに寿命も延びそうに思えた。 これならば、いよいよ本物の霊薬が手に入ると、その期待が一層高まった。 始皇帝は直ちに大臣や太守や将軍たちに徐福を全面的に援助して、その旅団を整えさせるよう命令した。 |
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料理研究に来た3000人の童女の血を引いているのではありませんか?
やっぱり日本にはその霊薬があるのですよ。
どれがそれか、皆知らずに食べているのです。
しかし、食べているので、一番の長寿国になっているのですね。
結果をそう急いではいけません。
guuchanにも結果は分かっていません。
一つ一つ見ていかないと。
長寿の薬のくだり納得しました。
流石仙人ですね~。霞か雲を食べていた訳では
なかったのですね~。
偏らない食事山海の珍味に繋がりそうですね・・。
それで結果はどうなるのでしょう・・・。
やっぱり始皇帝も頭悪くないですね。
卑弥呼よりも古いですよ。
そんな昔に、凄い人が居たもんですねえ。
続きをお楽しみに。
日本に スライドすると 弘法大師の時代ですかね...
日本にも 到る所に 徐福の逸話話が 有るようですね.
サテサテ 今後の展開いかに!!!!
又 遊びに 来ます.