中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

同類相憐れむ

2007年09月29日 | Weblog

国慶節のお祝いで、外国人教師全員に省政府からの招待状が届いた。
会場はできたばっかりのシェラトン。

楽しかったこと。
その1.
バイキングのケーキの中に、クリームブリュレと名づけられているものがあったが、どう見てみても白いカステラもどき。
フランス人教師が、フランス語なまりの中国語で、
「これは~、クリームブリュレじゃないよ~」
と言うので、はげしく同意。
「しかもこのワインの味はひどいよね。美味しいボルドーかブルゴーニュが飲みたいね。貴州には美味しいチーズも無いよね。」
などと話していたら、
「そうそう。バケットも無いから自分で手作りしてるんだよ~。日本にはカマンベールチーズがあるのか~、中国じゃなくて日本に行けばよかったよ~」
と、意気投合。

その2.
サーモンの刺身にわさびのディップがついてきたが、どうもグリーンペッパーを水で溶いたような、わさびと違う味が混ざっている。
「うわお、辛い!日本人はこんな辛い物が好きなの?」
と皆に言われたので、
「これは、わさびじゃないよ~。このしょうゆも、全然しょうゆの味がしないよ~」
と訴えると、
サンフランシスコ出身のアメリカ人教師が、
「アメリカにも寿司バーがあってよく行ったけど、たしかにこんな味じゃなかったわ」と同意してくれる。
そして、もう一人のアメリカ人教師が、
「ほんとだね~」と日本語で賛同。
最近、peace-corpから来た先生は、日本に何年も住んで英語教師をしていた人なので日本語が流暢だ。
「先生は東京出身ですか?発音がきれいですね~」
って、まさかアメリカ人から日本語で日本語の発音をほめられることがあるとは思いもよらなかった。
そのアメリカ人教師は食事会ではいつも最後まで食べているのだけど、体が大きいのでいつも量が足りないらしく、シェラトンを出るときも、ロビーのシャンデリアの下でもまだバナナを手に持っていたりして、ほほえましい。

その3.
シェラトンのトイレが三面鏡付きで豪勢極まりないので、みんな興奮してトイレの中の写真をとった。

外国人教師同士は、同僚というより、同類、という親しみを感じる。
学内で、How are you? と学生に声をかけられて、I'm fine, thank you! などと明瞭な発音とスマイルサービスで答えているところを目撃すると、おお、私と同じことをやってるな~と、にんまりしてしまう。

ふりかえる

2007年09月26日 | Weblog


来週は「国慶節」という国の祝日で、まるまる1週間の連休になる。

「来週は国慶節なので、今週の土曜と日曜は授業があります」

・・・という通達があった。

えっと。
それって、全員?

はい、全員。

ほほう。

振り替え休日というのはあるが、振り替え出勤というのは初めてだ。
休日出勤・・・個人的にしたことはあるが、一斉にしたことはない。あ、それはもう休日とは呼べないか。

私は毎日2コマ2時間しか授業がないのでラクラクだが、
連日、朝8時から夜6時までびっしり授業がある同僚たちや学生たちが、不憫である。
学生も学生なら先生も先生でよく働くな~ううむ中国経済が日本経済を追い抜く日は近い。
・・・と、思わず論理が飛躍する。

ふりかえれば
ふりかえるなら
ふりかえるとき・・・

中秋

2007年09月25日 | 

今日は中秋。

月餅や栗を家族と食べてお祝いする日なのだそうだ。

生まれて初めて

「中秋おめでとう」

と言った。(言わされた)

中国語では、

「中秋節快楽」

かいらく・・・

先々週は、老師(先生)の日というのがあって、
なぜか皆にお祝いされた。(中国の先生たちは大切にされている・・・)
老師節快楽。

そんな感じで、中国の秋は日本の秋よりもお祝いが目白押しで、とってもにぎやか。

ビールの味

2007年09月22日 | Weblog

この数日、秋口らしい爽やかなよい天気が続いている。
カレンダーを見て、日本は3連休だなあと思うと少し物寂しいけれど、日本がこんな爽やかな天気かどうか知らないし、ま、いっか。

数週間ぶりに仕事の予定がない週末。
宿舎のフロントにある長椅子を借りて外に布団を干して、いい気分だった。

そろそろ事務所に出す半年目の報告書のことが気になってきたので、書き始める・・・と思いながら、朝からDVDを見続けてしまった。夏休みに学生から借りた物だから早く返さなきゃなんないしねと、自分に言い訳しつつ、数本続けて、夜まで見てしまった。ああ。

夜になって、たまにはビールでも飲んでみようかな、と中国に来て初めて買ってみたら、苦味が無くてかなりまずかった。まずいのは食事会の時に付き合いで一口飲むビールだけではなかったのね・・・。こっちのワインにしても、煮込み料理に使うこともあって何度か買って飲んでみたけれど、かなりの確率で瓶の中に砂糖が混入されている。ワインに砂糖を入れたり氷を浮かべて飲む習慣があって、「氷入れる?」と聞かれると「信じらんな~い」と言いたくなるのをいつもこらえている。彼らにとってはコーヒーをブラックで飲むのが信じらんないらしいし、苦味や渋みが美味しいんだという味覚がないのだろうか?あんなに辛味と油は好きなのに・・・と、ぶつぶつ考えているうちに、350ml缶の半分飲んだだけで頭痛がする。私はやっぱりかなり弱いくち。色んな種類を3缶買ってきたが、全部飲み終わるのはいつになることやら。たぶん、1年目の報告書を書き始める時かもしれない。

ふう、新学期が始まってからこんなにゆっくりできた一日はなかった・・・明日ものんびりしよう・・・

と思っていたら、電話が。

同僚: 昨夜は、一緒に勉強する予定だったのに、急な仕事が入ってしまってお宅に行けなくてすみませんでした。
私:  いえいえ、お忙しいでしょうから、いいんですよ。お疲れさまでした。
同僚: 実は、明日、会議があるので先生もぜひ来ていただけませんか?
私:  え?明日って、日曜日ですよね?
同僚: はい。
私:  本当に会議があるんですか?
同僚: ありますよ。~~の件で。
私:  はあ、そうなの・・・なんだか皆さん、“日本人よりも”(ここ強調)よく働きますね。
同僚: あははは。

あはははって・・・。
(もちろん、仕事があれば喜んで顔を出させてもらいますけど、はい。)

新入生の訓練

2007年09月21日 | Weblog

自分の宿舎の前で撮影。
さいきんは毎朝毎夕こんな感じ。
新入生は入学後3週間くらい軍事訓練を受けることになっている。
他の大学も同様らしい。

19歳の花の女子大生が迷彩服に身を包んでいるのを見ていると、
肩も腰もか細くて、風が吹いたら飛んでいきそうで、
アーミーというより、toy soldierとか、『夏の夜の夢』の妖精パックを連想してしまう。




交流会

2007年09月20日 | Weblog

週末から美人でやさしい大学院生が滞在していたので、突発的に交流会や食事会を何度も催した。ふだん「生日本人」に会うことがない学生たちは、緊張したり笑ったり、普段詰め込み勉強している日本語をフル活用したりで、話が通じると喜んでいるさまが実にほほえましかった。

私の部屋はリビングだけでも12畳以上あるので、学生が15人入っても余裕があった。一人では広すぎる部屋は、よく学生を呼ぶことができて便利だと思う。こういうパーティーのために、あてがわれているようなものなのかもしれない。

この部屋に住み始めた頃は、ここに学生たちや同僚を呼んでDVDを見たりおしゃべりするようになるんだろうな・・・と妄想していた。でも、フタをあけてみると、たしかにしょっちゅう来客があるものの、みんな日本語の教科書や試験の質問に来る人ばかりだ。熱心さに頭が下がる。・・・もしかすると、私が一番楽しそうな顔をしているのが、難しい文法や語彙の問題を考えて解説している時だって、皆わかっているからなのだろうか?

写真は、ちらし寿司と味噌汁とかぼちゃの煮物でおもてなしの図。
キッチンで包丁を使いながら、招いた客たちの会話を聞いて、一人、にまにま笑う。
そういえば、日本でツーリングクラブを主宰していた頃、知らない人同士を紹介するために家に招いて、やっぱりキッチンで彼等の話を聞きながら動き回り、時々リビングに戻って話にちゃちゃを入れたりするのがすごく好きだったな、と思い出す。少し昔の自分を取り戻したような気がした。ほんと、こういうの大好き。


ミャオ族の観光村にて

2007年09月16日 | その他の観光地


苗(ミャオ)族の文化保存村として指定されている村です。
凱里市から車で約20分のところにあります。
凱里出身の研究者の先生に連れて行ってもらいました。



路地に入るとこんな感じ。



そろそろ次の観光ダンスショーがはじまるわよ。
次はどこの旅行社なのかい?貴州○×旅行だってよ。
じゃ、20人くらいだね。
それより、ねえ、今年の稲刈りはいつにしようかね。
(想像上の会話・・・ミャオ語は全く違う言語なので)



ショーが行われる山の上の広場まで、えっちらおっちら。

歩くたびに、全身にたくさんつけている銀の鈴が、しゃんしゃんしゃんと鳴り響く。



観光客に、歓迎のどぶろく一気飲み(強制)。
ミャオ族の女の子たちによる甲高い掛け声の儀式付き。



さあさあダンスが始まります。
ドンドンと銅鑼が打たれ、トーテムを回ります。



笙を吹く男たち。



実は最近観光用に作られた踊りも多いそうだけど。。。

そして、広場に出て行って彼女たちのすぐそばで記念撮影する中国人観光客続出。



ひとやすみ中。

最後には皆で手をつないでステップを踏みながら、ぐるぐる回ります。
観光客も一緒に。私もおもわず輪に加わって回ってきました。

客寄せパンダ

2007年09月13日 | Weblog

先日、入学式があった。
学食と学生寮の間には、新入生を勧誘する様々なテントが並ぶ。

イトーヨーカ堂は日本で見るときは、ただのヨーカ堂なので視界に入ってもなんとも思わないのだけど、北京では数も少ないし、地元民から高級デパートと見なされていた。買いたい物があった私は、わざわざタクシーで乗りつけた。成都でヨーカ堂を見つけた時は、旅行の途中にもかかわらず、買い物に寄った。

ここでネイティブ日本語教師をやることは、そんなヨーカ堂さんと同じことだと思う。

「日本語学部に入ったんだって?じゃあ、もう日本人と会話できるのか?つーか、貴州省で日本人を見たことないけど、おまえ日本人と交流したことがあんの?」
「あるよ、もちろん。うちの大学じゃ、日本人の先生が日本語を教えているんだぜ」
「へー、その日本人先生は、中国語を話すのか?」
「いや、授業は全部日本語だよ(えっへん)」
「すげー、日本人の先生の授業で、ずっと、日本語で意味が分かるのか?」
「だいたいな(えっへん)」
「で、どうなの、その日本人先生は」
「うん、やっぱさ、生の日本語は、中国人先生とぜんぜん発音が違うよ!」
「まじで?」
「たとえば先生が物を落としたときにさ、「おっと」って言ったぜ。それにさ、驚いたときにアアー!?じゃなくて、ええー!?って言うんだ」
「おー!やっぱり日本人なんだな。すげえ」

学生が高校時代の友人と話をする時に、こんな会話がかわされているんじゃないかなーと、想像している。はい、ただの想像ですが。

今日は作文の授業の合間に、10分間だけ授業を抜けるよう言われ、新入生の前で紹介された。常々、ネイティブ教師としての自分は、客寄せパンダだと思っているので、客寄せパンダらしくあいさつをする。中国語を少し交えるだけで、数百人の拍手喝采を浴びることができるのは外国人ならではの特典なのだ。フレッシュマンの前で挨拶させてもらえて嬉しかった。

教室に戻ると、また、日本の学習塾で小学生に作文を、高校生に小論文を指導したことを学生に熱く語る、燃える塾講師の自分に戻った。

午後になると、日本の大学院に留学する同僚から、入学金免除書類の文章添削を頼まれた。院生時代にいやいやながら各学期ごとに授業料免除申請書を書いた経験が、こんなところで役にたつとは・・・と遠い目になってしまったが、貧困の大学院生先輩代表として先輩ぶってアドバイスした。

でも、やっぱり自分の一番重要かつ得意な仕事は客寄せパンダなんじゃないかと、勝手に思って楽しんでいる。



ホラーとは

2007年09月12日 | Weblog

日本映画鑑賞、という名の授業があるというので観に行った。
ホラー映画「催眠」が上映された。

中国でも映画はハリウッドものが人気だ。DVD屋の半分くらいはハリウッドで埋まっていることが多い。日本映画についての同僚の感想は「日本の普通の映画は全然面白くないけれど、恐怖映画だけは他のどの国のものよりも怖くて、面白い」のだそうだ。

ホラーは苦手なので久しく観ていなかったが、今日、こういう映画はわかりやすいなと発見した。
画面の切り替えも早いし、ストーリーが映像に依存する。
台詞は、怖さを出すためにゆっくりと話される。
だから何も考えずに観ていられるし、日本語学習者にとってもわかりやすい。なにより言葉が聴き取れなくても飽きない。

鑑賞中、昔のように想像力をたくましくして恐怖におののいたりはせず、「こんな恐怖映画の怖さなんて、組織にいる海千山千の奸計に比べたら、かわいいものだわ…」と思ってしまった私は、すでに心のすりきれた大人…。

謝辞祝辞

2007年09月08日 | ことば

創立記念日に、大学内に日本語文献館と大学歴史資料館と自然博物館が開館した。

以前、式典に呼ばれた時に、通訳の先生の日本語原稿をその場で校正するという、気分は国際報道部ニュースデスクのような仕事をしたことを思い出し、木曜の夜にマニュアル「日本語謝辞祝辞文例集」を編集しておいた。

予想が的中し、金曜日の朝9時に電話で起こされ、15分後には教員室で、幹部の謝辞の通訳原稿をみていた。なんと朝8時半から幹部の会議があったらしい。
教授歴10数年の先生でも、「ご列席賜り、厚く御礼申し上げ」とか「祈念いたしまして謝辞とさせていただきます」といった式典決まり文句の日本語は理解しがたいらしい。だいたいスピーチ文は長文になりがちなので、日本人でもコロケーションがおかしくなりがち。その上、待遇表現が豊富。例えば、自分たちを主語にして「我が校は貴財団の~に選ばれまして」と言うのがおかしいところを「貴財団~に我が校を選んでいただきまして」と直す。さらに、やりもらい表現の語感。「授与」でいいのか「贈呈」か「進呈」か「手交」かといった語感に気を使う。

校正しながら、そういえば去年の今頃も日本で同じようなことをしていたな~と思い出す。編集室で企業の社史序言の謝辞祝辞を赤ペンで直していた。結局わたしは、どこにいてもどんな肩書きでも、特技は変わらないし同じような仕事をしているということか…。

その夜8時、スーツのクリーニングを取りに行っていると、携帯電話が鳴る。若手教師が明日急にスピーチをすることになったので原稿作りを手伝ってほしいとのこと。再び教員室に駆けつける。PCに向かい、日本語のタイピングは私のほうが速いので、共同で文章を作りながら、発音とアクセントの指導。夜9時になると、先週から指導していた代表スピーチの学生たちが来て、中国語の文が急に変わったので、日本語も手直ししなければならないとのこと。夜11時には先生二人と学生二人の原稿書きと発音指導を終えた。



自分と中国との相性がいいと確信できる点が一つある。
それは仕事の進め方。
出国する前の研修で中国生活の先輩たちから聞いていたのだが、計画は無いも同然、電話一本で直前に予定が変わったりするという。来てみて実際そういうところがあると感じる。で、ふりかえってみると私は元々スケジュールどおりに行動するよりも「瞬発力」勝負が大好きで、だからマスコミに就職したり、趣味がオフロードツーリングやスキーなんていう、度胸ととっさの判断力勝負のものばかりだったりするのだった、そういえば。
この国に来て、そんな自分の持ち味をあらためて発見できてよかった。

まあ仕事の面だけで、恋愛に関しては瞬発力も度胸もみじんもなく、相変わらずゾウガメのようなのだが…

これは化石↓





アドバルーン

2007年09月06日 | ことば

行事の時はいつも大学の正門にアドバルーンが複数用意される。
その隣には先学期に建った電光掲示板が輝く。(発光ダイオード!)

「アドバルーン」って、ドイツ語か何かなと思って語源辞典を引いてみたら、advertising balloonのカタカナ日本語だった。

もう何度も書いているが、私の相棒の先生の日本語力は、OPIで言えば超級クラス。

以前、私が風邪を引いて嗄れた声で、しかもマスクをしながら話しかけて彼女と普通に会話をしていて5分後に、「はっ、この人にとって日本語は外国語だったんだ」と気づいて驚嘆したことがあった。それから彼女は普段「私今日生理なの・・・」などと呟いたりする。どこでそんな言葉を覚えるんだろう、一体この人の日本語はどこまでできるんだろう・・・と驚かされる。(ちなみに彼女の過去の日本滞在時間は1週間で、この地域にもこの省にも日本人がほとんどいない。)しかも先日、私より英会話が流暢であることが分かった。もはや白旗を揚げて、いっぱい聞けていっぱい喋れる身に良くつく外国語学習のノウハウを教わるしかない。

そんな彼女のウィークポイントは、カタカナ日本語。わけのわからない和製省略英語は難しい。

今日は、同僚たちに、「アドバルーン」と「テープカット」と「RV車」と「オフロード車」を教えたのだった。(・・・後半は私の趣味ではなくて質問されたから答えたまでですよ念のため)

開学

2007年09月05日 | Weblog

今週から新学期=新学年が始まった。
先週末から会議やらなにやらで大学はてんやわんやである。

しかも今週末は3日連続で創立記念行事が、手をかえ品をかえ、次々に行われるので、学生も先生も、招待客を迎える手はずから花火の準備にいたるまで、忙しい。
その上、国家による大学評価が外部から入ってきているので、授業と事務手続きの気が抜けない。
私も先週末から、先学期の書類のリライトと、年間授業計画の提出と、レセプションのスピーチの原稿校正、スピーカーの発音指導などやっていて、実を言うと猫をじゃらしている場合ではなかった。

そんな中、お隣に、KOICAから派遣されてきた韓国語の先生が引っ越してきた。
KOICAの訓練の話を聞いていると、JICAと細かいところまでそっくりで、お互いにかなり親近感をもつ。彼女は中国語の学習暦も長いし、韓国語教師としての経験もあるし、コミュニケーション能力も高いので、さすがKOICAが1代目に派遣するだけあるなと思う。私は負けている(敗北宣言)。すごくいい人だ。
最近つくづく思うのは、外国人どうしで中国語でそれほど流暢にコミュニケーションできなくても、相手の性格や頭の良さがよく分かること。それがとても不思議。

外国人用の中国語クラスも今週から始まった。
写真は今日のお昼ご飯の帰り道。大学構内の商店街にて。
オーストラリア人交換留学生と、KOICAの先生と、アメリカ人言語学者カップル。

私は実のところ、第1回目の作文の授業の添削その他の書類を抱えているので、留学生用クラスにのんびり出ているどころではなかったのだが、オーストラリア人と「新疆料理はバーベキューに似ているわね!」などと呑気に歓談してしまったのだった。

今の仕事は、客観的に見れば時間がなくて忙しいと感じるべきなのだろうけれど、ちっともそんな感じがしないのは何故なのだろう。けっこう遊べるし。やっぱり通勤時間が無い&急な仕事があれば歩いて5分で事務室に行ける&周囲の人の仕事が速い等々で、余裕を感じる。事実、仕事量のわりには余裕があるような気がする。同僚たちが自分よりも数倍は忙しいからかもしれない。
なんだか、夏休みが終わってほっとしている。

国際NGO

2007年09月02日 | Weblog
学内に興味深いNGOがあったので、ボランティアしてきました。

このNGOは小さいけれど、国際的です。
具体的には、親から見捨てられたり、親が長期間家を不在にしている子たちを保護し、食事を与えたりしています。
インターネットの掲示板を見せてもらったら、続々と新しく保護された子たちの画像と状況、里親探しなどの情報が載せられていました。
あまりの愛おしさに、私も手伝う!と言って、スタッフに支援活動に連れて行ってもらいました。

行ってみた家はマンションの4階にあり、アメリカ人夫妻宅でした。彼等は来春まで戻ってこない予定で、1週間後にはフランス人がヘルパーとして住み込むことが決まっていますが、それまで助けが必要です。

部屋に入るとすぐ、おなか減った!という泣き声が。
さっそく、NGO(Neko Gohan Okawari)活動を開始!



そして、健康のための運動、UN(Undo Neko)volunteer!
UNDP(Undo de Neko no Debu boushi Project)計画の一環として、
ODA(Ouchi De Asobu)援助!





どうやら満足してくれたようだ。我々は、次の支援対象の待つ、日本留学中の中国人大学院生のアパートへ向かうのであった。。。