Sydney Yajima


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ロイヤル ウエディング (昨日 考えていたことなど)

2011-04-30 07:47:32 | フリーメーソン
徒然に書きたい。

昨日の ロイヤル ウエディング を見た人は 世界で20億人だと推定される。と、イギリスは言っているが、それは まあ、言いたい放題の法螺である。
まあ、せいぜい 3億人程度であろう。
20億人といえば、3人に一人が あの退屈な結婚式を見ていたということになる。
テレビを持っている人が、世界に20億人いるはずもなく、世界の半分以上の人口は、電気も通っていない生活をしているので、そんなアホな数字が成り立つはずも無い。
すくなくとも、昨日、アラバマの地域は竜巻のせいで 停電になっており、東北でもまだ多くの地域が停電になっている。
アフリカにも電気の通っていないところは多く、中国の西北部には、まだ19世紀の生活水準のひとがいる。
それなのに、20億人を推定で出すのは、いかにもグレート ブリテンと言って憚らないイギリスらしい。
別に、ウィリアム王子に文句をつけているわけではないが、ウィリアム王子とキャサリンがキスをするシーンがあり、イギリス民衆がバッキンガム宮殿の鉄格子に 動物園の猿か、凶悪犯の刑務所の囚人のように、ぶら下がってみているのを、私はなかばあきれる気持ちで見ていた。

王侯諸侯いずくんぞ種にあらんや

の気持ちは、持っている。

面白かったのは、教会の内部の様々な儀式や、そのなかで使われる言葉で、そこにはフリーメーソンの儀式に使う言葉がたくさんはいっていたことぐらいだったが、これなどは、私自身がメーソンであるために、知っているかなり偏った知識である話なので、とても普遍的に おもしろいということを、多くの人と分かち合うことは難しいだろう。
こういう、ややおたくな趣味以外のところでは、昨日の結婚式は、かなり退屈な見世物であって、それが証拠に、多くの人がビデオショップでDVDをレンタルしていた。

妻は、夕方近くのディリー ストアーに買い物に行って、人が少ないのに驚いていた。
イースターが終わると、シドニーの人は、みんな大量に買い物に行き、それが一段落すると、やっと
「はあ、今年のイースターも終わったな」となる。
ご存知の方も 多いと思うが、オーストラリアでは イースター期間中には イースター ショーというのがあって、そこでは、多くの農場から、牛であったり、豚であったり 鶏であったり、時には、馬であったり・・・を持ち寄って 品評会を行う。
「おおすばらしい 豚だ。毛並みも良く、云々・・・」などと言われても、おそらく 私のフリーメーソンの知識と同様、かなり偏っていて、まったく普遍性の無い話だから、多くの人にとっては、どうでもいいことだろう。
娘は、それでも友達と出かけて行き、イースター バッグなるもの・・・日本で言えば福袋か・・・を、買ってきて、中からスヌーピーのバッグやら、傘がでてきて大喜びしていた。
およそ半数のオーストラリア人たちは、すでに、イギリス王室を支持してない。
残りの半数か ややそれに足らない人々が、ウーマンズ ディーという大衆雑誌のファンで、そういう王室のスキャンダルが好きなのである。
まずもって、サー などという称号がクィーンから与えてもらえる人は、その中の0.01%にも満たないわけだが、宝くじを買えば誰でも当たった気になって、その金の使い道を真剣に考えたりするのと同じような気持ちで、雑誌を読んで、鉄格子にぶら下がって テレビにかじりついて 喜んでいるのだから、まあ、めでたい話だ。罪は無い。 気の毒でもあるが。

ジェームズ ハーディーというメーソンの人間がいる。
彼の会社は、アスベストを作っていて、今 あっちこっちから訴えられているが、なんとか 切り抜けている。

私が思うに、東電に限らず多くの電力会社の末路も、似たような者に成り下がるだろうということだ。
電力を原子力というもので賄うことは、私の少年時代から、夢の新エネルギーとして、鉄腕アトムなどを通じて、刷り込まれてきていた。
子供のとき、交通の図鑑を持っていたが、そこにも多くの原子力自動車や、原子力船、などの挿絵があったのを記憶している。

もちろん、全部 北朝鮮の金正日を崇拝する挿絵のような 寓話であり、ありえない話ばかりであったが、心のどこかで、それらを信じていた。
信じると、そこから想像に色がつき 広がり、未来という言葉を聞くだけでそこには ユートピアが待っているような気がして、現実と乖離された、なにか素晴らしいことが待っていると思い始める。
今から思えば、
そう、今から思えば という過去の賛辞をすることになるのだが、街には多くのそういう夢を持った子供があふれて、アポロ11号の月面着陸を 小学館のボール紙でできたロケットを組み立てることで、(それは ちょうど私の身長ほどもあった) 父の日曜日を台無しにした時代、あるいは、サンダーバード アイランドを父に組み立ててもらい、バネ仕掛けのロケットが飛び出して喜んでいた時代・・・のほうが、とても幸せだったように思える。
子供のころ、私のおもちゃ箱には、そういう様々なものがいっぱい詰まっていた。
ディズニーの映画を見た後、家でもういちど絵本を見ると、感動したりしたが、今では、その当時の絵本全集は、とても貴重なものらしい。
おそらく サンダーバード アイランドも それから2号機も、貴重なものなんだろう。
でも、当時のウルトラマンや、ゾフィーも、私の古い40年前の記憶は残り、おもちゃたちは、どこかへ消えてなくなってしまった。

多分、こういうことなんだろう。
原子力発電所というおもちゃは、日本人にとっては、夢の実現であり、それを手に入れるために、多くの学者、実験室、工事費、維持費、などなどの経費をさんざんかけて、そして、それらは、散々遊んだら、どこかでつぶれるようになっており、それは、サンダーバードアイランドのロケットが割れたり、バネが効かなくなって飛ばなくなったりしたあと、プラスチックの粗大ごみになったように、コンクリートと瓦礫の粗大ごみとして、どこかへ埋め立てられる運命にあるということなのだ。

私たちはすでに 心のどこかでそれらを織り込み済みのこととしている気がする。

電気代があがり、東電の役員報酬が削減され、その削減幅が少なすぎるとさまざまな人が 文句を言う。
アメリカでは、破綻した金融機関が税金で生きながらえ、そのCEOたちが、多額のボーナスをその税金から受け取っていたなどということがあったが、それに近い話だ。
一流大学といよばれているところは、あまり 良い人を作り出さない機関らしい。
ならば、必要ないもののようにも思える。

もちろん研究も勉強も否定はしないし、一流大学が悪いと言っているのではないが、、偏った知識だけでは、人が人でなくなると思うのである。

昨日は、ウィリアム王子の結婚式から、今の日本をシドニーからみて、こんなことを考えていた。








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