中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

ロールプレイ

2007年11月29日 | Weblog

日本語教育でロールプレイといえば、実際の場面でこれってどう言えばいいのさ?と気付くことができる会話練習パターンのこと。

臨床心理学で(って、よく知らないけれど)ロールプレイといえば、関係に問題のある相手の役割を演じることによって自分の硬直した役割と視点をはずし、相手の立場を理解するセラピー。

ゲームでいえば、役割の違うキャラを動かして戦って、こつこつ経験値をあげて、お金を稼いで武装してレベルアップしてめでたしめでたしのストーリー。(ストーリーはファンタジーだけど、やることは妙に現実的だな)

自分はそんなに組織人間になっているとは思っていなかったのだけど、教師をやっていると、上司の目も同僚の目もないので、会社と比べて自由だなと思う反面、私これでよいのかしらん、と「常に目線が上」の自分のありように不安を感じるときがある。上司の目が必要になるときがある。
しかも、先生口調は癖になりやすい。
学生ではない人と話していて、おっと、今、先生口調だった、と気付く時、自分にどっきりする。

最近、この不安を解消できる方法を一つ見つけた。
中国語留学生クラスに毎日のように出ること。
中国語ネイティブ教師は2人とも自分よりも5歳以上も年下の女性なのだが、良いところも下手なところも含めて丸ごと私にとってすばらしい先生なのである。
今週は毎日のように、自分の授業を2時間終えたら、すぐに中国語のクラスに駆けつけて2時間学生をやっていた。
それは中国語ですよ、と学生を笑った2時間後に、
先生から、それは日本語?と笑われる。
次回の宿題はこれをやってきてね、と学生に言った2時間後に、
ここは先週の宿題だったんですよと先生に言われる。
うぬ~。くうう~。先生、すみません、わたしがんばります~。


グリーン先生

2007年11月28日 | Weblog

手元に無いので正確かどうか分からないが、現行版の東京書籍『New Horizon』、中学1年生用英語教科書の冒頭には、緑の服を着た女性ネイティブ教師が登場する。その名もグリーン先生。
グリーン先生は教室で挨拶をし、生徒が英語で質問をするのに答える。

はじめまして。
家族は何人ですか?…4人です。
兄弟はいますか?…はい、います。
趣味は何ですか?…スキーです。
車を運転できますか?…はい、できます。
日本語ができますか?…すこし

1年生の授業が始まって1ヶ月少し経ち、あいさつ以上の日本語ができるようになったので、授業見学に招かれた。
1年生は1クラス30人で2クラスあり、若手教師2人が受け持っている。
そこで私が登場したわけだが、やりながら、いま私、グリーン先生をやってるな~と思った。質問と応答の内容が、英語と日本語の違いだけで、全く同じ…。

これで着任後、合計7人の若手教師の授業を見学させてもらったことになるが、人それぞれの良さがあって面白い。自分の授業を他の教師に見せるのはやりにくいものなので、よくぞ招いてくれたと嬉しく思う。さらに授業後に、私の授業で足りないことはありませんでしたか?などと聞かれると、学ぼうという謙虚な姿勢に頭が下がる。私のほうが教師としての経験が浅いのに、日本語ネイティブだっていうだけで偉そうに指摘して申し訳ないと思いながらいつもコメントしている。

さて。これで路上で挨拶する学生がさらに60人増えたということか。


凱里再訪

2007年11月24日 | その他の観光地

凱里は観光政策のため道にごみひとつ落ちていないきれいな街。

司会ボランティアをしたごほうびに、日本の団体さんの旅行に紛れて連れて行ってもらった。

南花村再訪。村に入る橋。



橋をわたる。



南花村の踊り、冬服バージョン。



最初と最後しか踊りの演目がないお母さんたち。
出番まで座って刺繍をしている。




日本人団体観光客は、買い物で交渉している時間の余裕がないし、お土産にいくつもまとめ買いするし、一人が買うと、つられて皆買うし、まさにカモネギのようだ。

ちょっとちょっと通訳してよ!と呼ばれて行ってみる。
観光客>私 「どうしてもこれが欲しくって。ジェスチャーで示して、やっと見つけたのよ!いくらか聞いて!」
私>店主 「いくら?」
店主 「460」
私>観光客 「460だそうです」
観光客 「460って日本円で、えーっと(計算)…高いわね」
私>店主 「安くならないの?」
店主 「…(首を振る)」
観光客 「いいわ、むりむり。もうバスの時間だから行きましょ」(と立去ろうとする。)
私>客 「いくらなら買うんですか」
客 「え?いいわよ、高いわよ…もう行かなきゃ」
私>店主 「どうしてそんなに高いのさ!」
私>立ち去ろうとする客 「で、いくらなら買うんですか?100?200?」
客 「ひゃ、100ぐらいなら…」
私>店主 「100!」
店主 「100はむりだよ…」(たしかに本当に100以上しそう)
私>店主 「200!」
店主 「うん、いいよ」
私>客 「200でどうですか」
客 「200なら」(と財布を出して200を出そうとする)
私>店主 「160!」
店主 「だめ」
私 「180でどう、いいでしょ」
店主 「いいよ」
私 「180だそうです」
客 「ええ!?あ、はい。」

とこんな感じで、日本人がボラれるのも見ていられないし、少数民族のハンディクラフト販売にも援助してあげたいしで、気がつけば双方にとってちょうどいい利益を考えて交渉していた。


帰り際に、団体さんたちから、日本から持ってきた食料物資…カップラーメンやおせんべいや梅干…をいただく。私への草の根無償援助ありがとうごぜえますだ~。

Thanksgiving

2007年11月23日 | Weblog

昨日の夜、帰るとドアにかわいいカードが挟まれていた。


見ると、「この特別な祝日、おめでとうございます。先生の教えていただいて、とうもありがとうございます(原文ママ)」と2年生の女の子から。


はて、中国の何かの祝日だったんだろうか?と、いぶかしんでいたら、今日の休み時間に学生から、サンクスギビング・デイだから感謝のカードを送ったのだと聞く。そういえば、日本も勤労感謝の日だったっけ…。


先生の勤労に感謝いたします。と、面と向かって言われてしまった。


どういたしまして!ありがとう!


(勤労感謝の日に、本当に人から勤労を感謝されたのは生まれて初めて・・・)


 



司会

2007年11月22日 | Weblog

社会人デビューして以来、まさかこんな所でこんな事をしている自分なんて数年前には想像だにしなかったよ…ということの連続なのだけど、
自分が中国で麻雀大会の司会をやっているなんて、数年前には想像もつかなかった。

久しぶりに日本式の宴会に出たら、
いつもは、中国人との宴会でせわしなくカンペイをするのは落ち着かなくていやだ…と思っていたのに、日本人たちがカンペイをしないのが冷淡なように感じてしまった。
慣れというものはおそろしい。

いつまでも慣れないのは中国人の声のでかさ。
ぜったい高周波を発してると思う。
マイクを通して中国語を聴くと、いつも耳が痛くなる。

そして案内された座席。



まさか自分が工作人員になるなんて、数年前には想像だに…

距離が近い

2007年11月21日 | Weblog

夜8時に遅い晩御飯を食べに、この秋に学食内にオープンした喫茶店に行った。

声をかけられて気付いて見ると、植木を隔てて隣に座って勉強していた二人は、私が教えている学生だった。
短い会話を交わした後、学生たちはまた黙々と勉強を続け、
私は私で、カレーを食べ終え、コーヒーを飲みながら、
赤ペンを手に黙々と明日の授業準備をする。
この状況はなんだか面白いな~と思う。

学生たちが全員学内の寮住まいで、私も学内の宿舎住まいだから、距離が近い。
歩いていると知っている学生たちが笑顔で挨拶してくれる。
常日頃なるべく自然なシチュエーションで日本語会話の機会を作ってあげたいと思っているので、挨拶をしたら必ず一言二言話すようにしている。
そんなわけで、構内を50メートル歩いているだけで、だれかと出会って話をし、時には果物をもらったり、お菓子をもらったりして、なにやら、わらしべ長者のような出会いと別れのストーリーが展開され…。

同僚の先生たちも学内の宿舎か、大学に隣接するマンションに住んでいる人が多い。いわゆる「スープの冷めない距離」なので、昼休みにおにぎりを作ったら、おすそわけに温かいうちに届けたりしたこともある。お皿や鍋をかかえて大学内を往来する変な日本人教師…。

この距離の近さと、職住一致の生活は、東京近郊ベッドタウン生活に慣れている身にはめんどうかな…と予想していたが、来てみると、ものすごく快適。
行きつけのお店が増えていき、皆が満面の笑みで「老師(先生)、ニーハオ」と迎えてくれる。
最近は店員さんたちと簡単な中国語を使って冗談を言い合うのが楽しみの一つ。
それで、おまけしてくれたり、割引してくれたりすることも多い。
学生がバイトしている喫茶店では、店長からおごられてばかりいて、恐縮だ。
この地では珍しい外国人ならではの特権とはいえ、ここの人たちは皆やさしいと思う。
なんて快適な生活…
ここの仕事が終わってからも、どこかの大学内に住みたいな…なんて思ってしまう。

貴州語、貴州人

2007年11月20日 | ことば

↑学内でよく見かける「普通話(標準語)を話しましょう」看板。


 これまでに理解できた貴州語一覧。


日本語=中国語[普通話の発音]…貴州語の発音


無い= 没有 [メイヨウ]…めで!


少し= 一点アー [イーディア~]…でぃでぃご


あの= 那ガ [ネイガ]…あご~


 行きますか?= 去不去 [チュープチュー?]…けぷけ?


 いくら?=多少銭? [ドーシャオチェン?]…はおどーしゃお?


つくづく貴州語って外国人泣かせの謎の言語だわ…。


しかも貴州の南部と北部では全然言葉が違うらしいし。


「貴州南部出身の○○さんが電話で故郷のお母さんと話している時、私は、今、日本語を話していますか?と言うぐらい聴き取れないです」「私は貴州省出身ですが、貴州省北部出身の△△さんが同郷の友人と話しているとき、意味が分からないですよ」などと、学生たちが立派な日本語で説明してくれた。南北の違い以外にも、都市ごとに違いがあり、貴陽弁もあれば遵義弁もある。


さらに少数民族出身の場合、民族語も使っているから、幼い頃から、TVや新聞の普通話&地域の方言&民族語の3言語使用があたりまえの世界ってこと?


じゃ、そこに日本語や英語が加わったところで、日本人が英語に対して身構えるようには誰も身構えず、物怖じしないのかも・・・。


 


ところで、先日の日曜日は久々に日本語を一日中使わないで街で中国語の実践練習ができる貴重な日だった。


今までは二言目には「どこの国の人?」と外国人なのがバレバレだったのだが、・・・日本人と言っても嫌な顔をされたことが一度も無く、皆大喜びしてくれるのでバレてもいいのだけど・・・先日は、初めて、タクシーの運転手にもデパートのお姉さんにも商店街のおばちゃんにも、


あなた、貴州人じゃないよね?福建の人?広州の人?」


と聞かれた。


やった~!私の中国語って、勉強してないけど自然に上達したのね!少なくとも中国人に間違われるほどのレベルに達したのね!(店のおじさんはなぜか「あんたイギリス人?」って聞いてきたけど)・・・と、るんるん気分で帰宅。


でもって、今週1週間ぶりに中国語の授業に出てみると、基本単語の四声を間違えて先生にまったく理解してもらえなかった・・・。自分を利口と思ってしまった、おばかなあたし。


ま、三歩進んで二歩下がるっていうのが外国語習得のだいごみってことね。そういうことにしておくわ。



あんま(アンモー)

2007年11月15日 | Weblog

中国生活の楽しみの一つ、盲人按摩(マンレンアンモー)。

日本も昔は「あんまさん」と言えば「めくらあんま」=盲人だった。現代では差別語扱いされていたりして、たぶん今も多くの方が活躍していらっしゃるのかもしれないのだが、こちらのように看板を掲げてはいないと思う。こちらでは数多くの盲人按摩さんたちが、看板掲げ、商売繁盛、がんばっています。

北京では1回100元が相場だったが、貴陽では1回20元。
20元はだいたい大学にあるレストランの夕飯1~2回分の料金なので、疲れたときは歩いて10分のこの按摩に行きます。ツボ押し、効きます。

干杯(カンペイ)!

2007年11月14日 | Weblog

日本の旅館やホテルに働きに行く3年生26人の送別会があった。

中国式の乾杯(干杯)は、
立ち上がって「カンペイ!(干杯)」と言ったら、本当に杯を干すのがマナー。
ロシア人がウォッカをカパッと飲み干す、あれと同じ。
全員で一回やって10分もしたら、あちこちで個々人が立ち上がって、互いに干杯をする。先生のところには学生たちが交替で次々とやって来る。立ったり座ったり忙しくて、しかもその都度イッキ飲みするから酔うんですけど…

祝大家在日本工作順利。祝大家身体健康!日本でのお仕事が順調にいきますように。みなさんの健康をお祈りします。(あ~こういう時に使う中国語ばかりが偏って上達していくような)








顔を出す

2007年11月12日 | Weblog


オフィスアワーに学生の質問に答えていると、外に教職員が集まっていた。窓越しに「なにしてるのー?」と顔見知りの職員に声をかけると、「今週木曜日にやる運動会の体操の練習だよー」と言う。今度は運動会ですか…

さっそく体操練習に飛び入り参加してみた。
日本のラジオ体操よりもちょっと複雑でおもしろい。

体操の練習が終わると、その場にいた上司2人から合計3つの仕事を頼まれた。どれも今週中のもので急ぎだが、それほど負担でもないし、意義のある仕事なので喜んで引き受ける。
一緒に参加していたアメリカ人教師も、どうやら同じような状況だったらしい。「オーマイガッ」と言って、いそいそと自分の研究室に消えていった。

もしここに飛び入り参加しなければ、一体いつこれらの仕事の連絡が来たのだろうかと少し考える。
担当教師と連絡係教師と事務方と、誰が外国人教師に通達するかという責任の所在はたいてい曖昧なので、自分から積極的に顔を出して自分の存在を思い出させないと、仕事の見通しがたたなくなってしまうような気がする。中国国内の他の学校で教師をしている仲間もそういう経験が多いようだが、その曖昧さは共通の特徴なのだろか?

よく分からないけれど、でも、顔を出さない→ますます連絡がぎりぎりまで来なくなる→いらいらしたり不信感をもつ、もしくは、仕事が思ったようにできなくなる→不機嫌になられると面倒なので、もしくは、仕事をしっかりやってくれないと思われて、連絡が少なくなる→顔を出さなくなる→連絡がぎりぎりまで…の負のスパイラルは避けたいものだ。

「顔を出す」なんて生易しいものではなく「首をつっこむ」ぐらいでちょうどいいのかもしれない、というのが実働半年間の感触なのだが…。今度、北京で先輩ネイティブ教師たちに経験や意見を聞いてみたいものだ。

文化祭総括

2007年11月10日 | Weblog

同僚の2人は、それぞれ別の研修プログラムを受けるために、文化祭最終日には日本へ出立した。10日くらいで帰ってくるのだが、文化祭の合間に荷造りやお土産の買い物などで忙しく動いていた。そんな中でも、文化祭で不測の事態が次々発生すると、学生たちにビシバシと電話指令を出して対処していた。模擬店や担当の催しにも参加していたし、私へのフォローもきっちりやってくれていた。私も、夜会リハーサル中の待ち時間などに、日本に持って行く原稿のチェックや発音指導をしたり、前日に文化祭とは別の仕事を手伝ったりしていたが、主任ら上司はもっと多忙で、徹夜で報告書を書いていたりしたようだ。文化祭中に、遅れて卒論を出した学生への指導をしていた先生もいた。皆、ベテラン編集者のような見事な同時進行仕事。(日本と比較すると)直前まで具体的に動きをかけない癖があるせいなのかもしれないけれど、すばらしい集中力だと思う。本当にお疲れ様でした。

学生たちが模擬店で日本料理を作るが何を作ればいいのか分からないと1週間前に言ってきたので、用意していた写真つきレシピのコピーを共同研究室のパソコンに入れて、好きな物を選ぶように言っておいた。おそらく材料や作り方が分からずにまた相談に来るだろうと思っていたが、4クラスのどこも来ない。きっと前日に泣きついてくるんじゃないかと予想して準備していたが、やっぱり来ない。で、当日、おそるおそる行ってみると、自分たちなりにクリームシチュー、お好み焼き、ポテトコロッケ、カレー、手巻き寿司を作り上げて売っていた。全部食べさせてもらったが、なかなかの出来栄えで、入手できない材料を補う工夫やアレンジもよくやっていた。きっと自分たちで日本語のレシピを解読し、私が作って食べさせたことのある学生や料理の得意な学生が頭を寄せ合ってがんばったんだな、と思う。学生たちの底力に感動した。

浴衣や着物の着付けも、自分ひとりでは量的にも質的にも到底できないので、1ヶ月前から同僚の担当の先生に教え込んで当日はその先生に任せるつもりでいたが、内心どうなることかと思っていた。が、ちょうど日本の旅館やホテルで1年間研修していた4年生たちが帰国してきていたので、彼らが素晴らしい働き振りで着付けをしてくれた。4年生たちに教わったのか、2日目には、これまで浴衣に触ったこともなかったような低学年の学生の何人かも、素早く着付けできるようになっていた。安心した。これで先々も、たとえ日本人の先生がいなくても自分たちで着物を着ることができるだろう…。

夜会では、最後に2年生が浴衣姿で現代風のよさこいを踊った。
非常にかっこよくきまっていて、講堂はわきにわいた。
私も見たことがなかったが、いつの間に練習していたんだろうと思いながら、彼らの踊りに感動の嵐。

大学時代って、きらきら輝いている時代だなーとあらためて思う。
可能性に満ち溢れている彼らがまぶしい。
自分がそんな彼らを見守れる場所にいることがうれしい。
私自身は人生の2回戦か3回戦が終わって、これからどこで何をしようかというところだが、そんな私から見て、希望と可能性で輝いているこの子たちは、これから社会に出てどんな仕事をして、どんな活躍をするのだろう…と思うと、心底わくわくする。






文化祭二日目

2007年11月09日 | Weblog

コスプレ。歌でも踊りでも皆なりきりっぷりが、すごい。いつも感心する。

昨日の講演会では久々にエゴグラムをやった。いつものようにAが一番高いのは変わらなかったが、NPが以前よりもかなり高くなっていた。教師という仕事をしている影響が出ているな~と思う。それはともかく、講演は日本型経営とアメリカ型経営の違いについてだったのだが、個々人では日本人はアメリカ人にかなわないが集団プレーでは勝つ、という話を聞きながら、それを言うなら日本人は中国人に個々人ではかなわないかもな~と思う。中国こそ、いわゆるアメリカ型経営がばっちりはまる社会だと思う。

横の連携プレーは日本人に比べて弱いようなので、「だいじょうぶなのだろうか本当にこれでできるんだろうか、この混乱っぷりは一体…。たのむから口々に大声で主張するのはやめて。日本の秩序が恋しい…」と無言で耐える事も多い。が、彼らが一つの目的に向かって個々人の能力で素早く、時に強引でも何とかしてしまう、その問題解決能力の迫力たるや、ものすごい。人を使ったり人に使われたりする縦の連携プレーが速くて確実だから、イベントの運営は日本人よりはるかに上手い。それを知っているので、今回も周りの人にほとんど任せた。同僚や学生の仕事っぷりを見て、日本人からは学べなさそうなことをたくさん学ぶ。

文化祭一日目

2007年11月08日 | Weblog


日中は式典と講演会のみ。あれれ?日本の学祭とだいぶ違う…

と思っていたら、ハイヤーで迎賓館に向かい、昼間からマオタイ酒をあおって酔っ払う。

尊敬するお客様、尊敬する日本の友人の皆様(中国式のスピーチは尊敬しないと始まらない)のおかげでございます。


他者を発見する

2007年11月07日 | Weblog


授業が思い通りにいっていても、毎回、授業前には教案をにらんで、
本当にこれでいいのか?
こんなんでいいのか?
これで自分は満足か?
今回は準備に時間をかけていないけど、教師として怠慢では?
などと、眉間にしわを寄せて自問自答してしまう。
同一の母語話者集団の学習者に対し、独り、ネイティブ話者として、マイノリティとして、教壇に立つのも実はたいへんなことだし、そこで日本語しか使わないで日本語を教え続けるのは、それなりにシビアな仕事をしているのかもしれない。
うーんアクロバティック。

同じ内容の授業計画で2クラスやるので、2回目にやるクラスがベターなんじゃないかと思っていたが、やってみるとそうでもなく、うまくいったポイントといまいちだったポイントがクラスによって全然違うことが多い。ティーチング・ポートフォリオをつけて振り返っているが、次に何をどう活かせるのかが見えにくい。分析の仕方が問題か、直感的に授業を進めている部分が大きいのか。いつもどこを改善できるのか手探り状態だ。

日本語教師養成用の書籍には、よく、「自己研修型教師」などというジャーゴンが載っている。妙な言葉だ。その、自己研修型教師…ってなぁ、なんだい?熊さん、なんだい、はっつぁん、藪から棒に。決まってるじゃねぇか、自己研修型教師って言やぁ、なんだ、「猫型ロボット」みてぇなもんじゃねえのかい?そうかい、そりゃまた強そうだねぇ。てーしたもんだ。…で、いってぇ何をするんだい?

筆がすべった。

ともかく、自分のインプットをアウトプットにつなげないと面白くない。
ある程度のパターンは決まってきたが、ワンパターンは自分が飽きるのでやりたくない。

どうしてかというと、私自身、学生時代には授業中居眠りばかりしていた学生だったから。(そういえば、ブログのプロフィールに出身校を書く人もめずらしいと思うが、年をとるにつれて、いろいろな面で出身校で受けた教育に感謝することが増えているので載せている。居眠りの日々を含め。)
それで、今、自分の授業で居眠りする学生を一人も見かけないことに、実を言うと「びびって」いる。とても。

最近、作文の授業に、もうちょっと会話の授業の要素を取り入れたいと思った。
3年生は、日本語能力試験1級の受験勉強の日々なので、クラスの雰囲気が少しぎすぎすしてきたし。
それで、授業の後半は、構成的グループエンカウンターの手法を取り入れて、タスクワークを作ってやらせてみた。
面白かった。非常に。
表情が生き生きとして、クラスの雰囲気が明るくなった。皆、クラスメートが自分と異なる価値観を持っていて、それが多様であることに気付き、驚いていた。授業が終わっても話し合う雰囲気が続いていた。話し合いで深まった自分の意見を作文のテーマにして今回の宿題にした。皆、書きたい、という顔をしていた。来週、添削するのが楽しみである。

でも、私、エンカウンターについての知識も無いのに、てきとうに流用してしまった。勉強しなくちゃ~。