中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

JICAの生活費って…

2008年09月21日 | Weblog
最近のアメリカの不景気には頭がいたい。
JICAのボランティアなので、生活費はドル建てでもらっている。
3ヶ月に1度、950ドルぐらい振り込まれる。
が、対ドル人民元が、どんどん高くなっていて大変困る。

前回銀行で、ドル→人民元に両替したら、6738元。
1ヶ月あたりの生活費は2246元になった。
これは、1年前に比べて月334元の減少だ。

<1ヶ月あたりの生活給付金、2007年4月からの推移>
2590元→ 2483元 → 2435元 → 2394元 → 2246元。

実は赴任して以来、ほぼ毎月赤字で、日本円の貯金を切り崩している。
ドルを人民元に換金すると、銀行さんもこの土地が外国人が極めて少なくて慣れていないせいか、なぜか上司の上司までチェックするので毎回2時間ぐらい待たなければならない挙句、たんまり手数料をとられるのも苦痛だ。

いつも思うのだが、中国で生活する日本人に対して日本の組織がドルで振り込みをするなんて、意味不明だと思う。

で、私とて、もちろん、こんなところでぼやいているだけではいられない。

去年から、半年に一回総会がある度に事務所に対して生活給付見直しの声を上げている。
が、北京事務所は本部にお伺いをたてる以外には何もできないそうだ。世界中のJICAボランティアを取り仕切る本部によれば、計算式によって、この金額で十分なのだそうだ。

中国の他の土地で暮らすボランティアたちも赤字ではないと言う人が多いのだそうだ。

それじゃ、いったいなんだって私の生活はこんなに苦しいのだろう?

答え。貴陽市の物価が異常に高いから。

同僚に聞くと、給料が月2500元以下なんて安い!と言う。
そういえば、大学の先生たちはけっこう色々な名目や手当てや副業で稼いでいるし。
貴陽っ子の友人は、「農村なら十分だけど、貴陽で暮らすには安すぎ。私だったら生活できない」と断言していた。

たしかに貴州省は、統計数字上、中国一貧しい省とされている。
でも実は貴陽市は中国の他の都市と比べて決して物価が安いわけではなく、
大連や成都よりも高めだ。
実際、「中国の消費高の上位都市」では5位以内にランクされていて、「小香港」の異名を持つ。

例えば、化粧水1本だって中国メーカーの物を買っても100元以上はするし、
トイレットペーパーだって15元はするし、
中国式の習慣でワリカンにしないで人にごちそうすれば、すぐに100元ぐらいいってしまう。

タクシー初乗り10元で、北京と変わらない。
大連では初乗り8元、成都でもそれくらいだった。
貴州省の貴陽以外の市では6元だった。

貴陽のバス代は今や2元~3元。
対する北京や重慶のバスは、1元。
バスそのものは北京よりもよっぽど古くて危ない代物なのだが。

野菜や果物は確かに安い。なんたって農村に近いから。
しかし安いと言ったって、野菜は果物は元々の単価が5元ぐらいで、それが1元になったところで、お徳感は薄い。
単価の高い物・・・洋服、化粧品、生活雑貨、清潔なレストランの食事、電化製品はすべて北京よりもやや高いぐらいだ。それぐらい物価が高い。はっきり言って暮らしにくい。

この広大な中国で、地域による貧富の差の激しい中で、
一律同じ生活給付というのは納得できない。
たまたま物価の高い土地に派遣されただけなのに…という不公平感がある。

それでもボランティアなんだから最低限の生活費をもらえるだけでもありがたいと思えという論理で納得しなければならないのだろうか。

次の振込みは10月の大型連休の国慶節明け。
国慶節連休はどこにも行けない。お金が無いので

次の振込みではどれぐらい両替後の人民元が目減りするのだろうか…と思うと、金融不安のニュースに気が気ではない。


忙中閑あり

2008年09月13日 | Weblog
新学年が始まって2週間が経った。

夏休み明けで学生たちはだるいんじゃないかと思って、初回の授業はゆるゆるした授業計画を立てて出ていったら、どのクラスもやる気まんまんで圧倒された。

どうやらだるいのは私だけだったようだ。

というわけでいきなり多忙な日々に再突入したのだが。
もらった花をいけてみた。

量が多いので「開く形」。



腕が落ちた…。

2年近く日本の師匠に習っていないから致し方ないとはいえ、ああ腕が。

私に出来るのは、枯れて少なくなった花を生けなおして長生きさせるぐらいなもの。



そんな初秋。



横断幕

2008年09月10日 | Weblog

今日は「教師の日」という祝日だ。
でも、学校は休みにならない。
教師たちが学生たちにねぎらわれる日らしい。
このように中国の教師は尊敬され、大事にされる。
だから、普通にやっていても、なんだかとってもいい先生になったような錯覚をしかねないので、若いうちから中国で先生をやるのはいかがなものか…などと、余計な不安を感じる。

これは、研究室前に今日飾られた横断幕。

親愛なる教師の皆様、教師節おめでとうございます。中秋節おめでとう。

と書いてある。
ついでに5日後の中秋の日までお祝いしている点、合理的である。

しかし、なんでもかんでも赤と白の横断幕だ。きょーさんとーカラーだからだが、お祝いの場合は紅白にも見えるので合理的である。

たまには、浅黄とか茜とか群青とか、カドミウムイエローとかサーモンピンクとかターコイズブルーとかエメラルドグリーンなどにしたいとは思わないのだろうか。

そんなパステルカラーの横断幕が飾られたら、たぶん革命的なことなのかもしれない。

スーパーという異界

2008年09月07日 | Weblog


中国のスーパーマーケットは完全な異界だ。

最初のうちはまだ物見遊山観光客目線だったので、ものめずらしさに笑うことが多かった。

1年経ち外国人生活者目線になると、時々ムッとすることもあった。

1年半経過した今では、「ま、こんなもんだな」と諦めの境地で、倦怠感しか感じなくなった。


日本のスーパーマーケットはどんなんだったっけか?と、思い出してみる。

照明がやたら明るく、常に元気な機械音の音楽が流れていて、物があふれていて、私にとって疲れる場所。

近所のスーパーは、薄暗く、音楽など流れていなくて、もし流れていたとしても、人の声がうるさくてよく聞こえないに違いなくて、それでもなぜか疲れない場所。

比較してみよう。

入り口。

日本スーパー…大手でなければロッカーはなく、あってもコイン式で使用は自由。サービスで冷蔵庫のロッカーもある。

近所スーパー…万引き防止に荷物を預けるロッカーもしくは棚があって、担当のお姉さんに預けずに入ろうとすると入り口監視役の店員に止められる。預けなくてもいい荷物もあるので、「この鞄はいいですか?」と、店員におうかがいをたててから入る。


野菜や卵の購入。

日本スーパー…パックになっていて、選んでかごに入れる。少量買いたい場合、バラで買うか少量パックを探すしかないが、少量パックはたいてい割高である。卵はプラスチックケースに入っている。

近所スーパー…250gいくらか厳密に決められている。パックにはなっていないことがほとんどなので、自分で袋に詰めてハカリ担当の店員に渡し、値段シールを貼ってもらわなければならない。ハカリ担当店員前に熾烈な順番争いが繰り広げられることも多く、時間がかかる。プラスチックケースに入って売っている卵は、味付けや高級品などの特殊なものだけである。


ユニフォーム。

日本スーパー…それと見て分かる揃いのユニフォーム着用は絶対で、他の担当者もエプロンや帽子など、明らかに店員と分かる服装をしている。

近所スーパー…ユニフォームを着ている店員もいるが、なぜか普通にジーパンとTシャツを着て名札だけ付けているおばさん店員もけっこういて、誰が店員なのかよく分からない。


店員にたずねる。

日本スーパー…「~はどこにありますか?」と聞けば、「はい、あちらのあの角に」などと明確な答えが返ってくるか、「こちらです」と先導してくれる。不確かな場合は、「申し訳ございません少々お待ちいただけますか」と言って走り去り、「お客様お待たせいたしました」と言って現れ、ベテラン店員に聞いた結果を生かす。

近所スーパー…「~はどこにありますか?」と聞くと、「あ”あ”?」(貴州弁で「え?何よ?」という意味)とまず恫喝し、「あっちにあるから自分で見てよね!」とあごで指して言うか、堂々と「知らない」と答える。ベテランに聞いて確かな情報を伝える手間をとることは決してない。先導してくれることも、まず、ない。


マネキンさん。

日本スーパー…たいてい食べ物や飲み物などを試食させてくれる。接客は笑顔。商品名などを大声でリピートする時と、客相手に話す時、黙っている時がはっきり分けられる。買わなくても、たたみかけてこない。

近所スーパー…たいていシャンプーや洗剤売り場を見ていると、そこが持ち場のおばさんが、いきなり話しかけてくる。猛スピードの貴州弁なので「標準語を話してください」と呟くと、一応は標準中国語に切り替えてくれるが、大抵なまりが激しい。「私はあなたの言うことが聞き取れない」と言うと、標準語のなまりを恥ずかしがってあきらめ、話しかけるのをやめてマネキン仲間に「あの人は聞き取れないのよ」と後ろ指を差す。または、聞き取れないと言う言葉を無視して商品宣伝文句をつらつらとリピートする。
マネキン同士でおしゃべりに興じている時と、客にたたみかける時とがはっきり分けられる。買わないと、「これ買えばいいでしょう、何を探してるのよ」とたたみかけてくる。すすめられたとおりに買うと、もっと買わせようと、はりきってたたみかけてくる。


商品搬入。

日本のスーパー…客が入っている営業時間内にはあまり派手な搬入は行わない。台車で搬入し陳列台に近づく際は、客を先に通す。客の近くを横切る場合などは「後ろ失礼します」などと言う。もし万が一、客にぶつかったりなどしたら、丁重に謝る。

近所スーパー…営業時間内の、しかも繁忙時間に堂々と派手に搬入する。大きな台車で狭い通路にもがんがん入り、客を押しのける。客の近くを通る場合も、正面から衝突しそうな場合も、何も言わない。そのため、よく客にぶつかるが、ぶつかってもやっぱり何も言わない。痛そうにしていたら謝ってくれるようだ。


品揃え。

日本スーパー…ラインナップが決められていて、売れ筋商品はこまめに補充される。

近所スーパー…品物はそこにある時に買っておかないと、売れ筋商品なら忽然と棚から無くなることがある。しばらく入荷されなかったので、ラインナップから外れたのかと思いきや、ある日唐突に大量に並んでいたりするので、予想がつかない。店員も入荷情報や補充状況を把握していない。


レジ陳列台。

日本スーパー…お菓子や電池やタバコ、季節の商品がずらりと並べられている。

近所スーパー…お菓子や電池やコンドームがずらりと並べられている。さすが計画出産先進国である。


レジ待ち。

日本スーパー…行列が長くなったことに店員が気付くと、迅速に他の店員にヘルプを頼み、「お客様こちらへどうぞ」と言って、休止中の他のレジも動き始める。

中国スーパー…行列が長くなっても、待ち続けるしかない。停止中のレジがたくさんあるが、店員は行列が長くなるのをただただうんざりした顔で見やりながら黙々とレジ打ちをしている。


レジ係。

日本スーパー…店員はまずは「いらっしゃいませ」と客を迎え、商品の値段を声を出して確認しながらバーコードをあてる。客から紙幣を受け取り、迅速にお釣りを渡し、「ありがとうございましたまたお越しくださいませ」とお辞儀をしてから、次の客へ向かう。もしグラスなどの割れ物があれば、新聞紙に包んで渡す。

近所スーパー…客はレジ係の前に到達すると、自分で品物をかごから出してレジ係の前に並べなければならない。店員は客と目もあわせず、無言でバーコードを通す。その間に他の客が割り込んで、他の客の対応をすることもある。混乱しないで会計が済ませられるところはすごい技能である。客から紙幣を受け取ると、指でなぞったり透かしをチェックしたり、たっぷりと時間をかけて紙幣が偽札でないか確認する。細かいお釣りが必要になる場合は、お釣りを用意する前に必ず「もう1元ない?」等、お釣りがなるべくキリがよくなるように小銭を出すように客に要求する。グラスなどの割れ物があっても、レジ袋にそのまま放り込む。


レジ袋が有料の場合。

日本スーパー…環境保護のためレジ袋は有料とさせていただきます。お客様のご協力をお願いします。などと、レジ前の見えやすい所に表示してある。

近所スーパー…袋をくれない場合、袋をくださいと告げる必要がある。この時、標準中国語で「袋子」(ダイズ)と4声↓+軽声で言っても、ああ、ダイズ(2声↑+軽声)ね。という返事が返ってくることがあり、中国語のdaiziが、日本語の「大豆」と言っているように聞こえる。
したがって、標準中国語の「アー?」よりもキッツイ貴陽弁の「あ”ー?」で聞き返されても、私は外国人だから発音が悪くて通じなかったんだわ…と気にする必要はまったくない。



違いが多すぎて長くなった。

一番の違いは、店員が「作り笑い」をするかどうかだろう。
近所の店員には「作り笑い」という概念も「接客する」という概念も、それ自体が存在しないかのようだ。

しかし、私はどうしてこんな近所のスーパーが日本のスーパーのように自分にとって疲れる場所と感じないのだろうか?

学内で買えないものを買えるから、ハンティングエリアにいるような野生的な嬉しさもあるけれど、
たぶんそれだけではない。

店員がプライベート空間のように何の緊張感も無く振舞っているので、たぶん自分も身構える必要がないからだと思う。

客として丁寧に接遇されることで、品のある態度や言葉を保ったり、反対に偉そうな態度になったり、そういう変化が無い。知らない人間同士の密度や距離が、街中でも店内でも変化しない。どこまでものっぺりと続くプライベート空間。誰も人目を気にしていない…ように見える。

まあ、そうは言っても、じゃあ日本のスーパーよりもこっちのスーパーがいいか、と言えば、そうとは絶対に言えないわけで…

しかし、この人たちが作り笑いをして接客サービスをする日は来るのだろうか?と言うと、想像ができないし、これはこれでありかもしれないとも思ったりするし…

そこらへんは、優しく、あいまいな日本の私、なのである。