そよかぜ日記

写真、メモ、日常のできごと etc. 拡大できる写真も、あちこちに

琵琶湖周辺冬景色

2010年01月31日 | 旅行
1月30日、鳥の観察に、滋賀県安土町の「西の湖」に行って来ました。
着いて地元の人と鳥情報を交換する中で、湖北町には雪は無く、湖岸道路を通って1時間ほどで行けるとのこと、湖北町水鳥公園にも行くことにしました。
湖に沿って走ると、あちこちにカモなどの群をたくさん見ることができました。
この日に見た鳥たちについては「そよ風のなかで」で順次記事にすることにして、ここでは風景を・・・
 ※ 写真はクリックで拡大できます。

下は湖北町水鳥公園の前に広がる風景です。手前にはアシ、近くには浅瀬が細長く延びています。生えているのは樹形から見てアカメヤナギでしょうか。
風の強い時にはこの島が波よけになり、コハクチョウなどの水鳥は、この内側に集まるのだとか。
写真には写っていませんが、少し方向を変えると、竹生島も見えます。



下は西の湖に戻って、夕日に染まりかけた伊吹山です。中腹にカモの群が飛んでいるのが分かるでしょうか。




gooブログの記事への写真の挿入方法について

2010年01月25日 | コンピュータ
gooでブログを作成しようとしている人で、記事に写真を挿入する時に戸惑う人が多いようです。しかしgooブログでの写真の扱いについて書かれてあるものも少ないようですので、gooブログを使っている人またはgooブログ使用を検討している人限定の記事になりますが、記事中への写真の挿入についてまとめてみようと思います。

まず、記事に使用する写真は、最初に「画像フォルダー」に入れておくのですが、この画像フォルダーが多機能です。別の言い方をすると、混乱の元になっているのかもしれません。いろんな経緯があって改良され続けてこのような形態になったのでしょうが・・・。なお、「画像フォルダー」に写真を入れる際に、「ファイルの種類」で「gooブログ標準(320×240ピクセルまで)」を選択すると、320×240ピクセル以上の大きな写真は全てこの大きさに縮小されます。

gooでは、本文中に写真を挿入する方法がたくさん用意されています。

① gooが自動的に作成するサムネイルを利用する
編集メニューから画像フォルダーに入り、下に表示されている画像ファイル一覧から使用したい1枚の画像を選び、その画像の「記事投稿」をクリックして記事を書き加えますと、ブログの画面では 120×90 ピクセルのサムネイルが表示され、そのサムネイルをクリックすると、本来の大きさの写真が表示されます。でも、コンピュータの画面の表示能力が向上し、細かく表示できるようになった現代では、ブログの画面でこのサムネイルでは小さすぎると感じる人もいるのではないでしょうか。

② 本文入力画面からの写真の挿入
記事メニューの「新規投稿」から「画像を選択/解除」ボタンをクリックすると、画像フォルダーに入っている画像ファイルの一覧が表示されますので、使いたい写真の「記事に使用」をクリックすると、画像が記事に挿入され、本文入力画面の下のプレビューで確認できます。でも、この方法で挿入できる画像は1枚に限られます。

③ 「貼付け用のタグ」の利用
編集メニューから画像フォルダーに入り、下に表示されている画像ファイル一覧から使用したい1枚の画像を選び、その写真をクリックすると、その写真のプロパティが表示されますので、そこにある「貼付け用のタグ」(オリジナルまたはサムネイル)をコピーし、記事メニューの「新規投稿」に入り、記事の中に貼り付けます。何やら意味不明のものが挿入されますが、この「タグ」というのはHTMLです。HTMLについては後日に書くつもりでいます。
写真挿入に話を戻しますと、「新規投稿」画面に入った段階で画像の画面は無くなっていますので、この方法でも記事に挿入できる画像は1枚に限られます。もしこの方法で1つの記事に多くの写真を挿入しようと思えば、予めテキストエディター(Windowsの「アクセサリー」にある「メモ帳」など)など別の所へ使いたい写真のタグを全て貼り付けておき、記事編集画面へのタグの貼り付けは、そこからコピーすることになります。

④ 「IMG」ボタンの使用
記事の中に自分の好みの大きさの写真を何枚も挿入するには、「新規投稿」や「記事一覧」から編集する記事を選んでの編集画面のTEXTエディターにある「IMG」ボタンを使用するのが便利です。
私のブログは主にこの方法で写真を挿入しています。
まず使用する写真を「画像フォルダー」に準備しておくのですが、この時に、記事中の写真をクリックして大きな写真を表示したい場合には、写真編集用ソフトを使用して、記事の中に置く写真と大きな写真とを2枚準備しておきます。(これが少し面倒ですが・・・)
記事を書く時には、記事編集画面の下にある「画像を選択/解除」ボタンを押して、予め画像ファイルの一覧を表示させておくと良いでしょう。
そして、記事を書きます。写真を挿入したい行の前後には空の行を入れておくときれいに見えます。
写真を挿入したい行にカーソルを置き、右上にある「IMGボタン」を押すと、「画像のURLを入力してください」と言ってくるので、画像ファイル一覧の、記事中に表示したい画像のURL(画像の下に表示されているhttp://blog.goo・・・・)をコピーし、URL入力場所に貼り付け、「OK」を押します。
すると、「リンク先のURLを入力してください:」と言ってくるので、その時に、
 記事中に使用する写真から他の写真にリンクさせない場合には「キャンセル」を、
 大きな写真など、別の写真にリンクさせる時には、その写真のURLを貼り付け、「OK」を押します。すると、写真の入るべき場所に、何やら文字が書き込まれますが、これでいいのです。これは上にも書いた「タグ」というもので、記事編集画面下の「プレビュー」を見ると、ちゃんと写真が表示されています。
複数の写真を使用する場合には、上記のことを繰り返します。

「酥」について考える

2010年01月20日 | 日常
中国に旅行した人からお土産をいただきました。
箱の表には「北京酥糖」とあり、Beijing Sutang は読み方でしょうから、ベイジンスータンとでも読むのでしょうか。左上に「北京特産」とありますから、北京はいいとして、「糖」も分かりますが「酥」とは何でしょうか。



箱の中身を取り出すと、下の写真のようなお菓子が入っていました。縞模様のある白い部分は硬く、中に褐色の柔らかいものが入っています。



箱には「北京酥糖」とあったのですが、中身は「北京酥」に変っています。もしかしたら中国では「酥」というものは誰でも知っていて、「北京の酥」の表面を糖(砂糖)で覆って硬くしたのが「北京酥糖」なのかな、と、思いました。

「酥」を手元にあった漢和辞典『新版 漢語林』(大修館書店)で調べますと、
 【酥】ソ
  ①牛や羊の乳を精製した飲料。乳酸飲料の類。
  ②酒の別名。
  ③清く滑らかなもののたとえ。
とありました。
①と②は「発酵」という点で共通であり、その結果できたものの性質から③の意味が生じたのでしょう。
でも、いただいたお菓子は、①や②のような液体ではありません。

「酥」という漢字には見覚えがあります。なんだかはるか昔に日本史で習ったような気がして少し調べてみました。
『延喜式』には「乳大一斗煎得蘇大一升」とあります。蘇は酥と同じ(いただいたお菓子の箱の裏にも「蘇」の字があります)でしょうから、乳(=牛乳)一斗を煎じ(=煮詰めて)酥一升(=一斗の 1/10 )を得るわけですから、酥は濃縮乳ということになります。
でも、いただいたお菓子は濃縮乳というイメージでもありません。

ここでふと思いました。同じ漢字で日本と中国とで違うものを指していることはよくあることです。漢字は中国から入ってきたのでしょうが、意味が似たものではあるが違うものにすり替わってしまうのです。
中国のことについては何の文献も手元にありませんから、インターネットに頼るしかありません。
調べてみますと、中国ではパイに酥(スゥ)という文字が当てられているようで、鳳梨酥、北京酥、菊花酥、栗子酥など、いろんなパイがあるようです。
「北京酥」という文字を見つけてヤッター!と思ったのですが、載っている写真はパイで、いただいたお菓子とは全く違います。共通点は外側がパリッとしていて、内側が柔らかいことぐらい。でも、もしかしたら、「北京酥糖」はパイに似せてパイの皮のパリッとした部分を砂糖で作ったお菓子ということなのかもしれません。
さらに調べていくと、Wikipedia の「鳳梨酥」の項に、次のような記載がありました。

「酥」(スー)は、本来バターを指すが、現代では「小麦粉に脂肪や砂糖を混ぜて作った柔らかい菓子」 ( 蔡治平主編『永大簡明中日辭典』(永大書局)から引用 ) のことをいい、・・・

いただいたお菓子に近くなってきました。「酥」という柔らかい菓子の表面を砂糖で硬くしたのが「酥糖」なのでしょう。
バターなら『延喜式』の「酥」の濃縮乳ともつながります。
パイとバターでは違いすぎる気もしますが、パイの生地も小麦粉にバターや砂糖を混ぜて作りますから、できたものとその材料の関係と理解すればいいのでしょう。

そこまで調べて、何となく理解できたと、何気なく箱の裏を見ると、原材料名が載っているではありませんか!
細かい字で、製造者や住所らしきものなど中国語でびっしり書かれているので、全部中国語で書かれているものと思い込み、よく見なかったのですが、下の方には、小さな字ですが、日本語でもいろいろ書かれています。
これを見ると、中身の柔らかい部分の原材料は、中国名で「果仁○」(○の部分は「将」の下に「酉」と書く漢字の略字だと思われますがPCでは出てきません)で、それに相当する日本名は「さねジツャム」??? 
でも、英語でも書かれていました。 それによると、何と peanut butter !
そう言われてみると、お菓子の中身はピーナッツバターと思えないこともありませんが・・・ 少なくとも日本で通常販売されているピーナッツバターとは、色も味も異なります。

(理解したこと)
・日本では殆ど使われなくなった「酥」という漢字だが、中国ではよく使われている。
・日本と中国とでは、漢字の意味がずれていることがある。
・中国でも時代と共に漢字の意味が変化している。
・中国でも1つの漢字がいろんな意味に使われている。
いずれもあたりまえのことでしょうが、いただいたお菓子でこれらの点を再確認させてもらった気がします。

ブログの写真に含まれているデータについて

2010年01月16日 | コンピュータ
デジカメの写真には画像データと共に、Exifという情報が記録されています。
Exif とは Exchangeable image file format の略で、カメラの機種や撮影時の条件など、様々な情報が含まれています。
私が写真をブログに載せる時は、当然撮ったままの写真では大きすぎるので、サイズを小さくしたりトリミングするなどの加工をするわけですが、その時に Exif に含まれる情報を意図的に消すことはしていません。加工によって元の写真のデータがあてはまらないこともあるのですが、いつでも見ることのデータを残しておけば、メモとして役に立つ場合もあるだろうと思っています。
もちろん他の人の気になる写真があった場合にも、その写真のExifデータがあれば、その写真についてのある程度のことが分かるわけです。

これらのデータは、例えば次のような方法で見ることができます。
①ブログの写真の上で右クリックし、「名前をつけて画像を保存」で、いったん写真を自分のPCに保存します。(保存される場所をしっかり確認しておくこと)
②以下は Windows Vista の場合ですが、保存した写真を右クリックし、「プロパティ」を選択し、その写真のプロパティの「詳細」を見ると、撮ったカメラの名前や絞り、シャッター速度など、さまざまなデータが書かれています。

楠木正成を旧赤坂村に訪ねて ②

2010年01月12日 | 歴史探訪
前回からの続きです)

 楠木正成誕生の地から少し東に行った所に、「水分(すいぶん)さん」と呼ばれて親しまれている神社がある。 正式名称を建水分神社(たけみくまりじんじゃ)といい、金剛山鎮守の神社であり、楠木家の氏神でもある。




 この神社の紋は菊水、つまり楠木氏の家紋と同じであり、楠木家との結びつきの強さを窺わせている。 また、この紋の「菊」は天皇家との関係を示すのだが、「水」は何を意味するのであろうか。
 楠木正成の菊水紋は、建武の新政における功から菊紋を下賜されたが、畏れ多いとして半分は水に流したという話があるが、どうだろうか。 なお、一族の和田氏なども菊水紋を用いている。
 このあたりの地形は金剛山につながる丘陵地であることは前回にも書いた。 傾斜地であれば水は澱まず下に流れる。 その水を広く横に導き、田畑を潤そうとすれば、人為的な作業が必要となる。 ここに村対村の「水争い」が生じる。
 「建水分(たけみくまり)」の「水分」は用水を公平に分配する事に由来しており、「建(たけ)」は「猛々しい」という意味を持つ。 土地の「悪党」だった楠木正成もそのような水争いの調停に乗り出していたことも否定できないのではないだろうか。

 落ち着いた村の中の道を歩く。 並行して車の行き交う道があるのだが、一歩村の中に入ると歴史を感じながら歩くことができる。 このあたりの道には「楠公史跡保存会」が道標を整備してくれている。



 建水分神社からさほど遠くない所に、楠公没後600年を記念して、昭和15年(1940年)に建てられた奉建塔がある。 なかなか立派な塔で、着工は昭和10年ということであるから、5年の年月がかかっていることになる。 高さは、正成討死の年齢43歳に因み、およそ43尺(約13m)ということである。 塔には家紋の菊水紋と、「非理法権天」の文字が刻まれている。



 昭和10年から15年というと、昭和8年に国際連盟を脱退し、太平洋戦争へと向かっていた時期である。 「非理法権天」は、皇国主義下・軍国主義下にあって、重視された思想であった。
 「非理法権天」の意味については、Wikipediaでは次のように書かれている。

江戸時代中期の故実家伊勢貞丈が遺した『貞丈家訓』には「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。非とは道理の通らぬことを指し、理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、法とは明文化された法令を指し、権とは権力者の威光を指し、天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す。非理法権天の概念は、儒教の影響を強く受けたものであるとともに、権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越するというリアリズムを反映したものであった。
非理法権天は、中世日本の法観念としばしば対比される。中世日本において基本的に最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていた。権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。こうした中世期の法観念が逆転し、権力者が優越する近世法観念の発生したことを「非理法権天」概念は如実に表している。
  (以上、Wikipediaより引用)

 楠木正成の評価の浮沈は激しい。 室町幕府の時代にあっては「朝敵」であったが、後醍醐天皇に捧げたその一生は、江戸時代の水戸学の尊皇の史家によって忠臣として見直され、「非理法権天」の思想が楠木正成から始まるとされ、「天」すなわち天皇が全てに超越するという思想に結びつき、皇国主義・軍国主義の世にあっては、楠木正成は「大楠公(だいなんこう)」と称されていくのである。 奉建塔の下段には、頼山陽の「日本外史」より、楠木正成が笠置において後醍醐天皇に奉答した辞が、陸軍大将により刻まれている。



 平和な世になり、「大楠公」は「楠公さん」に戻ったようである。 奉建塔は上赤坂城の支塞跡、つまり小高い丘の上に建てられている。 今、その丘の斜面はスイセンの花が咲き乱れている。



  (完)