中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

四川地震と学生の反応

2008年05月19日 | Weblog


今日は1時53分に携帯に、「四川地震で困難に遭っている同胞に哀悼をささげる―貴州省委宣伝部、貴州省文明事務局」という携帯メールが届いたかと思うと、
喫茶店で仕事をしていた私のところへ、店員のおねえさんがやって来て、
「1週間前に地震が起きた2時28分に黙祷をささげます」と言った…らしい。

じつは、“喫茶店で店員が客に向かって何か言う”というシチュエーションの脈絡とかけ離れすぎていたので、専門用語で言うとスキーマが働かなかったので、四川地震という単語しか聞き取れなかった。

時間になると店内の人が一斉に立ち上がり、硬直。
外では3車線道路の車が全部止まり、車の脇に立つ運転手あり、座ったまま警笛を鳴らし続ける運転手あり。

夜、となりの大学の日本語学科の課外活動にボランティアしにいくと、
いつもの日本語トーク会は早々に切り上げたらしく、
学生たちが続々と広場に集まり、ロウソクに火を灯していた。
ロウソクは月日を表す「5.12」の字になった。
学生から「中国がんばれ!四川がんばれ!」のシュプレヒコールがあがって、
国歌合唱

中国の国歌って、抗日戦争の時の軍歌なんだよなーと思いながら、なんとなくちょっぴり一緒に歌ってみたりして、しかし、「そろそろ自分の大学に戻ります…」と
マイノリティ外人としておじけづいた自分なのであったが、
何人もの学生たちから、
「日本の援助に感謝申し上げます」
と日本語で言われて、
(ほっ、派手に国際援助隊をニュースにしてくれた日本政府と中国政府よありがとう)と、
在留邦人として小心者な自分なのであった。

日本の一部報道で、今回の援助が中国で感謝されていないという批判を読みましたが、中国の若者たちからも(私からも)しっかり感謝されています。ハイ。

四川地震と携帯メール

2008年05月14日 | Weblog


一昼夜たってテレビで現場中継されるようになり、悲惨な映像と救命隊の活躍ぶりが繰り返し流れている。
復興を祈る。
大学構内でもいくつかのcollegeが義捐金や物資援助を集めていたので、この国で働かせてもらっている身として心をこめて寄付してきた。


今回、一部地域で電話が通じなかったと聞く。

地震後、私のケータイには、携帯電話会社の番号でメールが届いた。
その後も続々とメールが届いている。

地震発生後約3時間後の5:39
「四川wen川県で7.8級の地震発生、貴州の生産活動には影響はない」

19:11
「我が省も揺れを感じたが、死傷者や財産喪失などの被害は届いていない。正常な生産生活に影響はない。群集は流言飛語に惑わされないように」

今日の11:28
「中国移動と中国赤十字は義捐金を受け付けている。以下の番号まで携帯メールを送れば1元か2元が寄付される」

今日の19:35
「省委員と省政府は、省3975万人の各民族を代表して四川地震被害地に1000万人民元の寄付を送ることを決定した」


(はい、以下の部分、一昔前の女子高生アクセントで読んでください。ちょうやばー。)
冬の雪害のときも思ったんだけどぉ…
ケータイでジンミンを統率してんじゃね?みたいな?かなりすごくない?


マグニチュード7.8

2008年05月12日 | Weblog

貴州での安否を心配くださった何人もの方からご連絡いただいたのだが、

こちらは地震があったことに気がつきませんでした・・・。

成都まで901キロも離れているし。

貴州省じたいの面積は韓国と同じくらいだし。

四川省なんか、朝鮮半島よりも広いし。

だから気軽に同期のボランティア仲間に会いに行けなくて日頃から寂しい思いをしているのである。同じ国だというのに。

しかし、北京や台湾まで揺れたとは、驚き。

中国の結婚披露宴

2008年05月11日 | Weblog


同僚の結婚披露宴に招かれた。

学部主任に祝儀の額を聞いたら、同僚の場合は200元ぐらいとのことだった。

100人以上の出席者がいたと思うが、日本よりもカジュアルで明るくていい感じだった。

Tシャツやジーパンの人もいた。

音楽や司会者の声が私には大きすぎて、たまに耳に指をつっこまなければならなかった。

料理はいつものパーティー中華で、皆でたっぷり食べた。




幸せの風景

2008年05月10日 | Weblog


これがいま私はしあわせだ~と実感する風景。

どこからどこまでが仕事だかプライベートだかボランティアだか区別をつけにくい生活をしていると、そういう状況が楽しい反面、正直、時々閉塞感を感じて、ニホンに帰りたいなーと思う夜もある。この土地にはほとんど日本人がいないし。あと1年近く帰国してはいけない「組織のオキテ」もあるし。

でもこんな夜もある。

ボランティア、私がしてるんじゃなくて、実は圧倒的にボランティアされていることのほうが多いんじゃないかと思う。





イメージ向上中の中日関係

2008年05月08日 | 日中関係

主席の訪日にあわせ、テレビのCCTV「新聞」(ニュース)チャンネルで毎晩10時半から「特別節目 暖春之旅」(特別番組 暖春の旅)日本特集をやっている。

白岩松キャスターが、実際に日本へ行ってインタビューしたり解説する。
岩松さん、なんとなく見た目が日本人ぽいけど、
名前からすると朝鮮族(朝鮮半島の出身)かもしれない。
淡々と伝えていく知的な感じがいい。

高村外相のインタビューをたっぷりやったかと思うと、早稲田の学生と話したり、上野のパンダ園へ行ったり。昨夜の放送では奈良の唐招提寺に行っていた。
キーワードは「交流」「相互理解」。

生の日本語がテレビから流れてくるし、
中国語の勉強にもいいので、毎日楽しみに見ている。

中日関係イメージアップキャンペーン中。
CCTV(中央電子台)、がんばってます。


愛しの日中関係

2008年05月05日 | 日中関係

研究室でのオフィスアワーも再開。

去年から教えている学生たちの会話力の伸びが、めざましい。

なんとなく日本人の大学生と話しているとの感覚が変わらなくなってきたので楽しい。気がつけば、日本語や日本の話ではなく、学生生活の悩み、愚痴、人間関係の事などをこっそり打ち明けるようになってくれて、冥利につきる。

聞いていると、私も20歳ぐらいのときはそういう不安や悩みがあったわぁ、と共感できるような事から、それはいかにも中国の大学生特有の大変さだわね、というような事まで、いろいろな話が出てくる。

ちょっとした保健室のおばさん気分を味わっている。

いやはや、私も保健室のおばさんができるような年代になったんだなあ、化粧品はエスケーツーとかドモホルンリンクルに変えたほうがいいんだろうか・・・などと自嘲的に思うが、まあ、色々と社会人経験や院生経験を積んだ上で、この年で本格的に教師の仕事を始めてよかったなーと自己肯定している。

意欲のある子は本棚から本を借りていく。
私も貸し出しノートを広げて、どんどん貸すようにしている。
ちびまるこちゃんのマンガを、「小学校のときから好きでした!」と言って持っていったり、『中国語ジャーナル』を、「日本人はこんな雑誌で中国語を勉強してるんですね」と借りていく。

今日来た優秀な学生の一人に、「将来どんな仕事をしたいの?」と尋ねたら、
「大学で教師をしたい」と言う。
「日本語を教えるんですか?」と聞くと、
「いえ、日本に行って、中国語を教えます。先生みたいな先生になります」。
「将来、先生みたいな日本語教師になりたいです」と言われたときよりも、「先生が中国で日本語の先生をしているように、私は日本に行って日本の大学で中国語を教えたい」というこの言葉はさらに格別、嬉しかった。

ここで仕事をしていて、これ以上嬉しい言葉はないかもしれない。
いや、今までの職業経験上、たとえば上司に査定でいい点をつけられるよりも、きっと絶対、嬉しい。

目の前の、こんな可憐な乙女の彼女が、日本で日本人に中国語を教えたら、きっとギョーザ事件やら何やらの日本人の中国への悪いイメージなど吹き飛んでしまうに違いない。
思わず可愛らしい彼女を抱きしめそうになった。
ああ、私が男じゃなくてよかった。

はふ・・・。

やにさがって自慢してる場合ではない。明日の授業の準備をせねば。気合!

振り替え出勤

2008年05月04日 | Weblog

金曜日に休日だった分の授業があります。

と言われ、今日は日曜日だというのに、4時間も授業をした。

私は今日からばりばり仕事をしている。

日曜日なのに、大学はすっかり月曜日の雰囲気だった。

というわけで「五一労働節連休」っていっても3日しかなかったわけで。

学生たちも疲れた表情をしていて不憫だった。



これは貴陽の映画館。
一人50元くらいする。
休みなのに人はまばら。
映画館で映画をみるのは高級なことらしい。
そりゃー、ちまたで映画DVDが10元くらいで売ってるし。
10元っていったらランチセット1回分、菓子パン3個くらいだし。
みんな露天でバンバンDVD買ってるし。
そういうところ、著作権者には痛いけれど、ユーザーフレンドリー。
自分が貧乏大学生だったころ中国にいたら映画鑑賞の面ではお金がかからなくて最高だったろうなあ。