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535-1 弓月の君(10) 弓月の君のまたの名は融通王である。融通(ゆうどぅ)の発音はユダあるいはユダヤを表そうとしたのではないだろうか? そして意味として何でも自由自在に出来る融通無碍(ゆうづうむげ)の意味である。 秦の一族は、天皇からハタの名前を許され、都(みやこ)が未だ、奈良にあった時代に、京都の土地を与えられて住んだ。 彼らはそこの土地を太秦と名づけえた。大秦がローマ帝国である。秦が西欧を意味するなら、太は猶太(ユダヤ)の太から来たとも考えられる。 単に西欧の国でなく、その中でも猶太系の秦国を意味したのではないか。 太秦をどうしてウズマサと読むのかは日本語からの発想では分からない。 しかし、イエス・キリストも使われたであろうアラム語で、イエス・キリストのことは「イシュ・マシァ」あるいは「イエス・メシア」と呼ばれた。 イエス・メシア(イエス・救い主)の語は、東方に広がり「イズ・マシ」とか、「イザ・マサ」、さらに東へ移動して、インド北部あたりまで来ると、「ユズ・マサ」などと発音されたようである。 京都には神社、お寺、地名など色々なものに太秦が使われている。 京都の大酒神社の由緒書きには、弓月王は一万八千六百七十余人統率して日本に帰化したとある。 大集団が太秦に住み始めた時は、未開の原生林だったに違いない。 彼らは希望に燃えて自分達の理想の国づくりに取り組んだことであろう。 京都の東にある湖は近淡海(おうみのみ)と呼ばれていたのだろうか? 何時から琵琶湖と呼ばれるようになったのであろうか? イエスが説教を始められ、弟子達を集められたのはガリラヤ湖の湖畔である。 ガリラヤ湖はキリスト教発祥の地であり、キリスト教徒にとっては、懐かしい故郷のように思い浮かべる湖だ。 そのガリラヤ湖は古代ではキテレネ湖と呼ばれていたことがあり、それは琵琶湖と言う意味だそうです。 太秦をネットで調べたら、あまりにもユダヤ、ネストリウス派キリスト教(景教)、などとの繋がりを説くものが多いのにビックしました。 |
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guuchanもびっくりです。
しかし、何かしら、そうだったのかと、長年の謎が解けたような納得するものがあります。
その関連のサイトもネット上に多く見られることもびっくりです。
高野山の計教との関連を指摘したのは、明治時代に英国人の、E.A.ゴルドン夫人でしたね。
以前高野山に景教の関連があると示されましたでしょ。
ただ秦と呼ばれる人たちが、非常に優れた文化を持ち、財力もあったので、後に太秦に都が引っ越した後で、秦人の持っていた色々な文化に自然に染まったのでしょう。
guuchan自身も目から鱗で驚いています。
西洋から直接伝わったのではなくて、シルクロードを伝って、中国を通って伝わっています。
当時、日本にはカナがありませんから音を表すのも漢字、意味も漢字になります。
キリストの事を基督と書くのは、中国でも大分新しいことでしょう。
景教、あるいは秦氏らが基督を何と書き、何と呼んでいたかです。
景教が伝わったが、景教という言葉自身は伝えた人たちは使わなかった。
新しい仏の教えとして、学んだがそれが、世界の中で、どういう風な位置を占めているかなど知る由も無かったのです。
秦の国の 文化が 京都でひろまり日本的に発展したこ とに なりますね....
益々 楽しくなりました...ョ.
又 遊びに 来ます.
今日は面白いですね。
ユズマサの説
琵琶湖の説
どちらもユダヤ。キリストに繋がるのですね~。
もうびっくり!!
でも何故キリスト教は広がらなかったのでしょう・・?。
琵琶湖はビワの形をしているから・・等と
聞いたこともあるのですが・・??。
いづれにしろ未知なることが解って面白いですね。
なんだかわくわくしますね。
guuchanさんの言葉で書いて頂くと よく解るのですが 研究書とし残らなくなるかもしれませんね。
お困りまでは無いでしょうか・・・?。
ちょっと気になります。