中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

下を向いて歩こう

2006年10月14日 | Weblog
またテープおこし原稿のリライトをしたが、今回の原稿はひとあじ違った。
カタログハウス取締役の講演で、ベタなテープおこし原稿でも十分に読むにたえる。
つまり彼女の話がそれほど上手いということで、どうして上手く感じるのかと考えながら読んでいた。
・一文が短い…よく言われる上手い話し手の特徴。
・一文が長くても、シンタクスや文節構造がシンプルでわかりやすい。
・文と文のつながりを示す言葉が明確で正確なので、話の流れがとらえやすい。
・トピックの最初にパラドキシカルなことや意外性のあることを言って、聴衆を自分の説明にひきこむ。
・極端な暗喩や提喩を使う。それによって聴衆の理解をうながす。話を印象的にする。または笑いをとる。
・文章では書かないような本音や裏話をずばりと言って、直に話を聞きに来た聴衆に親近感やお得感を与える。

意外性のある言葉は例えば「下を向いて歩こう」というのが社の方針だということ。
いわく、「絶対に一部上場はしない」。
もっと会社を大きく、もっとシェアを拡大して、もっと売り上げをあげて…という一般常識的な会社のあり方のアンチテーゼだ。エコロジーと顧客満足を第一に考えるとそうなったのだという。
そんな会社があるんだなと感心した。

そういえば私たちの世界は、もっと大きく、もっと上に、もっと豊かにしていくのを目標にすることを誰も疑わない。自分よりも大きな存在、先を行く存在が見えれば、それに追いつくように頑張り、肩を並べて満足するかと思えばもっと上を目指す。アメリカに追いつけ追い越せで進んだ高度経済成長、東アジアの経済発展、数年前のインドとパキスタンの核実験。国のエリートたちは、自分達が自らの社会の中で登りつめたように今度は他国と競争していく。
北朝鮮の外交官が満足そうに「これで北朝鮮の技術力は他国と並んだ」とコメントするのも、同じ精神性として理解できないことはない。

思えば19世紀の大英帝国やプロシアも、もっと大きく、もっと強く、もっと豊かにと領土と戦力を拡大していった。いわゆる進歩史観。進歩史観は、21世紀の現代も根強く残っていると思う。経済成長や開発主義に名をかえて。
そして、大部分の人々が単純な勧善懲悪と二項対立の論理に同意する。

けれどもしその論理にひきずられて「もっと強く」と暴力を容認するならば、やることは19世紀帝国主義国家となんら変わりがなくなる。
なぜなら、歴史上、国家間の暴力で「防衛のための暴力」というのは、存在しないからだ。
愛する人を守るための暴力は、暴力を受ける人を愛する人を侵害する、つまるところ単なる暴力だ。
外交は西部劇ではない。

最上川

2006年10月07日 | Weblog
今日の芭蕉さん:五月雨をあつめて早し最上川

ずっと勝手な想像で、芭蕉さんは川を岸辺から眺めてこの句を詠んだのかと思っていた。昼間歩きながら見た最上川の激流を、夜に宿で思い出しながらひねった句か、はたまた、実際は増水する川を見ていなくても宿にいて最上川がごうごうと流れる音を聞きながら、正座して短冊に筆でさらさらとしたためた句と。

ところがそれは私の勝手なイメージだった。
芭蕉さんは「恐ろしい難所」最上川を小舟で下ったのだ。
「川の左右が山で、まるで茂みの中の舟下り」で、「水みなぎって舟あやうし」と言いながらラフティングをした芭蕉さん。アドベンチャラスな一句。
文字どおり、年寄りの冷や水なのか。