中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

2011年ある日の出来事

2013年12月08日 | 日記
2010年の11月。
いろいろあって帰国して、成田から某大学に直行。

スーツケースをひきずって某大学の講師宿泊所に住み着き、
1ヶ月後には自転車圏内にアパートも借り、
某大学留学生センターの仕事についた。

見知らぬ土地だったがすっかり気に入って
毎日はりきって働いて、
半年ほどたったある日のこと。

大学構内ですれちがう人の顔に見覚えがあった。
お互い、目が釘づけになった。

・・・え?!どこで会った人だっけ?

「せんせい!」と言われて「ああ!」と合点。
貴州省のかつての教え子なのだった。

嬉しくも不思議なデジャブ。
大学院に留学中だという。

嬉しくて、食事に誘う。
日本に来てから寮生活で食べたことのないという、お好み焼き屋やお寿司屋に車で連れて行った。

そして、2013年、冬の現在、久しぶりに彼女から携帯にメールが入った。
修士論文の仕上げに悩んでいるらしい。

がんばれがんばれ。


こうして、私と中国との縁は続くのだった。

続報:回虫とインフルエンザ

2009年05月13日 | Weblog
最近、領事館から豚インフル情報メールががんがん送られてくる。

そういえば去年鶏インフルが貴州で発生した時、JICA事務所から電話が入り、
これこれこういう状況になってますから「気をつけてくださいね」と言われ、

「いや…気をつけてって言われても一体何をどうやって気をつければいいんでしょうか」

と言うと、

「ナマ鶏に触れないとか、近づかないようにしてください」と言う。

「えっと…ぎゅうづめの満員バスに、市場帰りの、ナマ鶏をかついだ人がふつうに乗ってくるんですけど…」

「そ…それはどうしようもないですねえ、ははは」

「あははは」

という、のんきな会話を交わしたものだった。

豚インフルや鶏インフルは置いておいて。
気になる方がいるようなので回虫の続報。

周囲の中国人同僚たちが、口をそろえて言うには、
「問題不大」
そんなのたいした問題じゃない、ふつうのことだ。
あんたはどうして病院に行こうとするのだ、薬局で薬を買えばいいことだ、皆そうしている。
貴州の友人にたずねても、「薬飲めばそれでいい」

一応、JICAからぎょうぎょうしく医者の紹介状が送られてきたので、医療費は共済会から出るのかと聞いてみると、もう任期が終わったから日本の国民健康保険に入っていることが前提なので、3割しか出ない、などとケチくさいことを言う。
国民健康保険は上海に移転届けを出した瞬間にまた無効になったので、7割自己負担ということだ。

それも嫌だし面倒なので、地元の人々のすすめに従い、虫下しを買って飲んだ。
回虫と線虫を駆除できる薬は10元(約150円)也。

周りに聞くと、中国ボランティアの先輩でやっぱり回虫が見つかったことがあるという人がいた。

けっこう普通の事のようだ。

しかし寄生虫は自覚症状がないから困る。気味が悪い。



きのう、学生が「先週はお休みしてしまってすみません」と言って欠席届を持ってきた。

「急性腸炎の治療、検査で見つかった回虫もついでに駆除」

と書いてあった。

上海にも普通にいるようだ。



その午後のオフィスアワーに、スピーチコンテストの原稿を持ってきた学生を指導した。

テーマは「上海万博」。

学生が「上海万博のテーマは<より良い都市、より良い生活>です。万博により生活レベルが高まります」と言うので、

「万博で生活が向上するって具体的にはどういうこと?」と聞いてみると、うーん、と悩む。

「もっと考えて書き直してみてね」と学生を見送りながら、

(より良い生活って具体的には、寄生虫の心配のない生活ではなかろうか)と思ったのだった。



貴州のおみやげ

2009年04月22日 | Weblog

上海に着いて5日たった。

摩天楼が見え、日本語の看板があり、日本人がたくさん歩いているけど、
教員宿舎は庶民的な古アパートで、いい感じだ。
都心なのに貴陽よりも静かだし。

「外事弁」という外人教師受け入れ部署の人はやたらと面倒見がいい。
外国人に対して面倒見がいいのは中国人全体に言えることなのだろうか。

今日は郵便局で送れず別送した荷物を汽車の駅まで取りに行ったら、
通常は郵送票がないと受け取れないのが、
事務所の人が「この人は我々の大学で受け入れた日本人の先生だ」と行った途端に、「通常はだめだけど日本人の友人のためだ。パスポートでOKだ」ということになり、係員のおじさんが一緒に段ボール箱を探してくれるほど親切だった。

いつも思うのだが、
日本においては訪日中国人の待遇はこれほどよいものなのだろうか…。


写真は、よい天気で洗濯物がはためいているようす。

整然としている場所とごちゃごちゃしている場所の融合加減がいいかんじだと思う。

近所にファミリーマートもローソンもあるけど、
暗くなってくるとコンビニの蛍光灯の前に露天商が次々と現れて店開きしている。
そういうごちゃごちゃ加減を見ていると日本よりも自由で、ごきげんな感じがする。


昨日から授業で、授業するのも3ヶ月ぶりで、どんなかなーと思ったけれど、
やっぱり大学生はかわいい。思った以上に優秀だし、やっぱり授業をするのは楽しい。ごきげんだ。

で、明日は大学院生の授業を4時限受けもつことになって、いきなり忙しい。明後日も4時限ある。
ほうぼうへの連絡もまだできないほどです、すみません。

上海生活はそのうち違うブログをたち上げて書くつもりで、
このブログから飛べるようにしますが、
今日このブログを書く気になったわけはといえば、
日本で受けた健康診断の結果が送られてきたからです。

結果、回虫がいるとのこと。
うーん、貴陽では食べ物に気をつけて、清潔な食べ物を食べるために食費を惜しまず使ってきたんだけどな~。
果物とかに卵がついていたのだろうか?
日本に帰って体調が悪かったのは日本の水に慣れないせいではなかったのかも。
(でも今はとても元気なんだけど)
貴州暮らしの先輩や中国に住んでいる友人知人からそんな話あまり聞かないんだけど、おかしいなあ。
自分だけが奇特な病にかかりがち?
まあ回虫なんて恐れるほどのものじゃないらしいけど。
ああ明日は授業後に病院にいかねば。やれやれ。


というわけで、貴州省に行く人や住んでいる人は、衛生状態を甘くみないでくださいね。
貴州レポートはこんどこそおしまい。


帰国3日目

2009年03月30日 | Weblog
帰国の手続き説明やオリエンテーションのために広尾に行かなければならなかった。

電車に乗っていると、表示に中国語が併記されているのに目が行く。中国に行く前はあまり気が付かなかったが、東京には中国語が多い。

電車の中の女性たちは思ったよりもおしゃれでも洗練されてもいなかった。中国の都市部の女性のファッションとそう変わらない。

乗りなれた地下鉄丸の内線と銀座線にゆられて、3年前、協力隊に応募する前の、毎日の倦怠感がよみがえってきた。そうだった。これが東京を飛び出す理由だった。
倦怠感の一方で、見慣れた街はどこもこの2年間で大して変わっていないので少しほっとする感じもある。

帰国のオリエンテーションなんて、まるで中学生扱いされているような気にさせられる、という友人の言葉に同感した。少なくとも私にとって全く必要のないことばかりだった。

オリエン後、同期中国隊員たちに誘われていた飲み会には行けなかった。帰国後ずっと暗い気分を引きずっているのと、もろもろの事情があって今日はそういう余裕がどこにもなかった。同期のみんな、すまん。私の身の上を察して許しておくれ。

所用のため公衆電話からあちこちに電話した後、携帯電話を買いに新宿歌舞伎町入り口のドンキホーテに行った。若い女の子たちが皆同じメークをべたべたしていて、だれもが素顔を隠し、同じ顔に見えた。ひと昔前のヤマンバギャルとあまり変わっていない。



浦島太郎現象を2つ。

浦島その1.コンビニで「テレホンカード、3000円のをください」と言ったら最近は偽造防止のために1000円と500円のしかないのだと教わって、そうなのかと思った。

浦島その2.日本滞在中、地下鉄によく乗るので駅員に「メトロカードください」と言ったら、「メトロカードはなくなりました、今はパスモになりました」と驚いたように言われた。あ、そーなんだ・・・。




もう気持は上海に向かっていて、日本に戻ったら会いたいと思っていた人たちに次々に会ったら、一刻も早く上海に渡りたいのだけど、4月15日に動かせない予定が入っているので、16日に中国に戻りたいと思う。


このブログは「中国貴州省で暮らす」というテーマで、日本人にとってメジャーではない貴州省貴陽市での生活を書くことに意味を見出していたので、貴州省を出た今となっては、ここらへんで終わらせようと思う。上海で暮らす、とか、日本語を教える、というテーマは他にも数多くの人がブログにしているだろうから、今後書くかどうかはわからない。

読んでくれた方々、どうもありがとうございます。ご感想ご質問などありましたら左のメールアイコンから是非お寄せください。

友人知人のみなさん、今晩インターネットと電話を手に入れたばかりなので、まだ帰国の報告もメールの返事もしていない人ばかりですが、気持が落ち着いてきたら少しずつ連絡します。しばらく新宿に滞在しているので一緒に食事してね。

帰国2日目

2009年03月29日 | Weblog
一晩中自責の念や恐怖感や絶望感で眠れなかった。
歩いて駅前のネットカフェまで行った。暗い気分だったが今日がいい天気でよかったと思った。

ネットカフェのパソコンで情報収集をし、ウィークリーマンションのリストをメモし、公衆電話を往復した。
携帯電話会社でプリペイド式携帯電話を扱っている都内の店の情報を得た。それから、スーツケースと重い荷物を引きずって電車に1時間乗り、新宿の不動産屋にたどり着いた。

新宿の不動産屋のOLは言葉遣いが丁寧で「すみません」を多用していた。自分が悪くないことまで「すみません」と言っていて、変だと思った。言葉は丁重だが気持が入っていないので信用できないような気がした。まるで本心では客をばかにしているのを隠すために丁寧な言葉を使っているようだった。

不動産屋からもらった地図を片手に重いスーツケースを抱えて地下鉄を登ったり降りたりした。外に出るともう夜道になっていた。悪夢のような日は今日で終りだ、と自分を励ましながら荷物を引いて歩き、ウィークリーマンションの快適な部屋に入った。久々にお風呂にゆっくり入り、ぼんやりした。日本に帰ってきた実感がわかず、帰ってこなければよかったと思う。

上海での次の仕事が決まっていて、荷物を上海の大学に送っていてよかった。もしそうでなかったら路頭に迷うところだったと思うとぞっとする。