中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

帰国3日目

2009年03月30日 | Weblog
帰国の手続き説明やオリエンテーションのために広尾に行かなければならなかった。

電車に乗っていると、表示に中国語が併記されているのに目が行く。中国に行く前はあまり気が付かなかったが、東京には中国語が多い。

電車の中の女性たちは思ったよりもおしゃれでも洗練されてもいなかった。中国の都市部の女性のファッションとそう変わらない。

乗りなれた地下鉄丸の内線と銀座線にゆられて、3年前、協力隊に応募する前の、毎日の倦怠感がよみがえってきた。そうだった。これが東京を飛び出す理由だった。
倦怠感の一方で、見慣れた街はどこもこの2年間で大して変わっていないので少しほっとする感じもある。

帰国のオリエンテーションなんて、まるで中学生扱いされているような気にさせられる、という友人の言葉に同感した。少なくとも私にとって全く必要のないことばかりだった。

オリエン後、同期中国隊員たちに誘われていた飲み会には行けなかった。帰国後ずっと暗い気分を引きずっているのと、もろもろの事情があって今日はそういう余裕がどこにもなかった。同期のみんな、すまん。私の身の上を察して許しておくれ。

所用のため公衆電話からあちこちに電話した後、携帯電話を買いに新宿歌舞伎町入り口のドンキホーテに行った。若い女の子たちが皆同じメークをべたべたしていて、だれもが素顔を隠し、同じ顔に見えた。ひと昔前のヤマンバギャルとあまり変わっていない。



浦島太郎現象を2つ。

浦島その1.コンビニで「テレホンカード、3000円のをください」と言ったら最近は偽造防止のために1000円と500円のしかないのだと教わって、そうなのかと思った。

浦島その2.日本滞在中、地下鉄によく乗るので駅員に「メトロカードください」と言ったら、「メトロカードはなくなりました、今はパスモになりました」と驚いたように言われた。あ、そーなんだ・・・。




もう気持は上海に向かっていて、日本に戻ったら会いたいと思っていた人たちに次々に会ったら、一刻も早く上海に渡りたいのだけど、4月15日に動かせない予定が入っているので、16日に中国に戻りたいと思う。


このブログは「中国貴州省で暮らす」というテーマで、日本人にとってメジャーではない貴州省貴陽市での生活を書くことに意味を見出していたので、貴州省を出た今となっては、ここらへんで終わらせようと思う。上海で暮らす、とか、日本語を教える、というテーマは他にも数多くの人がブログにしているだろうから、今後書くかどうかはわからない。

読んでくれた方々、どうもありがとうございます。ご感想ご質問などありましたら左のメールアイコンから是非お寄せください。

友人知人のみなさん、今晩インターネットと電話を手に入れたばかりなので、まだ帰国の報告もメールの返事もしていない人ばかりですが、気持が落ち着いてきたら少しずつ連絡します。しばらく新宿に滞在しているので一緒に食事してね。

帰国2日目

2009年03月29日 | Weblog
一晩中自責の念や恐怖感や絶望感で眠れなかった。
歩いて駅前のネットカフェまで行った。暗い気分だったが今日がいい天気でよかったと思った。

ネットカフェのパソコンで情報収集をし、ウィークリーマンションのリストをメモし、公衆電話を往復した。
携帯電話会社でプリペイド式携帯電話を扱っている都内の店の情報を得た。それから、スーツケースと重い荷物を引きずって電車に1時間乗り、新宿の不動産屋にたどり着いた。

新宿の不動産屋のOLは言葉遣いが丁寧で「すみません」を多用していた。自分が悪くないことまで「すみません」と言っていて、変だと思った。言葉は丁重だが気持が入っていないので信用できないような気がした。まるで本心では客をばかにしているのを隠すために丁寧な言葉を使っているようだった。

不動産屋からもらった地図を片手に重いスーツケースを抱えて地下鉄を登ったり降りたりした。外に出るともう夜道になっていた。悪夢のような日は今日で終りだ、と自分を励ましながら荷物を引いて歩き、ウィークリーマンションの快適な部屋に入った。久々にお風呂にゆっくり入り、ぼんやりした。日本に帰ってきた実感がわかず、帰ってこなければよかったと思う。

上海での次の仕事が決まっていて、荷物を上海の大学に送っていてよかった。もしそうでなかったら路頭に迷うところだったと思うとぞっとする。



帰国日

2009年03月28日 | Weblog
北京から日本の航空会社に乗って成田に戻った。

中国人の俗説で「日本人女性は世界一優しくて女らしい」という言葉をよく聞いた。それは激しい誤解だと思ったが、飛行機の中でスッチーのお姉さんたちの「優しい声」、「丁寧な言葉遣い」、「優美な身のこなし」、「営業スマイル」を見て感激し、本当に「世界一優しいのは日本女性」なのかもしれないと思った。

成田に着いて同期の8人と一緒に歩いていたら、検疫の前で、「こちらへ来てください」とお姉さんが中国語で叫んでいたので、皆、中国語に条件反射で反応して、ふらふらとお姉さんの方に近づいた。
するとそのお姉さん、
「あれ!?もしかして日本人ですか?間違えました!」
中国人団体旅行の添乗員だったらしい。
中国語に自然に反応してしまう我々も我々だけど、
中国人と間違われるなんて、2年間で皆すっかり中国人ぽくなったということで、笑いが止まらなかった。

ゲートを出ると、同期のうち関東勢には家族や恋人が迎えに来ていた。
私はもちろん一人で京成線に乗って池袋周りで帰った。


帰国して嬉しかったのはそこまで。


駅前で2年ぶりに味噌ラーメンを食べ、夜10時に埼玉の家に着くと、もしかしたらこうなっているかもしれないというサイアクの事態が現実化していた。家族も元々いないので、一睡もできず、ひどい一夜だった。
悪夢のようだった。

翌日の日記に続く。。。

中国人は大阪人説

2009年03月27日 | Weblog
ステレオタイプ化してわかったような気になるのはいけないと思うのだが、
類型化してみるのは理解の初期形態でもあり、
わたしにとって中国人とは、大阪人みたいなものである、という中国人=大阪人説をとなえてみたい。

といっても私は大阪に足を踏み入れたことが一度もないし、私の言う「大阪人」は東京で見かける大阪人のイメージでしかないから、フェアじゃない。それを承知で。


東京育ちの私が見る中国人と大阪人の共通点。

・言葉に「ちゃ」「ちゅ」「やん」の音がとても多い。
・イントネーションの山が激しい。
・標準語を話していても自分たちの言葉が混じってしまう。
・基本的に早口。
・せっかちさん。
・赤信号は無視して渡る。
・公共の場で声がでかい。
・値切る技能がある。
・基本的に商売上手。
・妥協するよりクレーム。クレームを言うのが上手い。
・大騒ぎするのが好き。祭りやイベントを盛り上げるのが上手い。
・派手な服が好き。おばさんじゃなくてもピカピカ光るスパンコールの服が好き。
・食いだおれの街。立ち食いや屋台など大衆的な食べ物であふれている。
・おばさんおじさんがとても元気。
・道端で人目を気にせず喧嘩をすることができる。
・プライバシーよりも人情を大切にしている。
・気どりがない。
・外国人だとわかると親切になる。

中国人は大阪に住めば東京よりもなじめるんじゃないだろうか。
北京の観光地でいちばんしっくりとなじんでいた日本人観光客は、大阪のおばさんたちだった。大阪弁を確認するまでは、中国人ツアー客と見分けがつかなかった。

置き土産

2009年03月22日 | Weblog

1年間の作文の授業で書いたテーマのうち3つを清書してもらって、私の全体コメントを付け、文集に仕上げました。

テーマ1は「日本の大学生に聞きたい事」

日本人にとってはあたりまえで聞かれてみないと考えないような意外な疑問が続出、読んでいてとてもおもしろいです。
しかも彼らが疑問に思っていることは、中国の大学生の生活や日中の若者の違いを浮き彫りにしています。


テーマ2は自由。

作文の授業の中で書いたもののうち自信作を1つ選んでもらいました。
多かったのは「日常生活」「中国の有名人や文化の紹介」「日本の社会問題について」。


テーマ3は「5年後の私への手紙」

5年後の自分を想像しながら書いた力作ぞろい。
どれを読んでも、わくわくしました。

昨年秋に書かせたので5年後って2013年。
彼らが社会人4年目で25~6歳になったころ。
きっと世間の風に吹かれて良くも悪くも疾風怒濤の時代であるはず。
何かに迷って立ち止まったり疲れた時には、大学時代の自分からの手紙をしっかり受けとってほしい…。
そう思いながら文集にしました。


で、学生の数だけコピーして製本したら合計400元也。
あくまで私からのプレゼントだから、大学のコピー室を使わずにポケットマネーです。ひぇー。
でも、こういう地道なことが、私にとっていちばん大事な仕事だと思うから。

送別会

2009年03月21日 | Weblog


送別会で省科技庁と省の対外交流部の上司らから、掛け軸と記念切手のプレゼントが。
そんな偉い方々がそこまでしてくれるなんて思いもよらず感激。

この2年間で、立ち上がって一人一人のところへ行き乾杯を繰り返すという、席をあたためる暇の無い中国式の正式宴会スタイルにもすっかり慣れました。
そして日本人が一人もいない会席で、気が付くとずっと中国語で(あやしい中国語で恥ずかしげもなく堂々と)強引に話が通じるようになりました。

そういえば「ボランティア活動中の写真をください」と事務所や大使館から言われた時、宴会で上司と乾杯している写真しか思い浮かばず、
なんの活動だよ…。それってぜんぜんボランティア青年らしくないし…。
と思った。

最後の最後も、豪華であたたかくて愉快な宴会に感謝。

2年間の最大の成果

2009年03月20日 | Weblog


2年間の最大の成果。
優秀な学生たち。

2年間ずっと教えた、今の3年生。
日本語能力試験1級合格率50パーセント突破。
それはもちろん私の成果ではなく彼らの頭脳と努力の成果で。

彼らが笑顔で日本語を話せる時間を少し増やしたこと、
中国語を一言も話さない日本人の先生と会話することができるようになったこと、
それが私の2年間の最大の成果なのかも。

ボランティア仕事の成果その1

2009年03月19日 | Weblog

自作のDVD教材2点。

その1
面接対策に悩む学生とその指導に悩む中国人教師用に作った「DVDで学ぶ日本語ビジネス会話」



来月、日本の某国立大学留学生科ホームページにウェブラーニング教材として載る予定。

その2
貴州省で日本語観光ガイド養成の需要があるので作ってほしいという要望に応えて作った「貴州省観光ガイドのための日本語会話」

まずは240部だけ作ったのだけど、今後上司のテキストと共に出版の予定。









中国への思い

2009年03月14日 | Weblog

わかったような気になって、わかったような事を言いたくない。
と前回書いた。

そういえば、広州で出会った日本人のおじいちゃん(推定年齢70歳)は、やたらとなれなれしくてスケベで、広州の大学の日本語学部の女の子に手あたりしだいに声をかけて街に遊びに連れて行ってもらい、日本人に対しては、いつも中国への訪問回数を自慢していて、中国通ぶって中国の悪口ばかり言っていた。
ああ思い出しても腹が立つ。なにしに来たんだか。ああいう人には日中友好のためにビザを発行しないほうがいいのではないでしょうか。

私は中国をわかったような事を言いたくないが、
旅行や留学で一時滞在を繰り返しているだけでしょっちゅう日本に戻ってしまう人や、
中国人の中で暮らし中国人の中で働いた経験がない人には決して解らないであろう、という思いをたくさんしてるぞ、と思うのである。変な矜持ではあるのだが。

規則とはいえ、日本に帰ってはいけない期間が2年間というのはやはり長かったようだ。

もともと中国を好きでも嫌いでもなく興味すらさほどなかったので、
仕事が縁の「お見合い結婚」のようなものだ。
1年目は意外にいいところをたくさん発見して得したような気分になった。
2年目になるといやなところがたくさん目につくようになった。
倦怠期である。

しかし、私は中国の事はぜったいに軽々しく悪く言いたくない、と思っている。
2年もべったり一緒に暮らしていれば、
んもーあなたったら、いつもそうなんだから~ぶつぶつ。
と呟くことも多々ある。
それで自分が内心(うちのひとってこういうしょうがないところがあるのよねー)と思うのはいいけれど、他人にそれを指摘されると腹が立つというのはすでに中国という国がわたしにとって家族のような存在になっているのだろう。

今の周囲の人たちやこの仕事は大好きだけど、正直言ってこの国は色々な面で好きじゃないところがたくさんあるので、複雑な感じだ。

倦怠期のまま日本に引っ込んで、そのままずっと日本でぼんやりするのもしゃくなので…

というのだけが理由ではないが、

上海の大学から声がかかったので、4月半ばからはまた中国で働き続けることにした。
でも契約期間は決めていないし、
中国にいる限り非常勤の外人先生でしかないので、
日本でどこか雇ってくれる大学がないかなー。


日中大学生交流会

2009年03月10日 | Weblog


12月にスカイプで交流した慶応大の大学生・大学院生さんたちが、春休みを利用して貴州大学に来てくれました。



みんな日本人の若者と会うのは初めてなので大緊張。



ドキドキしながらも楽しそうに話している学生たちを見守りながら、私もドキドキ、ときめいちゃいました。

1年生は「聴き取れない~」とか、「日本人は中国人よりも小声だ~」と困惑ぎみでしたが、それもいい経験になったことでしょう。

2、3年生はちゃんとコミュニケーションがとれていて立派でした。


いままで、学生たちの日本語を学びたい!という熱意に背中をおされるようにがんばってきたけれど、今日の学生たちの様子をみていて、言葉を教えるという仕事のやりがいを味わうことができました。

加茂先生&加茂ゼミの皆さんどうもありがとう。


学生にまかせた企画ということもあるし、あれ?予定と違うじゃない。。。ということがあったりしましたが、ここではよくあることなので私は(中国だからー)と慣れっこになっていたのですが、中国専門家の加茂先生の講演の中の、
「中国の事をわかった気になってしまいがちだけど実はそれはわかったことにならない、わかっていないことが多い」
という言葉にウウームそうだぞ、と一人唸り、反省していました。

ほんとにそう。2年暮らしたからといって解った気になってはいけないと思う。
いい面も悪い面も。