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488-1 日本人の特性 (5) 和をもって貴しとする
和を大切にし、反対者がないようにしなさい 人には皆えこひいきがあり、悟った者はすくない それゆえ、主人や父に従がわなかったり、村で独り違うことをする しかし、上が和やかにし、下が仲良くし、話し合うとき和やかであれば すなわち正しい筋道が自然に通じ合って、何事も成らないということはない。 あらためて、このことが17条の憲法の第一に述べられていることの重さをしみじみと感じる。 「和をもって貴しとなす」とは、無理やりに妥協を強いて、一杯飲んで、しゃんしゃんしゃんと手を叩いて、互いの怨恨を水に流させようとする日本の習慣のことかと思っていた。 しかし、じっくりと読んで見ると、そういう皮相なものとは違うようだ。 国事や、大事なことを論ずるのに、声を大にしたり、荒げたり、威嚇したりして自分の意見を通そうとするのが、普通の世の中ではないだろうか? だれでも、人には、利害関係があって理性が曇る、自分は悟っていると思うものも居ようが、本当に悟っているものは少ない。 上の人は、冷静に、和やかにしていなさい。下の人は互いに仲良くしていなさい。 話し合うときは、和やかに、打解けて、ユーモアをもって話しなさい。 そうすれば、正しい結論が自然に導き出されて、どんなことでも決まらないということはない。 耳の痛いことであり、今更ながら、己の未熟さに赤面する思いである。 国会においても、和をもって貴しとするの本意を、味わって欲しいものだ。 しかし、聖徳太子の時代、最も激しい骨肉相食む権力争奪闘争があっているのも事実だ。 何と言う皮肉。 それゆえにこそ、和をもって貴しが第一に来る必然性があったのかもしれない。 十七条の憲法は色濃く中国の影響を受けている。 もしも、徐福集団が日本に来ていなければ、海難の危険を冒してまで積極的に中国に学ぼうとする日本の姿勢は無く、朝鮮半島経由で入ってくるのを待つばかりであったかもしれない。 |
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お気楽さん宛の手紙をかのこさん宛に出してしまいました。
慌て者ですね。
guuchanはあて先のハンコを沢山作ってあるのです。時々それを間違えて押します。
ラブレターでなくて良かったです。
そう言えば昔ラブレターの宛名を間違えて出した人が居ました。
住所は合っていたのですが、名前が違うのです。
どっちなのと念を押されました。
はっはっは。
かのこさ~んとなっています。
かのこはいいのですが・・・
気楽さんに申し訳ないです。
日本は、アメリカが軍事行動を取る時は消極的でも協力しなければならないと思っています。
日本的に、目立たないように騒がずに協力していかねばならない。
日本は、いつ何時、アメリカの強力な軍事援助を必要とする状況になるか分からないのです。
対北朝鮮、対中国、対ソ連、対韓国でもありうることです。
石油の搬送ルートにおいてもそうです。
日本が単独行動をとれば、強力なアメリカからのしっぺ返しが来ます。
軍事協力しないなら、金を出せと、ポーンと1兆円くらい出させられるのです。
湾岸戦争の時のことを民主党は忘れたのでしょうか?
脅かされてから、慌てて平身低頭して、大金を出させられるのは見っともないし、両国民にとって不愉快でしょう。
イラクからの撤退、アフガンからの撤退は日本国民よりアメリカ国民の方が切実でしょう。
アメリカ国民が賢い選択をするよう祈っています。
実行は イャイャ 難しく 日本の今の姿....
いかに 成すや..テロ特措法で---す.
国会 楽しくなります.
guucanさん...教えてあげてはいかがなものか?
又 遊びに 来ます
十七条の憲法は、大臣、知事、官僚の心得みたいなものです。
朝早く出勤して、遅く退出しなさいとか。
賄賂を取ってはならないとか、今の少しも改まらないですね。
「むかし、渇しても盗泉の水は飲まず」と言うように、そういう気概を家庭で、母が子に教えていたように思います。
いまは、そういう家庭教育や親の率先垂範が顧みられなくなっているようです。
よく教室に「和」と言う字が額に入れてありましたが、最近はどうでしょうね。
その少し前に大倭国から大養徳國に10年間ほど変えて、また大倭国戻しているようです。
大養徳國としたくらいですから、大和國の和は「和」に拘った大和國だったのですね。
美しい国にしようとその頃から考えていたのですね。
「和をもって貴しとなし」の部分だけは、うっすら憶えていましたが、
以下は皆目記憶の外でした。
この憲法は、上の者への戒めの言葉であるように読めました。
昨日につづき、上の(に立つ)者は、
優れた人格者であることが必須のように感じました。
わたしたちの、上の者を選ぶ力(関心)が弱くなっている
のでしょうか。
ニュースを見ると、哀しいこと、腹立たしいことばかり、
それでも、人間は本来は和を目指している、善であると
信じて暮らしています。
和が倭であればいいのですね。
普段忘れてしまっているのですね。そして、悲しい出来事が起こってしまってから反省するのです。
そのとき、しみじみ思い出す。
なかなか、日頃からこのように振舞うことはないでしょう。
いつも平和にやっていると、
「馴れ合いか。」
「厳しさが足りない。」
「まあ、まあ、なあ、なあ、で、互いに傷を舐め合ってどうする。」
などと、我慢できない人たちも出てきます。
生きるということは、そういったことの繰り返しでしょうね。
「言う易く行いは難し」
人間と言うものは本当に難しい生き物です。
「和をもって貴し」を実践するのはなかなかです。
それが出来ていれば革命の戦争もなかったでしょうけど・・
歴史は争いの繰り返しでした。
今は弱い人を踏みつけても 一握りの人が富める時代に 国も企業も血眼です。
そんなゆとりは夢物語かも知れません。
せめて引退した我々は冷静沈着に それを加担いないように暮らしたいのですが 何処かで繋がっていて絶ち切ることができないかもしれませんね。