中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

来賓

2006年09月23日 | Weblog
昨日の校正:
「フェスティバルには○○知事も来賓されました」
来賓されました…来賓される…来賓する…?
「来賓」はスルを付けて使うことができるのか?コロケーションがおかしいのではないか。「来賓客」、「来賓の~」と名詞的には使うが。「賓」自体に尊敬語が含まれているから、主体となる人を主語としては使えないのではないだろうか。

(代案)「フェスティバルには知事も来賓として招かれました」「フェスティバルの来賓に知事もいらっしゃいました」など。

雨読

2006年09月20日 | Weblog
連休中に読んだ本:
泉鏡花『高野の聖』15年ぶりに再読。やっぱりいけてる泉鏡花。

王雲海『「権力社会」中国と「文化社会」日本』集英社新書
…あ、ウチのがっこの先生だ。と、つい買ってしまった。わかったようなわからないような。でも、昔中国に留学した友人が同じようなことを言っていたなあと思い出した。いわく、中国人は欧米人よりも個人主義である。欧米人よりも日本人とかけ離れている。どうなんでしょ。ところで私は日本人よりも個人主義である。などと言うことにどれだけの意味があるのかは、その先に何を言いたいかによる。王先生がこの二項対立の先に何を言いたいのかはよくわかるし賛成だ。「日本人/中国人」本質主義的・戦略主義的ステレオタイプもその意味で有用。

梅田星也『日本語先生奮闘記』大修館書店
日本では高校の英語教師をやっていた人が、定年後に長沙大学の日本語教師になって経験したことなど。前半は異文化体験の軽妙洒脱なエッセイで、時に読みながら声を上げて笑ってしまうほど。なので、「奮闘記」というタイトルは編集者のセンスがよくないんじゃないだろうか。編集者が決めたと決めつけて言うのだが。いやいかにも大修館あたりの編集者がつけそうなタイトルだし(偏見?)。

北原保雄『問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?』
表紙の「こちらきつねうどんになります」のイラストがかわいくてつい。ちょっと前に本屋に平積みになっていたので気にはなっていた。明鏡国語辞典の編者たちが総力を挙げて書いたとのこと。いい意味で予想をうらぎられた。この言葉づかいは正しくないと糾弾するのではなく、この誤用≒変化はこういうふうに考えられると言語学上の解釈を教えてくれる。

近江誠『挑戦する英語!』装丁に品性がない。が、収録演説の選択は私好みだったので買ってしまった。亜流のシチュエーションで同じ表現を使う「モード転換」のページは不要だと思った。

林芙美子『放浪記』途中。ひきこまれる文だと思うが、分厚い上に、日記なので話の筋があるわけでもなし、最後まで読みきろうかどうしようか逡巡中。

ベンヤミン全集『パサージュ論』
これは趣味。いや、文学よりも血わき肉おどる感じ。ベンヤミン興奮病。ただあまりベンヤミンやヴィトゲンシュタインやデリダで興奮していると、現実生活に戻ってこれなくなるから…話が通じる友達がいないよう~という疎外感やら世界が虚像に見えるやら…困ったことになるから、温和な本を同時に読んで思考を中和させます。

掻く

2006年09月15日 | Weblog
昨日の校正:
某大企業の社史。巻頭言は取締役からのメッセージ。いかにもやり手そうな顔写真つき。

「わかりやすさが必須の条件であり、どの企業も単純明解さを求めてきているが」

…明解さんはこんなところまで出没してはいけません。

「わが社が最近まとめ上げたノウハウの集大成は、日本および海外の製造現場に「○○社スピリッツ」の息吹が掛かる製品を産むことであろう」

…息吹は掛らない。息は掛る。→息が掛った製品、にするとニュアンスちがう。悪いことみたい。例)××政党の息が掛った企業。
→息吹を感じる。息吹のある。息づく。のどれかに直してちょうだい。

「わが社は日本を、ひいては世界をリードしてきたが、この業績にあぐらを掻くことなきよう」

あぐら、掻かないで。
お尻を蚊に刺されたの?
あぐら、あえて漢字にするなら、あぐら構く。あぐら繋く。たいていはかな書きですから。

元原稿通りに出してきたオペレータさんは悪くない。こういうことに気がつく編集・校正がいるから、世の中の社長さんは色々なものを書き散らしても面子を保っていられるのじゃよ。



ルーツ

2006年09月11日 | Weblog
デザインが竹になっただけで、私の推定年齢はずいぶん上がったような…。枯淡。あおによし。いや今までのもけっこう気に入っていたのだが文字が大きくて恥らってしまった。CSSのフォントサイズを編集しようと思ったら、表示されないんだもの。また変わる可能性あり。

先月、院生時代の研究仲間に一斉に「ごぶさた相すまん。メルアド変えました」とメールを送ったら、最初に返信が来たのはアフリカ・ガーナからだった。いよいよフィールドで研究するようだ。水を得た魚のような生き生きとしたメール。よかったよかった。メキシコに行くと言っていた某先輩や、アマゾン奥地に向かった研究室のマドンナ女史はどうしているのだろうか…。ハクロン執筆中のニューギニア先輩やケニア先輩はがんばってるのかな~。某先生は異国から帰ってくると日本社会になじむまで半年はかかると言っていたっけ…

そんなことを会社の昼休みに思っていると、なにか自分は遠い夢をみているような気がした。邯鄲の夢。いまの現実と過去がうまく結びつかない。そしていまの現実と未来がうまく結びつかない。私は本当に2年間も中国に滞在できるのだろうか。だんだん自信がなくなってきた。もともとそんなもん無いが、さらにミジンコのように小さく。
せいぜい勉強して、そして悪筆をなおしておこう。
黒板に書く悪筆をなおすために始めただけなんだけど、芭蕉さん、私に力を貸してくらはい。

今日の芭蕉さん:岩にしみ入る蝉の声…。

2006年09月10日 | Weblog
なんだか疲れる1週間だった。
雑誌別冊85ページを一日一人であれやこれや。
目がかすむ。ここ数日ずっとかすんでいる。
2~3日で急激に視力が悪くなるなんてことがあるのだろうか。

読んだ本:
町田康『浄土』
大久保喬樹『日本文化論の系譜―『武士道』から『甘えの構造』まで』

今日の芭蕉さん:
尾花沢にいる。尾花沢といえば紅花の産地だ。
それは芭蕉さんの時代からすでにそうだったらしい。
紅花でもうけた豪商の弟子から手あつくもてなされたそうだ。
満足のあまり涼しく眠ったという句を詠んだ。

私も地方の豪商に手あつくもてなされてみたいんだけど。
豪商と知り合えそうにないなあ。

化ける

2006年09月04日 | Weblog
土曜日は国立国語研究所の研究会に行った。

立川からモノレールの駅を使った。バスでも行けたのだがモノレールがものめずらしかったもので。元自衛隊駐屯地のなにもない野っぱらに、似たような姿の高層マンションがにょきにょきとある。その片隅に、全面ガラス張り美術館風のモダニズム建築があり、まさかと思って近づいてみたらそこが国研だった。去年建ったばかりらしい。
久々に朝から夕まで学会発表並のペースとテンションの研究発表を聴き、ぐったりして帰る。
モノレール駅に入ると目に飛び込んできたのが看板の大きな文字で、

男子化粧室

…。

たしかに「化粧する部屋」という意味は最初から形骸化しているにしても、ここから、志茂田影樹かトランプマンか、そんなような人が今にも出てくるんじゃないかと思ってしまうのは私だけだろうか。


先週~今日の芭蕉さん:疲労回復中