昨年は
日中文化スポーツ交流年で、ポスターがこれ。
北京であまっているのをもらってきて、研究室の窓の内側から貼った。
なんとなく、オリに入っているような抑圧感がぬぐいきれないが、意図は無い。
(我ながら皮肉がきいているなと思うけど。)
今年は
中日青少年友好交流年で、都市部では青少年が行き来している。
CRI中国国際放送局 http://japanese.cri.cn/index.htm
「交流」という言葉には「社交」に近いしらじらしさがつきまとっていると感じるのは私だけだろうか。
だけど、高校生や大学生が実際に相手の国に行って対面するのは、そういう優等生的なしらじさしさではなく、なまなましい「体験」として価値があると思う。
そして中国語の「交流」は「お付き合い」や「コミュニケートする」というようなもっと広義の言葉なのだ。(だから、「私は先生と交流したいです!」「先生は英語で交流できますか?」というような妙な日本語を聞くはめになる)
今日のオフィスアワーには、1年間の日本生活から帰ってきた学生が話しに来た。
この大学では毎年何十人もの学生が、JNTOとJTBが企画するインターンという名の出稼ぎ労働に参加して、日本のホテル・旅館での仕事を1年間たっぷり体験して帰ってくる。
彼女は開口一番、「早く日本に戻りたいです。日本で働いていたときは早く中国に帰りたいと思ったけれど…。日本人と話したくなって先生のところに来ました」という。
どうしてまた、と聞くと、
「中国人は声が大きくてうるさいと思います。それに中国は汚い!」などと言う。
思わず笑って聞き返す。
帰国して約2週間目というから、まさに異文化適応論の“re-entry shock”の真っ只中にいるもよう。
彼女いわく、
「中国のレストランの従業員はマナーが悪すぎます!どうして物を投げてよこすの?
それにトイレ。トイレに紙がなくて汚いのが耐えられない!」。
本気で困惑をあらわにするので、
そ、そういえば私も最初のうちはそう感じましたけど・・・。
と答えるしかない。
「中国には物が少なすぎます。必要な物が全然無い。化粧品だって本物の日本製の物が無くて困っています。」
「そ、そうですか・・・?」
「私たち日本研修生34人は、全員が早く日本に戻りたいと思っているんですよ。」
「えー?ほんとに?(笑)あのね、今は日本から戻ったばかりだから、色々考えるでしょうけど、小さい頃から中国に住んでいたんだから、少し時間が経ったら、また元の感覚に戻って、あまり気にならなくなると思いますよ。」
「先生!」
「はい。」
「
先生は中国で生活していて大丈夫ですか?」
自分の異文化ショックをふまえた上で私に向けられた一言が、とても嬉しい。
彼女も私もちょうど1年間、自国に一度も帰らずに働いてきたわけで、
その共通体験の重みを想う。
一緒に食事に行く途中、「ほら、道にごみが落ちていて汚い」と指差し、ついてきた友人の学生が、「なんで中国人なのに、あんたは帰ってきてから中国の悪口ばっかり言ってるのさ!」としまいには怒り出す。
まあまあ、中国は経済発展中ですから。これからきっと日本のようにきれいになると思いますよ。
といさめ、
私も日本に帰ったら日本の悪いところばかり見えるようになるのかもね・・・と首をかしげて笑われる。
しかし批判は止まらない。
「日本の大学生は自由で、自立していて、すばらしいです。中国の大学生は勉強ばかりしていて、やることが少なすぎます。バイトもしない、サークル活動もしない、旅行も行かない・・・」
「いやいや、私は日本の大学生はもうちょっと中国の学生のように勉強したほうがいいと思いますよ。中国の外国語学部の学生は朝早くから夜の10時まで学校で勉強しているから、2年ぐらいで、話せるようになるでしょう、でも日本の学生は、私のように英文科を卒業しても話せないでしょ。」
となだめると、
「夜の10時じゃなくて、深夜2時くらいが普通です。寮の消灯後も、手元を照らす電気で勉強します。」と、若干誇らしげ。「でも、中国の学生はまじめすぎます!」
「それはそうかも・・・。見ていて、時々かわいそうになります」と、最近苦心している1年生の授業を思う私。
でもね、日本にいた時は、日本の嫌なところだってたくさん目についたでしょう?
と水をむけると、
大きく頷く。
隣の芝生は青く見えるって言ってね、云々。と、いかにも先生っぽい事を述べてみた後で、
「ふふふ、でも、どんなところが嫌だと思った?
私はたぶん日本に帰ったら、日本のテレビや新聞が同じニュースばかり大きくとりあげるのが嫌だと思うかも…」と問いかけると、
答えは一言、
「日本の嫌な面は、日本の男性」
日本の男性は、女性の荷物を持ったりドアを開けたりしないし、奥さんにも威張ります。
ふ~む・・・