中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

イメージ向上中の中日関係

2008年05月08日 | 日中関係

主席の訪日にあわせ、テレビのCCTV「新聞」(ニュース)チャンネルで毎晩10時半から「特別節目 暖春之旅」(特別番組 暖春の旅)日本特集をやっている。

白岩松キャスターが、実際に日本へ行ってインタビューしたり解説する。
岩松さん、なんとなく見た目が日本人ぽいけど、
名前からすると朝鮮族(朝鮮半島の出身)かもしれない。
淡々と伝えていく知的な感じがいい。

高村外相のインタビューをたっぷりやったかと思うと、早稲田の学生と話したり、上野のパンダ園へ行ったり。昨夜の放送では奈良の唐招提寺に行っていた。
キーワードは「交流」「相互理解」。

生の日本語がテレビから流れてくるし、
中国語の勉強にもいいので、毎日楽しみに見ている。

中日関係イメージアップキャンペーン中。
CCTV(中央電子台)、がんばってます。


愛しの日中関係

2008年05月05日 | 日中関係

研究室でのオフィスアワーも再開。

去年から教えている学生たちの会話力の伸びが、めざましい。

なんとなく日本人の大学生と話しているとの感覚が変わらなくなってきたので楽しい。気がつけば、日本語や日本の話ではなく、学生生活の悩み、愚痴、人間関係の事などをこっそり打ち明けるようになってくれて、冥利につきる。

聞いていると、私も20歳ぐらいのときはそういう不安や悩みがあったわぁ、と共感できるような事から、それはいかにも中国の大学生特有の大変さだわね、というような事まで、いろいろな話が出てくる。

ちょっとした保健室のおばさん気分を味わっている。

いやはや、私も保健室のおばさんができるような年代になったんだなあ、化粧品はエスケーツーとかドモホルンリンクルに変えたほうがいいんだろうか・・・などと自嘲的に思うが、まあ、色々と社会人経験や院生経験を積んだ上で、この年で本格的に教師の仕事を始めてよかったなーと自己肯定している。

意欲のある子は本棚から本を借りていく。
私も貸し出しノートを広げて、どんどん貸すようにしている。
ちびまるこちゃんのマンガを、「小学校のときから好きでした!」と言って持っていったり、『中国語ジャーナル』を、「日本人はこんな雑誌で中国語を勉強してるんですね」と借りていく。

今日来た優秀な学生の一人に、「将来どんな仕事をしたいの?」と尋ねたら、
「大学で教師をしたい」と言う。
「日本語を教えるんですか?」と聞くと、
「いえ、日本に行って、中国語を教えます。先生みたいな先生になります」。
「将来、先生みたいな日本語教師になりたいです」と言われたときよりも、「先生が中国で日本語の先生をしているように、私は日本に行って日本の大学で中国語を教えたい」というこの言葉はさらに格別、嬉しかった。

ここで仕事をしていて、これ以上嬉しい言葉はないかもしれない。
いや、今までの職業経験上、たとえば上司に査定でいい点をつけられるよりも、きっと絶対、嬉しい。

目の前の、こんな可憐な乙女の彼女が、日本で日本人に中国語を教えたら、きっとギョーザ事件やら何やらの日本人の中国への悪いイメージなど吹き飛んでしまうに違いない。
思わず可愛らしい彼女を抱きしめそうになった。
ああ、私が男じゃなくてよかった。

はふ・・・。

やにさがって自慢してる場合ではない。明日の授業の準備をせねば。気合!

暴力と平和

2008年04月29日 | 日中関係

こちらのテレビでは長野の聖火リレーで逮捕者が出たことは報じられなかった。

中国のニュースでニュースにならなかった事がニュースになってるよ、と同僚に伝えた。

ふと、ニュースにならなかったという事実をニュースと考えてニュースにするニュース番組があってもいいんじゃないだろうか。と、思う。


最近、学内の起床と食事と消灯の合図が、いさましいラッパの音に変わり、
1920年代か30年代を生きているような気分だ。
とても嫌だ。大学内で戦場の兵士と同じ合図の音で生活するのは。

そんな抑圧を感じながら、持参してきた本の中から『憲法9条を世界遺産に』を読んでみた。
宮沢賢治があれほど平和主義的な美しい物語を書きながら、なぜ、第二次世界大戦へと突入する政治思想と政治活動に加担して、当時はそれで矛盾していなかったのは何故なのかということから議論が始まる。戦争と平和について考えるヒントがポンポン出てきて自分の思考をサポートできる本だった。




交流とショック

2008年03月25日 | 日中関係

昨年は日中文化スポーツ交流年で、ポスターがこれ。

北京であまっているのをもらってきて、研究室の窓の内側から貼った。

なんとなく、オリに入っているような抑圧感がぬぐいきれないが、意図は無い。
(我ながら皮肉がきいているなと思うけど。)

今年は中日青少年友好交流年で、都市部では青少年が行き来している。

CRI中国国際放送局 http://japanese.cri.cn/index.htm

「交流」という言葉には「社交」に近いしらじらしさがつきまとっていると感じるのは私だけだろうか。

だけど、高校生や大学生が実際に相手の国に行って対面するのは、そういう優等生的なしらじさしさではなく、なまなましい「体験」として価値があると思う。

そして中国語の「交流」は「お付き合い」や「コミュニケートする」というようなもっと広義の言葉なのだ。(だから、「私は先生と交流したいです!」「先生は英語で交流できますか?」というような妙な日本語を聞くはめになる)


今日のオフィスアワーには、1年間の日本生活から帰ってきた学生が話しに来た。

この大学では毎年何十人もの学生が、JNTOとJTBが企画するインターンという名の出稼ぎ労働に参加して、日本のホテル・旅館での仕事を1年間たっぷり体験して帰ってくる。

彼女は開口一番、「早く日本に戻りたいです。日本で働いていたときは早く中国に帰りたいと思ったけれど…。日本人と話したくなって先生のところに来ました」という。

どうしてまた、と聞くと、

「中国人は声が大きくてうるさいと思います。それに中国は汚い!」などと言う。

思わず笑って聞き返す。

帰国して約2週間目というから、まさに異文化適応論の“re-entry shock”の真っ只中にいるもよう。

彼女いわく、

「中国のレストランの従業員はマナーが悪すぎます!どうして物を投げてよこすの?

それにトイレ。トイレに紙がなくて汚いのが耐えられない!」。

本気で困惑をあらわにするので、

そ、そういえば私も最初のうちはそう感じましたけど・・・。

と答えるしかない。

「中国には物が少なすぎます。必要な物が全然無い。化粧品だって本物の日本製の物が無くて困っています。」

「そ、そうですか・・・?」

「私たち日本研修生34人は、全員が早く日本に戻りたいと思っているんですよ。」

「えー?ほんとに?(笑)あのね、今は日本から戻ったばかりだから、色々考えるでしょうけど、小さい頃から中国に住んでいたんだから、少し時間が経ったら、また元の感覚に戻って、あまり気にならなくなると思いますよ。」

「先生!」

「はい。」

先生は中国で生活していて大丈夫ですか?

自分の異文化ショックをふまえた上で私に向けられた一言が、とても嬉しい。

彼女も私もちょうど1年間、自国に一度も帰らずに働いてきたわけで、
その共通体験の重みを想う。

一緒に食事に行く途中、「ほら、道にごみが落ちていて汚い」と指差し、ついてきた友人の学生が、「なんで中国人なのに、あんたは帰ってきてから中国の悪口ばっかり言ってるのさ!」としまいには怒り出す。

まあまあ、中国は経済発展中ですから。これからきっと日本のようにきれいになると思いますよ。

といさめ、

私も日本に帰ったら日本の悪いところばかり見えるようになるのかもね・・・と首をかしげて笑われる。

しかし批判は止まらない。

「日本の大学生は自由で、自立していて、すばらしいです。中国の大学生は勉強ばかりしていて、やることが少なすぎます。バイトもしない、サークル活動もしない、旅行も行かない・・・」

「いやいや、私は日本の大学生はもうちょっと中国の学生のように勉強したほうがいいと思いますよ。中国の外国語学部の学生は朝早くから夜の10時まで学校で勉強しているから、2年ぐらいで、話せるようになるでしょう、でも日本の学生は、私のように英文科を卒業しても話せないでしょ。」

となだめると、

「夜の10時じゃなくて、深夜2時くらいが普通です。寮の消灯後も、手元を照らす電気で勉強します。」と、若干誇らしげ。「でも、中国の学生はまじめすぎます!」

「それはそうかも・・・。見ていて、時々かわいそうになります」と、最近苦心している1年生の授業を思う私。

でもね、日本にいた時は、日本の嫌なところだってたくさん目についたでしょう?

と水をむけると、

大きく頷く。

隣の芝生は青く見えるって言ってね、云々。と、いかにも先生っぽい事を述べてみた後で、
「ふふふ、でも、どんなところが嫌だと思った?
私はたぶん日本に帰ったら、日本のテレビや新聞が同じニュースばかり大きくとりあげるのが嫌だと思うかも…」と問いかけると、

答えは一言、

「日本の嫌な面は、日本の男性」

日本の男性は、女性の荷物を持ったりドアを開けたりしないし、奥さんにも威張ります。

ふ~む・・・

私を待っていたのは

2007年12月28日 | 日中関係
そんなこんなで・・・

昨日の夜の便の飛行機で貴州に帰ってまいりました。

ほとんど休んでいなかったので、さすがに朝起きるのが辛かった。しかし予定通り、朝から会話の試験を開始。

2人1組で、一人づつクジ引きで会話テーマを与え、カセットテープを回す。
その場では、点数をつけるよりも誤用をメモしながら聞き、終わってテープを止めるたびにフィードバックしていく。成績をつけるための試験ではなくて、試験という機会を利用して個別指導する胸算用。60人に個別指導で、4時間強。2人を組にさせるのは、1人ずつ試験するよりは楽で有益だった。1人だったら落とすしかないような学生も、相手の学生がうまく誘導してなんとかしゃべれるし、私の誤用解説指導も2人で確認しあって学んでいた。

夕方、さすがに疲れたので寝よう…と思ったら、

外国人教師と留学生の窓口の部署が、新年のお祝いのパーティー(って忘年会だと思うんだけど)を開いてくれたので、夕食は円卓を回す。なにやらあやしい英語とあやしい中国語をごたまぜにして話したり、普段は雲の上の人のような校長先生がやって来て乾杯したり。

帰宅して、やれやれともかく今日は試験をやり終えてよかった…
と思ったら、3年生から電話が入り
「先生、クラス全員のレポートをあつめました。いつ持って行きますか」
ご、ごくろうさま…。もう夜遅いから明日でいいですよ・・・。

もう寝てしまおう…と思って風呂に入って出ると、

相棒の同僚教師から「先生の部屋の近くにいるんだけど、ご連絡があるから、ちょっとお部屋に寄ってもいい?」と電話が。彼女とは日々育んだ愛と友情と尊敬と看病の恩で結ばれている仲なので、もちろんいつでも歓迎。
たとえ試験の成績書類作成の話でも、出張みやげを手渡して、にこにこ聞く。
彼女、福田首相が中国を訪問して、日中関係がよくなりそうと目をきらきらさせて喜んで話した。
「日本語学部の雰囲気が明るくなります!日本との経済協力が深まれば、学生たちは日本語を勉強する意義を感じられます!

昨日まで北京で関係者らから、
首相が訪中するから仕事が大変だよ、わしら…的な話しか聞いていなかったので、そんなに喜んで反応してくれてる中国人がいてよかった。うんうん。出張から帰ってきて、君の愛と友情と希望の笑顔が待っていてくれて嬉しいよ。

それから彼女は最後にこう言って、満面の笑みで去っていった。

「そうそう、先生、明日は土曜日ですが、1月1日に休む分の振り替え授業があります」

どどーん。






表現の扉をノックする

2007年12月06日 | 日中関係

写真は詩のサークルが漢詩を展示しているところ。

午前10時~12時
3年生の作文の授業もいよいよ佳境で、レポートでの引用の仕方をたたき込む。2時間の授業の後半は、最近やっと開館した日本語文献図書館に全員連れて行って資料の探し方の実習、巡回指導。この半期の授業では色々と教えたが、引用は形式をしっかりしないと剽窃になること、剽窃は犯罪同然だということが分かってもらえればそれだけでもいいかなと思う。夏に数多く見せられた、剽窃やインターネットのコピーからなる卒業論文はもう見たくない。それで、私のレポート課題ではインターネットを参考資料として認めないことにする。

日本人のおじさんたちから「あんた国文科じゃなくて英文科出て日本語教師やってるの?」と鼻で笑われることもあるのだが、実は、4年間英語で英語を教わったことは国文科を出るよりも日本語教師として役に立っている気がしていて、折に触れ、かつての恩師たちの授業内容を思い出している。今期の授業でも、英国人の先生から英語でアカデミックライティングの基本を教わった経験が役に立った。それに院生時代の指導教官の厳しい指導。そうは言っても、今、レポート指導をしている私をかつての指導教官が知ったら、あの引用に不備のある論文を書いた人が?と鼻で笑われそうなのであるが…。

午後3時
2年生が作文コンクールに応募するとかで、中日友好(中国にあっては「日中友好」ではなく「中日友好」と言ってあげてください)をテーマにした作文を見せに来た。時間をかけて本人に言葉を選ばせながら朱字をいれる。
彼女は「憤怒青年」の話をしてくれた。
「憤青」とは排他的ナショナリズムの青年たちのこと。
「憤青はインターネットにはたくさんいますが、私は憤青に実際に会ったことがないのでよく知りませんが、文化祭で浴衣を着ていたら、日本人の真似をするべきではないと非難する人がいました」
ほほう、と対日感情について色々と話を聞いてみると、
「高校のとき友達とチャットをしていて、日本語学部を志望したと伝えると、
(;_ _)
という顔の返事でした。でも、その友達は、日本のドラマや音楽が大好きなんですよ、おかしいです!」ふむふむ。他にはどんなことがあるの。「ふるさとには、横断幕に日本の商品を買うな使うなという文が書かれました。でも、皆そう言いながら日本製のMP3とか車とか使ってます。おかしいです!」ははあ。
日本についてよく知りもしないし理解しようともしないで一方的に嫌うのはおかしい、だから日本語を専攻する学生として、彼らの認識を正していきたいんですという主張。
おお、怒れる青年。
いやあ、実はね、日本にも憤青がいるんですよ…と言うと、ほんとですか?!と、驚いた顔。うん、彼らも中国や外国を嫌っています。主にインターネットで意見を主張する人たちなので、私も直接知りませんが…と教えると、同じですねと破顔一笑。
日本語学部に入学したら、周りに日本が好きな人ばかりで嬉しかった、というのはなによりなにより。
将来は雑誌の編集者になって、日本語、英語、韓国語の三ヶ国語の翻訳もやりたいのだという。私は過去に会った雑誌編集者や翻訳者たちの顔を何人か思い浮かべながら、目の前の若い彼女の顔を見て、うん、この子ならきっと…と思う。

そっか、普段は日本が嫌われているというのは感じたことがなかったけど、民族の多様性を許容する大国だけあって、いるところにはいるってことかな…。あるいは一部にイデオロギーはあっても、目の前にいる日本人個々人を敵視する人はいないってことなんだろうな…と思う。

夜10時
市街地での食事会から戻ると、学校新聞の原稿を書き始める。
依頼された内容は、先日の文化祭についてで、今朝までは、がんばったわね、楽しかったわよ、うふふ程度の賞賛ですまそうという腹積もりだったが、昼の話を聞いたからには、自分なりに今までの自分があるからこそ書くことができるような、文化とは国際交流とは中日の相互理解とは…という内容を、政治家がお題目を唱えるのとは違うやりかたで学生たちに向けて書きはじめる。

むろん、難しい事を簡単な言葉で書くのは難しい事を書くよりも難しい。

表現の浜辺へようこそ。



元祖と本舗

2007年11月02日 | 日中関係

最近変化したと感じる自分の視点の一つは、take sides with Chinese culture!

よその国での日本文化イベントの記事で「日本の文化」と称して、習字を紹介しているのを見ると、

ちがーう、それは、日本文化じゃなくて中国文化だってば。

と声を大にして言いたい。

他にも、「扇子」「囲碁」「将棋」「ヨーヨー」「凧あげ」「デンデン太鼓」「コマ回し」など、日本文化として紹介しがちだけど、実は元々は中国文化で、現代でも中国人たちが自国の文化だと思っているものが色々ある。

今日、授業中に見せたDVDに
「サンパウロのこの学校では、ソロバンなど、日本の文化も教えています」
というナレーションが入っていたのだが、
学生から、
「ソロバンは中国の文化です!」
と怒られてしまった。(そろばん=算盤suan pan)

ごめんよ…


青岩と周恩来

2007年10月28日 | 日中関係

今日は2年生と一緒に、バスに乗って観光地青岩に行った。
最近の環境政策のひとつで「ゴミ拾いボランティア」をしに行ったのだが、学生たちは買い物や買い食いを楽しんだり、私を相手に日本語会話の実践練習をしたり、天気もポカポカしてるし、すっかり秋の遠足ムード。私も、授業中には窺い知れない学生たちの特技や個性をたくさん発見し、色々な事を教わり、すごく楽しかった。

「周恩来の父が住んでいた家」という記念館に連れて行ってくれた学生が、周恩来は私が一番尊敬する人です。周恩来は日本に留学しました。上野公園に記念の桜を植えました。私は将来、周恩来のようになりたい。と、語った。

上野公園に、周恩来が桜を植えたことを知っている日本人はどれくらいいるのだろう…?○○首相のようになりたいと語る日本人の学生は…

AllAbout 中国語>読んでみよう!周恩来総理のスピーチ