中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

暴力と平和

2008年04月29日 | 日中関係

こちらのテレビでは長野の聖火リレーで逮捕者が出たことは報じられなかった。

中国のニュースでニュースにならなかった事がニュースになってるよ、と同僚に伝えた。

ふと、ニュースにならなかったという事実をニュースと考えてニュースにするニュース番組があってもいいんじゃないだろうか。と、思う。


最近、学内の起床と食事と消灯の合図が、いさましいラッパの音に変わり、
1920年代か30年代を生きているような気分だ。
とても嫌だ。大学内で戦場の兵士と同じ合図の音で生活するのは。

そんな抑圧を感じながら、持参してきた本の中から『憲法9条を世界遺産に』を読んでみた。
宮沢賢治があれほど平和主義的な美しい物語を書きながら、なぜ、第二次世界大戦へと突入する政治思想と政治活動に加担して、当時はそれで矛盾していなかったのは何故なのかということから議論が始まる。戦争と平和について考えるヒントがポンポン出てきて自分の思考をサポートできる本だった。




青は藍より出でて

2008年04月28日 | ことば


学生が持ってくる原稿に、すでに添削した赤字が入っていて、実は元の文が正しいことがよくあって、のみならず、元の文は正しいのに赤字が間違っていたりすることもよくあり、あちゃーと心の中でつぶやきながら指導している。

教師の顔をつぶすのは断腸の思いだが、教師として正しいことばを教えなければならず、それが今の自分の最大の苦悩である。

教師たちは知識や教え方で優れていても、運用面では学生たちの中に教師よりも達者に話したり書いたりする者が2年生でも何人もいて、若い頭の柔軟性や吸収力というのは驚異的だ。

1日8時間は勉強に集中できる環境にある学生と、一度教師になってしまえば学務や政治に追われて毎日勉強する時間がとれない教師とでは当然差が出るだろう。

その差は、言語の運用力というものが「生もの」だということの証拠なのかもしれない。

自分がネイティブ・スピーカーであるというだけで、自分よりも経歴の長い教師に「(その言葉は)そうは言わないです」と一言のもとに否定してしまえるその立場にも辛いものがある。
自分が逆の立場だったら本当にすごく嫌だ。

他言語を学んだり教えたりすることは、尽きることのない努力の積み重ねなのだろうか。学んでも学んでも現実のネイティブ・スピーカーにはどこまでも敵わない部分があって、まるで修行のようだ。

それでも母語以外の言葉を操れるようになると、自分の母語とその周辺の世界が明るくなるのだと信じたい。新しい言葉を身につけた分だけ視野も意識も広がっていき、世界が多義的に豊かになると信じたい。


暴動

2008年04月27日 | Weblog


このところのチベット暴動+オリンピック÷各国の反応で、フランス系スーパー・カルフールで反フランス暴動が起きた、というニュースを、インターネットで見た。

エントロピーが増大している。

そのニュースを見て、そういえば貴州にはカルフールがなくてよかったな、と思う。

だがしかし、アメリカ系スーパーのウォルマートはあって、自分がパスタだのマヨネーズだのマーガリンだのケロッグコーンフレークだのの洋風な食品を仕入れることができる唯一頼みにしている大切な心のよりどころのようなスーパーなので、ウォルマートで暴動が起きたら困るなあと思う。よし、暴動にそなえて、いまのうちに大量に買いだめするか、ちょっと遠くにある北京華店でも仕入れ可能な物とそうでない物をチェックしておこうと考える。

人類学を「生活者の視点から考える」こと、と言ったのはギアーツだったが、
あまりに生活者の視点すぎる自分は、たんに堕落している。






同じ大学の別のキャンパス

2008年04月26日 | 


生け花を教えてほしいというリクエストにお応えして、
(師範の腕前でもないのに軽々しく)別キャンパス内の教員宿舎まで出張して教えに行った。

車で30分はたっぷりかかるので、これまで行ったことがなかったが、そこも同じ大学なのだった。

生け花の後は、一緒に買い物に行って夕食を作った。
日中合作。

野菜や肉も、大学の構内に売っている。



こんな感じで、完全に市場。





鶏だって丸ごとさばく。



川だって流れているし。



どこですかここは?



水辺にあそび、



犬とたわむれる、ハイソな一日。



今ならわかる

2008年04月17日 | Weblog


先学期の授業の追試がまたある。先月すでにやったのだが、もう1クラス分の実施を事務方が忘れていたようで、もう一度ある。

本当は、私もこれ以上事務的な仕事を増やしたくないので全員合格させたかった。

だがしかし。

ゲタをはかせるにも限度があって、普通のゲタははかせたが、花魁のゲタは無理というもの。

出席日数が極端に少なく課題の提出も無い学生を通してしまうと、まじめに授業を受けていた学生にたいして不公平だし、さらにレポート課題の指定…参考文献は3点以上挙げ、テキストに載っている参考文献表記に従い、インターネットは文献として認めない…をどれ一つ守っていないレポートを見たときは、

たのむぜ、おい、

と「不可」をつけるしかなかったのだった。
ううう、内容がどんなにはちゃめちゃでも、出席が4割以上か、もしくはこの指定さえ守れば合格させるつもりだったのに…。1学年中計6人も。


ああ。はるか遠い昔の記憶がよみがえる。


第二外国語のロシア語の授業。
サボタージュ(←これはフランス語)ばかりしていて試験勉強もろくにしなかったので追試になったよなあ。
あのときの先生、こんな気持ちだったんだろうなあ。

たのむから追々試をさせんでくれよキミタチ。


接待

2008年04月09日 | Weblog


接待を受けて、せっかくなので失礼のないように「干杯」を繰り返していたら、飲みすぎた。53度のマオタイだったので、おちょこサイズでも、カパカパ飲むと、確実にやられる。吐かなかったが、しばらく動けなかった。こんなに酔ったのは何年ぶりか。

送迎車の中でもなんとか持ちこたえて、家に帰って寝て、深夜に汗だくになって目が覚めたけれど断水でシャワーが使えず、気分の悪いまま6時にまた起きてパワーポイントで授業準備をして、朝8時から10時まで授業をした。宿酔いにはならなかったけれど妙にハイテンションな授業だった。

授業の皮切りにはかならず3分間くらいの自由トークをすることにしている。
今日は何をしゃべるんだろうと学生が注目しているのが集中度でわかる。
今日のトークはもちろん、昨夜飲みすぎたこと。
1年生のクラス(日本語を学ぶ初めて半年)なので語彙は極少で語らなければならないのだが、
中国のお酒は強いです!の一言に全員が頷き、笑いと同情のうずだった。

甲秀楼

2008年04月07日 | その他の観光地


貴陽市内の明代の建造物、甲秀楼。

旅行ガイドブックの貴陽市内観光のページではだいたい真っ先に載っているところ。
入ったことがなかったので、あらためて行ってみた。

貴陽っ子に案内してもらったところ、
学問の秀才のために(たぶん科挙)建てられたとのこと。
サロンのようなつくり。

中は川をのぞむ茶店があって、気品漂うよい雰囲気。
向かいの寺院の中には竹林と金魚池の庭園がある。

こういう格式ある文化財の中でも、
麻雀に熱中している人々がいたり、
茶店で値段交渉が始まってしまうところなど、
中国らしくておもしろかった。







日本車

2008年04月06日 | Weblog

ガソリンスタンド風景。

最近、プジョーやアウディやビーエムに負けず劣らず日本車率が高くなってきた。
貴陽の街に出るとつい目で追ってしまう。

ホンダ、トヨタ、スズキ・・・
ううハンドル握りたい。

学食内レストランにおいてある車の雑誌をぱらぱらめくって日本車のとりあつかいをチェック。
中国語が全部読めなくても、編集者の意図は万国共通なのか、写真、レイアウト、キャプション、紙面デザインでどういう売り出し方をされているのかが察せられる。

清明節

2008年04月04日 | Weblog


今日は中国のお彼岸、清明節で休日だった。
絹糸のような雨が降った。
こんな風景にぴったりの詩があると、唐代の詩人杜牧の詩を教わった。


清明   

清明時節雨紛紛
路上行人欲断魂
借問酒家何処有
牧童遥指杏花村


一年間の仕事の成果、第二位

2008年04月02日 | Weblog

中国語で、流行りのポップスを歌えるようになった。
これでカラオケに行ったときのつかみはばっちり。
中国の人たちが皆知ってる「すばる」やSMAPもはずせない。
中国の人たち、中国語の音域が広いからか四声がそもそも音楽的だからか、やけに歌がうまい人ばかり。カラオケで歌手になりきって歌うのも上手。
さらに、ごく普通の20代後半の遊び盛りのOLさんにクラブ(っていうよりディスコって感じ?)に連れて行ってもらい、クラブデビューも果たしてしまった。

報告書に一年間の成果として記載したい。

だめ?

一年の仕事の成果、第一位

2008年04月01日 | Weblog

青年海外協力隊員としての1年目の報告書をきまじめに書いている。
ボランティア活動の成果と後半の目標うんぬん。

ふりかえって考えてみると、一番の成果はやっぱり、
コピーおばさんを攻略したこと。

毎回の授業でプリントを使うのだが、印刷室のコピー専門事務職おばさん2人に、たとえば、「こっちは両面コピーでもいいけれど、こっちは解答とタスクシートだから別々にコピーしてほしい、2年生の2クラス分、合計60枚でお願いします」というような内容の意思疎通が困難を極めた。しかも彼女たちは他の大学職員たちと違い、なまりのきつい貴州弁で、ふつうに話していても早口で、濁音が多いせいか語気がきつい感じがする。

最初のころは、たどたどしい中国語標準語しか話せない私が行くと、二人にあからさまに顔をしかめられ、「また量が多いね、めんどうな外人教師だね!ったく!」的な事を吐き捨てるように言われる日々だった。「めんどうな」という単語だけは私も聴き取れた。コピーが曲がっていたり、汚れていたり、仕事ぶりもいいかげんだった。

しかし、ここで私まで対抗して声を荒げて命令したら、彼女たちもさらに気分が悪くなるだけだと思い、何も言わなかった。めんどうな外人教師であることに異論はないし。
威圧的に(と外国人にとっては感じやすい?)言われて耐えることは、我慢してなめられることとは違う。自分の希望は必ず伝える。たとえば、毎回、やってくれた仕事に対してはきっちり笑顔100%でお礼を言う、指示と違うことをされて、違うと指摘しても「いいでしょ!没関係!」など言われた場合も怒らないで、とにかく自分の指示通り出来上がらなかったという困惑と悲しみを相手の視線をとらえて最大限表現する、ということを繰り返した。週2回の攻防。

半年が過ぎたころには、私が行くと、満面の笑みで迎えてくれるようになった。
しかも、コピーが曲がっているようなことはおろか、特に言わなくても「これホチキスで閉じましょうか?」等々のプラスアルファの仕事を申し出て、私が「私も手伝う」と言っても「いいですよ」と固辞し、プロの技で実にてきぱきとこなしてくれる。どこから覚えてきたのか、私のことを日本語で「せんせい」と呼んだりして、時々「のり」「紙の断裁機」「紙詰まり」などの単語を教えてくれる。

そんなわけで、最初は鬼門だった印刷室が、今ではまるでいきつけの小料理屋のように、なじみのママたちに心癒される場所になったのだった。


こうして私は強力なボスキャラを攻略したわけだが、(中国では大学事務員のほうが教授よりも偉い)これは街に出てもまったく同じことかもしれないと最近よく思う。

店などで、「この国は店員がいい加減だ、サービスが悪い、厳しく言わないとだめだ」と先入観を持って接したり大声を上げたりすると、実際にその先入観通りの反応しか返ってこないと思う。

中国に来たら、自分の性格が多少きつくなるかもしれないと思っていたが、1年経過して、予想に反し、どうやら日本にいるときよりも人当たりが優しくなった気がする。
街の知らない人や、店員たちにも、日本にいるときよりも優しくされる割合が多いようにも思う。

日本語には「柔よく剛を制す」といういい言葉があるけれど、これは外国で気分よく生活するこつかもしれない。


そんなことをしみじみ考えるのだけど、まさか報告書に一年間の成果はコピーおばさん攻略法を体得したなんて書けないよなあ…