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セルフネグレクト

2020-11-14 | 日記

セルフネグレクトという言葉を知った。現在では、高齢による気力・体力の衰え、精神疾患などの原因が無くてもセルフネグレクト(自己放任)が起きていることを聞き、ある意味なるほどと感じた。特に、働き盛りや若い会社員のセルフネグレクトが増えていることに驚きはない。一人暮らしで寝る間も惜しまず働き、家事をする時間や家事のことを考える時間・精神的余裕を失くしても不思議はない。かつて「仕事中毒」と言われたような生活でも身の回りの事が行き届いていたのは、「主婦」と呼ばれる家事の請負人がたいていの家庭に居たからじゃないだろうか。

 昔の生活に戻せ、と言う気は無い。しかし、核家族化、共稼ぎ化、生涯独身者化?が進行する中での労働時間が増加すれば、この先はセルフネグレクトの増加こそあれ減少は無いのではと想像する。株価は上がり、大企業が莫大な「内部留保」を抱えていながら、賃金増に繋がっていない。この状況での「時間賃金制」から「日本流の成果型賃金制」への移行が「成果獲得の競争」に人々を追い込み、会社や自宅での「自主的超過勤務」を増やすばかりではという危惧もある。この国は、時間制の下ですら「サービス残業」や「仕事の自宅への持ち帰り」が当たり前と捉えられるような国なのだ。

 40代~50代の男性の孤独死が増える要因は、この社会では当分無くならないような気がする。いや、この傾向はまだ始まったばかりで、このままでは今後さらに増えるのではないかと思われる。「一億総中流時代」と言われた "経済的に比較的恵まれた状況" の中で、核家族化・気楽な一人暮らし・都会での「相互不干渉」の生活が安易に、野放図に進んできた。家庭から主婦的存在が消えて家事や生活雑務もGNPに組み込まれた。身の回りで「生きる為の生活雑務の処理」が「有償化」する中で、多くの若い労働者には生活雑務が圧し掛かって行く。

 ここまでは「高度成長期を支えた主婦の生き残り」が、母親として若者の生活雑務を支えるケースもあったのだろうが、彼らの高齢化によりそれも無くなる。高度成長期は一人の収入で二人の生活を支えられたからこそ、仕事中毒の労働者が多かったのだ。一人の収入で一人の生活しか支えられなくない時代には、広範な社会的努力により「一人暮らし」に必要な最低限の「家事のための時間」と「休養の時間」が確保されなければ、若年・壮年層におけるセルフネグレクトの拡大はまだまだ進行するだろうと想像される。