中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

中国への思い

2009年03月14日 | Weblog

わかったような気になって、わかったような事を言いたくない。
と前回書いた。

そういえば、広州で出会った日本人のおじいちゃん(推定年齢70歳)は、やたらとなれなれしくてスケベで、広州の大学の日本語学部の女の子に手あたりしだいに声をかけて街に遊びに連れて行ってもらい、日本人に対しては、いつも中国への訪問回数を自慢していて、中国通ぶって中国の悪口ばかり言っていた。
ああ思い出しても腹が立つ。なにしに来たんだか。ああいう人には日中友好のためにビザを発行しないほうがいいのではないでしょうか。

私は中国をわかったような事を言いたくないが、
旅行や留学で一時滞在を繰り返しているだけでしょっちゅう日本に戻ってしまう人や、
中国人の中で暮らし中国人の中で働いた経験がない人には決して解らないであろう、という思いをたくさんしてるぞ、と思うのである。変な矜持ではあるのだが。

規則とはいえ、日本に帰ってはいけない期間が2年間というのはやはり長かったようだ。

もともと中国を好きでも嫌いでもなく興味すらさほどなかったので、
仕事が縁の「お見合い結婚」のようなものだ。
1年目は意外にいいところをたくさん発見して得したような気分になった。
2年目になるといやなところがたくさん目につくようになった。
倦怠期である。

しかし、私は中国の事はぜったいに軽々しく悪く言いたくない、と思っている。
2年もべったり一緒に暮らしていれば、
んもーあなたったら、いつもそうなんだから~ぶつぶつ。
と呟くことも多々ある。
それで自分が内心(うちのひとってこういうしょうがないところがあるのよねー)と思うのはいいけれど、他人にそれを指摘されると腹が立つというのはすでに中国という国がわたしにとって家族のような存在になっているのだろう。

今の周囲の人たちやこの仕事は大好きだけど、正直言ってこの国は色々な面で好きじゃないところがたくさんあるので、複雑な感じだ。

倦怠期のまま日本に引っ込んで、そのままずっと日本でぼんやりするのもしゃくなので…

というのだけが理由ではないが、

上海の大学から声がかかったので、4月半ばからはまた中国で働き続けることにした。
でも契約期間は決めていないし、
中国にいる限り非常勤の外人先生でしかないので、
日本でどこか雇ってくれる大学がないかなー。


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