2010年の11月。
いろいろあって帰国して、成田から某大学に直行。
スーツケースをひきずって某大学の講師宿泊所に住み着き、
1ヶ月後には自転車圏内にアパートも借り、
某大学留学生センターの仕事についた。
見知らぬ土地だったがすっかり気に入って
毎日はりきって働いて、
半年ほどたったある日のこと。
大学構内ですれちがう人の顔に見覚えがあった。
お互い、目が釘づけになった。
・・・え?!どこで会った人だっけ?
「せんせい!」と言われて「ああ!」と合点。
貴州省のかつての教え子なのだった。
嬉しくも不思議なデジャブ。
大学院に留学中だという。
嬉しくて、食事に誘う。
日本に来てから寮生活で食べたことのないという、お好み焼き屋やお寿司屋に車で連れて行った。
そして、2013年、冬の現在、久しぶりに彼女から携帯にメールが入った。
修士論文の仕上げに悩んでいるらしい。
がんばれがんばれ。
こうして、私と中国との縁は続くのだった。
いろいろあって帰国して、成田から某大学に直行。
スーツケースをひきずって某大学の講師宿泊所に住み着き、
1ヶ月後には自転車圏内にアパートも借り、
某大学留学生センターの仕事についた。
見知らぬ土地だったがすっかり気に入って
毎日はりきって働いて、
半年ほどたったある日のこと。
大学構内ですれちがう人の顔に見覚えがあった。
お互い、目が釘づけになった。
・・・え?!どこで会った人だっけ?
「せんせい!」と言われて「ああ!」と合点。
貴州省のかつての教え子なのだった。
嬉しくも不思議なデジャブ。
大学院に留学中だという。
嬉しくて、食事に誘う。
日本に来てから寮生活で食べたことのないという、お好み焼き屋やお寿司屋に車で連れて行った。
そして、2013年、冬の現在、久しぶりに彼女から携帯にメールが入った。
修士論文の仕上げに悩んでいるらしい。
がんばれがんばれ。
こうして、私と中国との縁は続くのだった。