Sydney Yajima


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歩き世紀ら 考える

2010-12-23 21:13:37 | 世界情勢
例えば、500キロ向こうに行くのには、どうする?
まず、新幹線か飛行機、最悪でも車と言う風に考えるだろう。

しかし、100年ちょっと前なら、人は、歩いて行った。

歩いていくことが当たり前の時代は、みんなが思うほど、そんなに昔の話ではない。

そして歩きながら その時代の人たちは様々なことを考えたのだろう。
家族のこと、友達のこと、将来のこと、国のこと、自分自身のこと。

便利になり、なんでも検索すればコンピューターが教えてくれると今の人は思う。
そして、自分で考える力がなくなった。

一度、なんでも白紙に戻ってまず、わかっている所から考える。じっとしても分からなければとりあえず歩いてみる。歩くといろんなものが、目に飛び込んでくる。そして、人は、確実に一歩一歩歩きながら、考えをまとめることができるのである。
いくら、思想の本を積んでも思想は、血肉にはならない。

歩いて考えたものに、勝るものは無い。
なぜなら、それは自分で考えたことだからである。

そう思い、自分なりに思想というものに立ち向かってみる。

21世紀になり、今までの経験してきた人類の歴史をふりかえりながら、ふと、立ち止まって、これでいいのだろうか?
と、考えてみる。

将来、子供たちのことを考えると 不安にもなるし、また 人間はきっと何かの方法を見つけてやっていくだろうと、楽観的な気持ちになりもする。そして、結局は、日々の生活を守ることで精一杯で、賢者も愚者もあまり変わらない毎日の連続がそこにあるだけなのだろうと思えるし、いくつかのアイデアを、椅子に座って考えてみただけでは 何も浮かばないというところで、また歩き出す。

今の時代は、もしかすると狂気なのかもしれない。

芸術、音楽、夫婦のあり様、子供たちの遊び方、戦争、経済、エゴ、そういうものすべてが、狂気を帯びて 本当に大事なものが何なのか分からなくなってきている。

世の中は、いつの時代もそうなのか、手に入らないものは 欲しくなり 手に入りそうなものは、大した価値が無いように思え、そして手に入ったものは、失うことを恐れて不安になる。
あるものは、不安で押しつぶされそうになり、自殺までする。
不安は失うことでしか解消できない。
失ってしまえば、そこには虚脱感は残るかもしれないが、不安はきれいさっぱり消えてなくなる。

虚脱感は、やがてまた以前のものを取り戻そうと言うモチベーションに昇華できることがあるかもしれないが、不安は守りに入るだけで、今言う モチベーションへの昇華にはなりえない。

子供たちのことをかんがえて 不安になるのは、今のような繁栄が子々孫々続いてくれることを願うからである。しかし、人間の愚かな歴史は、過去に何度も理不尽な戦争と人殺しがえんえんと行われた結果に成り立っている。

言うなれば、不安は的中しているだろうし、また、それを取り除くことはできそうもないということも、実は分かっている。
分かってはいるけれど、あきらめないでなんとか、未来や子供たちの将来を守りたいと考えたりもする。

平和で安全で幸せな未来が 永遠に続きますように・・・

メリークリスマス