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そよかぜ日記

写真、メモ、日常のできごと etc. 拡大できる写真も、あちこちに

モントリオールについての概略と旅行目的

2014年09月04日 | 旅行

 孫の3歳の誕生日を口実に機会に、2014.8.26~9.3.の日程で、娘が暮らすモントリオール( カナダ・ケベック州 )に行って来ました(注1)。 この期間、一歩もモントリオールを出なかったのですが、その分、通常の観光では気づかないようなところも深く見ることができたと思っています。

 ケベック州は、イギリス連邦加盟国のカナダにあって、住民の大半がフランス系で、一時はカナダからの独立の話もあったほど、カナダの中では少し異質な州です。 1970年の大阪万博でも、カナダ館とは別にケベック館がありました。 このことは旗にもよく表れています。


 上は、左から、カナダ国旗、ケベック州の旗、モントリオール市の旗です。 モントリオール旧市街地で撮影しました。
 国旗は、右側の赤が大西洋を、左側の赤が太平洋を示し、中央のメープルリーフの周りの白は雪をイメージしています。 メープルリーフは開拓時代の食べ物がない冬の間、カエデの樹液をすすって飢えをしのいだ厳しい自然の中での暮らしを象徴しているとのことです。
 ケベックの旗は、フランス王国の紋章の色であった青色(ロイヤルブルー)に、フランス王家の紋章であるユリの花を配しています。
 モントリオールの旗の中央の赤い十字はこの街を築いた人々のキリスト教への信仰を象徴し、左上にはフランスのブルボン王朝を象徴するマークを、右上にはイギリスのランカスター朝の象徴のバラを配し、左下のアザミはスコットランドを、右下のクローバーはアイルランドを象徴しています。

 上はスーパーで買い込んでホテルに持ち込んだ牛乳、ジュース、炭酸水ですが、片面はフランス語で、もう片面は英語で書かれています。 おそらく販売する地域によって、どちらを表にして並べるのかが違うのでしょう。 モントリオールのスーパーでは、もちろんフランス語側が見えるように陳列されていました。

 モントリオールは1800年代後半から1900年代前半まではカナダ最大の都市でしたが、フランス語単一公用語化で多くの英語系の企業がトロントへ移るなどで、現在はカナダ第2の都市となっています。 観光的には、石造りの住宅街や街中の数多くの教会など、フランス文化の薫り高い「北米のパリ」と宣伝されています。 また、シルク・ドゥ・ソレイユ( Cirque du Soleil:太陽のサーカス)の本部所在地としても、La Ronde で行われる国際花火大会( L'International des Feux Loto-Quebec )もよく知られています。

 私は人の暮らしの近くにいる動植物に関心があり、ブログ「そよ風のなかで」で大阪府(堺市)を中心としたさまざまな動植物を載せていますが、モントリオールでも、カナダ南東部の人々の暮らしと接する「普通の」自然をカメラに収めようとしてきました。 大阪の自然と比較することで、より深く大阪の自然を理解することもできるのではないかと思っています。

 今回の旅行で得た知見は、このブログ「そよかぜ日記」や、旅先での自然とのふれあいの記録を載せているブログ「そよ風に乗って」に載せていく予定です。 その内容については、 こちら をご覧ください。

(注1:補足)
 この時期はモントリオール世界映画祭が開かれる時期でもあります。 今年は公開記者会見に吉永小百合さんが出演することは分かっていました。 この公開記者会見は、会場の部屋の都合で先着順の入場制限があるものの、誰でも入れます。 ただし、混雑を避けるためか、会場は直前になるまで発表されません。
 国内ではなかなか見ることができない生の吉永小百合さんを見るためにわざわざモントリオールに、とまではいきませんが、どうせモントリオールに行くならと、日程は合わせました。
 会場の入り口ではすぐ傍を吉永小百合さんが通られましたし、記者会見で吉永小百合さんが美しいフランス語で話されるのを見ることもできました。 写真を撮ることは報道機関しか許されていませんので、こっそり撮った写真をこのブログに載せることはできませんが・・・。
 下は会場に隣接した Complexe Desjardins のアトリウム( 屋内の公開空地)にあった噴水です。

 


奈良 若草山・東大寺周辺散歩

2011年10月18日 | 旅行
 久しぶりに奈良公園を訪れました。 主目的は虫や花でしたが、そのことは「そよ風のなかで」で書くとして、「古都奈良の文化財」として世界遺産登録された奈良の秋のほんの一部の紹介です。




 この日のコースは、奈良県庁前から春日山原始林から若草山を経て東大寺へ。 上は東大寺近くの浮雲園地から見た、春日山原始林と若草山に春日大社の後ろに位置する御蓋山(みかさやま)を加えた観景です。 写真はクリックで拡大します。




 若草山から奈良盆地を撮りました。 この日は奈良県と大阪府の境に位置する金剛山大和葛城山二上山などもよく見えました。 この方向からだと、二上山は雄岳の後ろに雌岳が隠れてしまいます。




 若草山から見下ろした東大寺です。




 東大寺大仏殿、人の大きさと比べると、さすがに大きいですね。 修学旅行の生徒などで、たいへん混んでいました。



 早くも色づき始めたナンキンハゼも。 暑くもなく寒くもなく、どこを歩いてもいい季節です。

長尾の滝

2011年04月22日 | 旅行
 枚岡公園の北に長尾の滝があります。 この滝は生駒系唯一の瀑布で、上下二段に分かれ、上は雄滝、下は雌滝と称されています。


   雄滝


   雌滝

 東大阪市観光協会の解説板によれば、
「天正十一年(西暦一五八三年)に前関白近衛前久がこの地を訪れ「たずねずはありともここに山鳥の長尾の奥の滝の白糸」と詠っている。宝暦8年(西暦一七五八年)仏教の復興を唱え、梵学者としても著名な慈雲尊者が長尾の滝の上流に雙龍庵を建て修道、著作、詩歌に専念した。」
とあります。


   手に三鈷杵(注1)を持つ慈雲尊者の銅像

 長尾の滝のある地域は、現在、吉野山にある金峯山寺蔵王堂の大阪別院である天龍院となっています。 現在でも、この長尾の滝は修験道の道場になっていて、長尾の滝に至る額田川の渓谷(長尾渓)沿いには、それに関連した寺院が点在しています。



(注1)
 三鈷杵(さんこしょ)は金剛杵(こんごうしょ)の一バリエーションです。 金剛杵は、仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものです。(内容はウィキペディアより)

桃太郎と桃

2010年11月28日 | 旅行
 室町時代に広まったとされる、よく知られたおとぎ話の「桃太郎」、この物語の成立については、古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたもので、第7代孝霊天皇の皇子である彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)が桃太郎のモデルである、とするのが、有力説の一つとしてあります。 しかし、桃太郎の出生の地や鬼ヶ島がどこなのか、ゆかりの地をはっきりさせないことで、全国で身近な話となっているのかもしれません。
 その中で、吉備の国であった岡山県は県のPRとして「桃太郎」を積極的に“利用”しました。 桃の産地であったことも関係したのかもしれません。
 ちなみに、江戸時代からある地元土産品「吉備団子」は吉備の国の名物の団子であり、桃太郎が持っていたのは「黍団子」、つまりキビを原料とした団子で、両者は元来別物です。 現在販売されているものの多くはそのあたりを曖昧にして「きびだんご」とひらがなで書いているものが多いようですが・・・。 この「きびだんご」には少量のキビを混ぜたものもありますが、キビの全く入っていないものもあります。
 とにかく、岡山駅の駅前には立派な桃太郎の銅像がありますし、後楽園のある中州の南端には、「おかやま百周年記念事業」の一環として平成3年度に設置された「水辺のももくん」という銅像があります。


   岡山駅前の桃太郎像
   桃太郎はハトも引き連れていたのでしょうか。


   水辺のももくん

 このももくんの持っている桃も桃太郎の絵本などに出てくる桃も、先が尖っています。 しかし、果物店の店先に並んでいる桃は先が尖っていません。 じつは先が尖っている桃は日本古来からある野生の桃で、実を放置していても萎びてくるだけで、腐ってきません。
 古くから桃には邪気を祓う力があると考えられていましたし、果実の形状と色彩が女性の臀部に似ていることから、性と豊饒の象徴でもありましたが、この桃は、もちろん先の尖った桃の方です。 明治時代に入ってきた、先の尖らない甘味の強い水蜜桃系の桃のように、簡単に腐ってしまうようでは、仙果とは成り得ません。

後楽園

2010年11月25日 | 旅行


 岡山市にある後楽園は、旭川を挟んで、岡山城の対岸に、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する大名庭園です。



 岡山城や周辺の山を借景とした池泉回遊式の庭園で、日本三名園のひとつとされ、国の特別名勝に指定されています。



 太平洋戦争中には、食糧事情の悪化に伴って園内に畑が作られ、さらには空襲で園内の建造物の多くが焼失してしまいました。 終戦後には進駐軍の宿舎として使用されていましたが、進駐軍の撤退後に園内の復元がはじまり、1967年(昭和42年)には園内の全ての建造物の復元が完了しています。