中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

たらちねの

2007年10月18日 | ことば


中国に来て、日本語が好きになった。

これまで、言葉にこだわって生きてきた。

言葉といっても、日本語が母語だから、自然、日本語にこだわって生きてきたことになる。

日本にいる時は、日本語の持つ限界やあいまいさ、不自由さに意識がいっていた。

考え出すとわけがわからなくなる慣用の正しさ。
辞書を引いても判別ができない語感。
どの編集部にいる時も、いつも編集者どうしで「~って言う?言わない?」と周囲に確認して最終的に確信が持てるコロケーションのあいまいさ。

日本語が美しいとか、豊かだとか、そんなこと思ったことがなかった。

ただ言葉にこだわって生きている、毎日格闘している、それだけで。

日本語教師の資格取得を目指しているときも、日本語が美しいとか、素晴らしいとか、そんなこと全く思っていなかったと思う。

だけど。

中国に来て半年が過ぎて、最近しみじみ日本語の良さを感じることが多い。

一番好きだと思うのは、ほとんどの音が母音で終わること。

中国語は子音が大きくて子音でリズムをとる。
日本語は、対照的に、母音がよく響く。

どんな単語も、母音がふわふわと響いて、優しい。
ゆっくり、ていねいに話していると、静かで、優しい気持になれる。

母音の響きの優しさに気付いたのは、
韓国人教師が電話で韓国語を話すのを聞いたとき。
韓国語も母音がよく響く言語で、意味は分からないけれど、なんてエレガントで優しく響く言葉なのだろう!と、かなり驚いた。

そのとき、学生たちがよく「日本語は気持が優しくてきれいです」、とか、「日本人の女性は皆優しいんですか?」などと言っているのは…熟年の女性教師から、「やっぱり日本の男性は皆優しいんですか?」と真顔で聞かれたりするのは…こういうことなのかもしれないなと思った。

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