中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

交流とショック

2008年03月25日 | 日中関係

昨年は日中文化スポーツ交流年で、ポスターがこれ。

北京であまっているのをもらってきて、研究室の窓の内側から貼った。

なんとなく、オリに入っているような抑圧感がぬぐいきれないが、意図は無い。
(我ながら皮肉がきいているなと思うけど。)

今年は中日青少年友好交流年で、都市部では青少年が行き来している。

CRI中国国際放送局 http://japanese.cri.cn/index.htm

「交流」という言葉には「社交」に近いしらじらしさがつきまとっていると感じるのは私だけだろうか。

だけど、高校生や大学生が実際に相手の国に行って対面するのは、そういう優等生的なしらじさしさではなく、なまなましい「体験」として価値があると思う。

そして中国語の「交流」は「お付き合い」や「コミュニケートする」というようなもっと広義の言葉なのだ。(だから、「私は先生と交流したいです!」「先生は英語で交流できますか?」というような妙な日本語を聞くはめになる)


今日のオフィスアワーには、1年間の日本生活から帰ってきた学生が話しに来た。

この大学では毎年何十人もの学生が、JNTOとJTBが企画するインターンという名の出稼ぎ労働に参加して、日本のホテル・旅館での仕事を1年間たっぷり体験して帰ってくる。

彼女は開口一番、「早く日本に戻りたいです。日本で働いていたときは早く中国に帰りたいと思ったけれど…。日本人と話したくなって先生のところに来ました」という。

どうしてまた、と聞くと、

「中国人は声が大きくてうるさいと思います。それに中国は汚い!」などと言う。

思わず笑って聞き返す。

帰国して約2週間目というから、まさに異文化適応論の“re-entry shock”の真っ只中にいるもよう。

彼女いわく、

「中国のレストランの従業員はマナーが悪すぎます!どうして物を投げてよこすの?

それにトイレ。トイレに紙がなくて汚いのが耐えられない!」。

本気で困惑をあらわにするので、

そ、そういえば私も最初のうちはそう感じましたけど・・・。

と答えるしかない。

「中国には物が少なすぎます。必要な物が全然無い。化粧品だって本物の日本製の物が無くて困っています。」

「そ、そうですか・・・?」

「私たち日本研修生34人は、全員が早く日本に戻りたいと思っているんですよ。」

「えー?ほんとに?(笑)あのね、今は日本から戻ったばかりだから、色々考えるでしょうけど、小さい頃から中国に住んでいたんだから、少し時間が経ったら、また元の感覚に戻って、あまり気にならなくなると思いますよ。」

「先生!」

「はい。」

先生は中国で生活していて大丈夫ですか?

自分の異文化ショックをふまえた上で私に向けられた一言が、とても嬉しい。

彼女も私もちょうど1年間、自国に一度も帰らずに働いてきたわけで、
その共通体験の重みを想う。

一緒に食事に行く途中、「ほら、道にごみが落ちていて汚い」と指差し、ついてきた友人の学生が、「なんで中国人なのに、あんたは帰ってきてから中国の悪口ばっかり言ってるのさ!」としまいには怒り出す。

まあまあ、中国は経済発展中ですから。これからきっと日本のようにきれいになると思いますよ。

といさめ、

私も日本に帰ったら日本の悪いところばかり見えるようになるのかもね・・・と首をかしげて笑われる。

しかし批判は止まらない。

「日本の大学生は自由で、自立していて、すばらしいです。中国の大学生は勉強ばかりしていて、やることが少なすぎます。バイトもしない、サークル活動もしない、旅行も行かない・・・」

「いやいや、私は日本の大学生はもうちょっと中国の学生のように勉強したほうがいいと思いますよ。中国の外国語学部の学生は朝早くから夜の10時まで学校で勉強しているから、2年ぐらいで、話せるようになるでしょう、でも日本の学生は、私のように英文科を卒業しても話せないでしょ。」

となだめると、

「夜の10時じゃなくて、深夜2時くらいが普通です。寮の消灯後も、手元を照らす電気で勉強します。」と、若干誇らしげ。「でも、中国の学生はまじめすぎます!」

「それはそうかも・・・。見ていて、時々かわいそうになります」と、最近苦心している1年生の授業を思う私。

でもね、日本にいた時は、日本の嫌なところだってたくさん目についたでしょう?

と水をむけると、

大きく頷く。

隣の芝生は青く見えるって言ってね、云々。と、いかにも先生っぽい事を述べてみた後で、
「ふふふ、でも、どんなところが嫌だと思った?
私はたぶん日本に帰ったら、日本のテレビや新聞が同じニュースばかり大きくとりあげるのが嫌だと思うかも…」と問いかけると、

答えは一言、

「日本の嫌な面は、日本の男性」

日本の男性は、女性の荷物を持ったりドアを開けたりしないし、奥さんにも威張ります。

ふ~む・・・

新潮

2008年03月24日 | Weblog

学外にある行きつけのお店。

新潮文庫、と呼んでいる。

またの名を、ニューウェーブ屋さん。

私の愛しのヌーベルバーグ。

店内はただの文房具屋さんで、似非ミッキーマウスの筆箱があったり、書道の筆が吊り下げられていたり、その下のガラスケースにパーカーの万年筆が並んでいたりする。

木蓮

2008年03月21日 | 

木蓮 mulan

春、葉に先立って暗紅紫色の六弁花をつけるモクレン科の落葉低木。観賞用として庭などに植える。中国原産。木蓮華。もくらん。白い花をつけるハクモクレンは近縁種。(明鏡国語辞典)


せいしんてきなつかれのげんいんは、しごとではない。
とかいではない場所で生活しゃとして暮らすからこそみえてくるもの。
しそうきょういくとかんりしゃかいのきょうりょくさ。
ねんのため、けんえつにひっかかりにくいよーにひらがなでかく。
えいちじーうぇるずの小説やじょーじおーうぇるの小説の世界を実際に生きているようなかんじが、ちょっとある。

迎春花

2008年03月20日 | 


yingchunhua「迎春花」

おうばい「黄梅」
モクセイ科オウバイ属、通称ジャスミンの落葉小低木。高さ0.5~2メートル。中国原産の観賞植物。茎の若い部分は緑色で四角く、上部は垂れる。春、葉に先立って6弁黄色の梅に似た花を開く。迎春花。金梅。春の季語。(広辞苑)

毎朝毎晩このトンネルをくぐる。

疲れていても、美しいものを美しいと感じ入る気持ちは残っているようで。

寝室からもよく見える。可憐に風に揺れている。



この疲れは木の芽時のウツかホームシックかと思ったが、ジムで走って、半日朝寝したら治った。ただの睡眠不足だったようだ。
今学期から研究室のパソコンにもネット接続してもらい、職場ですべての仕事ができるようになって便利になった。
最近は朝8時に出勤して夕飯食べて宿舎に帰ったら寝るだけの生活で、日本にいるのとパターンが変わらないかも…。
それでも日本にいる時と比べるとぜんぜん忙しくない。
もっと仕事が増えてもいい。
と、豪語しておこう。

私が失ったもの

2008年03月12日 | Weblog


青年協力隊員の機関紙で、帰国組や先輩メッセージを読むと、2年間の派遣期間中は、よく怒った、よく泣いた、中国人の優しさに触れて感動した等々の感想が多くて、違和感を感じる。

中国に来てもうすぐ1年がたつが、ここの人たちに憤ったり泣かされたりした記憶がない。
予想外のことが起きると、面白いなあとつい笑って見てしまう。
自分は完全に外部者の視点のままで、コミットしていないからかもしれない。

昔の自分なら、もっとヴィヴィッドな感情を持てたと思う。
ひたすら純粋に、もっとコミットメントしていったと思う。

大人になると、自分の価値判断を停止して他人を広く受け入れることができるようになり、いちいち悩まなくなり、とてもラクだ。自分のどうしようもなさを知っているから他人にも苛立たなくなる。どうしようもない自分を上手に尊重するコツも分かってきたから、他人も尊重できるようになる。
けれど、心と視野が広がった分、純粋に喜怒哀楽に身を浸せなくなったのかもしれない。
だから大人になることは、たぶん、とてもラクで、それでとても寂しい。



日々を順当にこなしているけれど、最近、精神的な疲労が溜まっている・・・。

精神的な疲労にはスポーツがいちばんいいのだが、太極拳は近くでやっていないし、流行っているのはバスケットボールか社交ダンスのラテンダンスで、どちらにも興味がない。ランニングしようにも、大学の外はマンション街と農村で、ひとけがないので防犯上どうかと思う。大学の隣には軍事学校も軍事施設もあるので、ふらふらしていると怪しまれそうだ。行方不明の外人にはなりたくない。




去年の春のことを思い出す。
運動したい、と同僚に言うと、市街地のビルの最上階にあるスポーツジムに連れて行ってくれた。
こんなところだ。




日本のジムと全く同じ。

こんな所に行って運動するなんて「アフリカで井戸堀り」という野生的なイメージの青年海外協力隊員としても、文化人類学を専攻してヒマラヤを眺めながら病に倒れた身としても、恥ずかしいかぎりなのだが、行方不明になるよりましなので、記憶をたどって、そのスポーツジムに行く。

ジムへ行くため、いつもの乗り合いマイクロバスの中で、いつものように満員で、立つ。

かばんはいつも通り、ジッパーを閉めてその上からマグネットでフタが被さる盗難に遭いにくいタイプのもので、斜めがけでお腹の前にぶらさげていた。

あまりにマイクロバスが揺れるので、転ばないことに気をとられていたら、ふと見ると、隣の男の手が、かばんに半分入っていた。気がつかなかったが、フタもジッパーも開けられていた。かばんを引き寄せて、男がひっこめた手中やポケットに物が入っていないかどうか睨みつけ、急いで自分のかばんの中に無くなった物がないか確認しながら、かばんに手を入れていて指を動かしている状態だったということは、2度目に手を入れたのでなければ、物色中でまだ盗っていないと判断できた。実際、未遂だった。


怖がるとか声をあげるよりもまず迅速に確認している自分がいて、そうい自分を冷静にモニターしている自分もいて、変な気分だった。

客席に、無言で行動する私の様子を見ていたおばあちゃんがいて、

「何も盗られなかったかい?立ってると危ないよ、私は次のバス停で降りるから、私が降りたら、おねえさん、ここに座りなさいよ」

というような事を、車内中に聞こえる大声で言ってくれた。
しかしスリは悠然としたまま、ずっとバスを降りなかった。
おばあちゃんは10分後に降りて席をかわってくれた。

突然、昔の事を思い出す。東京の満員の地下鉄で、小学生の女の子が痴漢にあっていて、すくんで声も出せないところを見かけ、男の手をひねり上げて助けた。あの時は、激しい怒りを感じた。

スリ未遂で、私は怒りも戸惑いもショックも何も感じない自分を知った。未遂じゃなかったとしても、過去に実際にスリに遭った時のように、保険がきくのでそれほどショックは受けない。ただ自分が、気分を害しているな、ということだけが分かった。気分を害している・・・何に?スリに?怒りを感じない自分に?声を上げて喧嘩を売るよりもまず冷静になっていた自分に?スポーツジムに行くようなお金持ちの立場に甘んじている自分に?

喜怒哀楽を生々しく感じられないほど、感受性が擦り切れてしまったのかもしれない。
それとも今はただ精神的に疲れているのかな・・・。

未遂でよかったし、痴漢でなくてもっとよかった。そう思ってすぐに頭の中から追い払った。

スポーツジムから下の道路を眺めると、交通事故の渋滞が見えた。
高層ビルの向こう側のどこかで日が沈みかけていて、ビルの角が鈍く光り、鳥たちが規律正しく隊列を組んで飛んでいった。ネオンが少しずつ増えていった。
5キロコースを2本走った。走りながら、自分の汗がルームランナーの上へポタポタと落ちていくのを、涙みたいだなと思って見ていた。

国際婦人デー

2008年03月08日 | Weblog


男子学生と廊下ですれ違ったら、「今日は婦人の日ですね、おめでとうございます」と言った。それは何?と思わず聞き返してしまう。

周囲の人に「日本では祝日じゃないから、よく知らなかった」と言うと、
どうして日本では祝わないのかと、とっても驚かれた。
まったくだ。
ウォルマートでは2割引セールをやっていたし、レストランは女性グループは本日3割引きの看板を出していた。
まあ、そんなところは日本のレディースデー・女性割引の日と同じだけど、なんたって国家の祝日、この日は退勤時間を早めにしてくれたりする職場も多いらしい。

写真は金曜日の会議の風景。
外国語学院は女性教師ばかり。
会議に出るたびに、9割は女性だなあと、ややあきれる。

その会議の席で、繰上げで婦人の日を祝って、お菓子やらケーキが出た。
書記長が外人教師に特別プレゼントをくれた。
これは菓子盆。



皆大好きヒマワリの種(一体どこが美味しい?)。
私がカメラを構えていたら、副書記長が並べなおしてくれる。
この手は、おそれおおくも副書記長。
書記長はんも副書記はんも女性どす。(なんとなく京都弁)



おぎないます

2008年03月05日 | 楽しい誤用の世界

今日は3月の風がふいていた。その香りも気まぐれさも、日本と同じ突風の春風。

私の最愛の相棒の若手教師が、新学期になっても出てこない。

すべてが凍っていた1月の終り、停電になったとたんに私の宿舎に駆けつけてくれて、一緒にラーメン屋でラーメンをすすった。

春節は北京で過ごすからね、と告げると、

それじゃあ先生の誕生日を私は一緒にお祝いできないね・・・とうつむいたので、

ごめんね、春節も誕生日も一緒にいられなくて、と、つい謝った。

数秒の沈黙後、いつものようにはきはきと滑舌よく正確な発音の日本語で、彼女は言った。

先生が帰ってきたら・・・おぎないます!!

私はただ笑顔になる。

補う。

この場合、日本人なら「埋め合わせる」を使うのかもしれない。

だけど、このあまりにも微笑ましい一言を訂正する気になれなかった。

補う、という気持ちに近い言葉を探してみても見つからない。

埋め合わせる、というのは、何か引け目を感じていて、足りない部分を意識する言葉だ。反対に、補います、という気持ちは、プラスされるほうに意識がいっていて、あたたかい。



その彼女の携帯電話はずっと電源が切れているし、他の同僚の先生たちからも病気らしいという情報しか得られなかった。

昨日のメールの返事で、「人生の岐路に立たされているような感じがする」ほど悩んでいて、体調も悪いと知る。
ここでの仕事を続けるか、仕事を辞めて彼についていくか、女28歳の選択。
気持の整理がつくまで誰とも連絡をとりたくない、そっとしておいてほしい、という。

私としてはあなたが幸せになってくれればそれでいい。あなたがどんな選択をしたとしても力になりたい。あまり思いつめないで。なるべくリラックスして。でも一時の感情や一時の妥協で決めないで、と伝える。

私のほうは、今週は新学期の授業のシラバスやカリキュラム関連の書類を数多く書いている。
他の若手同僚から説明を受けながら書く。日本語力のある相棒に説明してもらった時の数倍から数十倍は時間がかかる。

私には、キミガヒツヨウ。

しぜんに支え合えるキミガヒツヨウ。



人と人との別れは本当は出会いと同じように全く予想がつかないことが多く、随分と、はかない。

まるで大型の客船を岸辺から見ているようだ。

目の前にそびえたっている船が、ゆるゆると岸辺を離れ、気がつくと視界に空と海が広がっている。

その存在が、岸に永遠に固定されているかのように錯覚していたのが、ただ波に浮かぶ、心もとないものだったことを思い出し、なすすべもなく小さくなっていくのを見ている。

力保健

2008年03月03日 | Weblog

今日から新学期が始まった。
いきなり朝8時からの授業。

貴陽でまだ売っているのを見かけたことがなくて重慶で見て即買い、大事にしまっておいた「力保健」リポDを飲んでしまった。

ひなまつりは女の子のお祭りです。うふふ

と、ゆるやかに、にこやかに教壇に立ちながら、裏では一本、ぐぐっとやってます。