Sydney Yajima


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子供が可哀想な時代

2012-07-03 17:52:12 | 経済
かつて、子供たちは、泥にまみれ、草をはみ、山道を駆けながら、元気に日焼けをして遊んでいた。
それは、どこでも見られる、極々 当たり前の風景で、時には自転車に乗り、時には草野球をしながら、成長していった。

いつの日にか、ニンテンドーや、ソニープレーステーションがとって変わり、子供たちを電気漬けにして、エアコンの効いた室内で青チロイ子供たちを、ひょろっと育てることが当たり前になってしまう。

もう、そういう状態がかれこれ20年は続いている。
子供たちは、大人になり、自分たちの育ってきた環境が当たり前だと思い過ごしたまま、自分たちの子供たちを育てる。

世代から世代への遊びの伝わり方というものが、完全に絶たれる。

こんな中、原発がどんどんと増えていった。
電気が必要だという理由で、原発は増えていった。

夜中まで勉強する子供。小学生が、夜の電車で塾帰り。分厚いメガネをかけて、携帯をいじっている。

どうなのかな?
どうなのかな?
と、思う。

だが、それが時代の流れでもとには戻れないものだということなのだそうだ。

大人は嘘をつき、子供たちは被爆して、日本の未来は暗くしてはいけない問題先送りを続けている。
本当なら、もっと多くの子供たちを逃さなければならないのに、「こうすれば大丈夫だ」という大人の作った安全だと信じるマニュアルで、自己暗示をかけて、安全という御用学者の大嘘まで信じようと思っている母親たちには、実に罪はない。
彼女たちは犠牲者で、その子供たちは、もっともっと可哀想な犠牲者なのだから。

被害者というのは、生きていれば実証できる時があるが、もし、死んでしまえば口はない。
かつて関東という地域で生きていた人間の墓が増えるだけの話だ。