最初 石原慎太郎東京都知事が、「これは、天罰だ」と言ったことで、抗議の対象となり、謝罪をしたという経緯があった。
彼が、天罰だという言葉を言ったとき、私も噴飯ものだと思った一人である。
しかし、今になって考えれば、彼は言葉を間違っていたし、さらには科学的な検証もなく その言葉を発したが、私はこれは、罰ではなく、天からの啓示であると考えるようになった。
まず、地震。
なぜ日本に地震が起こるのか。
そのメカニズムは、割合に良く知られているように、もっとも大きな理由は、火山島だということだ。
そう、日本は世界でも有数な火山国なのである。
そして、その火山はとてもつもなく大きなエネルギーを秘めている。
二つ目は原子力発電所の事故。
もう、うんざりしたのは、私だけではない。
多くの日本人、それは原子力発電所を進めてきた自民党のお歴々を含めて、みんなが、心のどこかで、うんざりしているだけでなく、こんな風にしてしまったのは、自分たちのせいだったとも思っている。
そう、自民党も民主党もそれを享受してきた国民も、もちろん東電もそれから、それを推し進めていた学会も、安全宣言をし続けていた人々も、また多くの広告料で儲けていたマスコミも、みんな、黙ってきていた。黙っていた結果、安全神話は完全に 偽者だったことがバレたわけだ。
バレたあと、お互いを責め合うが、結局は、みんなひとりひとりが悪かったんだとは言わない。
一度、ここで時計を、原子力発電所の無かった時代に戻してみよう。
そして、平和な農村風景が、いまのような放射能まみれになってしまったことを、反省してみよう
そこから、考えることがひとつある。
これは、神からの啓示だったのではないかということだ。
これが 第二の啓示。
第三の啓示
それは水である。
つまり津波がひとつの水の力を見せ付けた大事件だった。
こんなことは、神にしかできないことだということだ。
神は何を伝えたかったのか?
原子力発電所を冷やすことの出来るのも、水だ。
つまり、水が怒るととんでもないほどの 被害を出す。と同時に、水だけが、それを冷やして元通りにしてくれる唯一のものだということだ。
被災地でもっとも求められるのも、この水だ。
飲む水、身体を洗う水。
この三つの啓示について、また我々の未来について具体的に今の科学力を合わせて考えると 答えはひとつだけ導かれる。
彼が、天罰だという言葉を言ったとき、私も噴飯ものだと思った一人である。
しかし、今になって考えれば、彼は言葉を間違っていたし、さらには科学的な検証もなく その言葉を発したが、私はこれは、罰ではなく、天からの啓示であると考えるようになった。
まず、地震。
なぜ日本に地震が起こるのか。
そのメカニズムは、割合に良く知られているように、もっとも大きな理由は、火山島だということだ。
そう、日本は世界でも有数な火山国なのである。
そして、その火山はとてもつもなく大きなエネルギーを秘めている。
二つ目は原子力発電所の事故。
もう、うんざりしたのは、私だけではない。
多くの日本人、それは原子力発電所を進めてきた自民党のお歴々を含めて、みんなが、心のどこかで、うんざりしているだけでなく、こんな風にしてしまったのは、自分たちのせいだったとも思っている。
そう、自民党も民主党もそれを享受してきた国民も、もちろん東電もそれから、それを推し進めていた学会も、安全宣言をし続けていた人々も、また多くの広告料で儲けていたマスコミも、みんな、黙ってきていた。黙っていた結果、安全神話は完全に 偽者だったことがバレたわけだ。
バレたあと、お互いを責め合うが、結局は、みんなひとりひとりが悪かったんだとは言わない。
一度、ここで時計を、原子力発電所の無かった時代に戻してみよう。
そして、平和な農村風景が、いまのような放射能まみれになってしまったことを、反省してみよう
そこから、考えることがひとつある。
これは、神からの啓示だったのではないかということだ。
これが 第二の啓示。
第三の啓示
それは水である。
つまり津波がひとつの水の力を見せ付けた大事件だった。
こんなことは、神にしかできないことだということだ。
神は何を伝えたかったのか?
原子力発電所を冷やすことの出来るのも、水だ。
つまり、水が怒るととんでもないほどの 被害を出す。と同時に、水だけが、それを冷やして元通りにしてくれる唯一のものだということだ。
被災地でもっとも求められるのも、この水だ。
飲む水、身体を洗う水。
この三つの啓示について、また我々の未来について具体的に今の科学力を合わせて考えると 答えはひとつだけ導かれる。
我々日本人は、即刻原子力発電所をやめる。
つぎに全力を挙げて、地熱発電所を建てる。
10年を目処に全国に造る。
これが、せめて我々の子孫のためにできる 贖罪ではないか?
つぎに全力を挙げて、地熱発電所を建てる。
10年を目処に全国に造る。
これが、せめて我々の子孫のためにできる 贖罪ではないか?